第五十八話 もう一つの秘密 4/5

「エルデ。その人が誰にいい顔しようと、そんなことはどうでもいいじゃないか。それより早くティアナのところへ……」

 エイルがそう言ってエルデをなだめようとしたが、それは失敗に終わった。

「こいつはアルヴがその秘密の房に全員入ったところを見計らって閉じ込めて、今度はその情報をデュナンの知り合いとやらに売るつもりかもしれへんねんで」

「え?」

 エイルは虚を突かれたように固まった。

「さすがに鋭いわねえ。外交のための手札は多いに超した事はないものね」

 しかしエルデの言葉を聞いても、キセンはシレっとしてそう言ってのけた。

「まさか」

 さすがにエイルはその言葉には反応した。

「そんな事をして、一体何のつもりなんだ!」

「ああ、うるさいうるさい。そう怒鳴らないでくれる?」

 手を上げてにじり寄ろうとしたエイルを制すると、キセンはやれやれといった風に首を左右にゆっくり振った。

「私は自分の保身の為なら考えられる事は全部やるわ。こんな異世界で死んじゃったらたまったものではないでしょ?でもね、さっきも言ったとおり、今はあなたたちと組もうって言っているのよ。そもそもこの根本的な前提がないと話は進まないわよ?」

「どうやったら打算と裏切り前提で生きてるようなお前の言う事をウチらが信じられるっちゅうねん?」

「ずいぶんな言い方ね。まあ、そんな表現方法の是非はこの際いいわ。そうね、この場合、物的なものを保険、あるいは担保、もしくは証拠として見せろと言われてもムリね。私の最大の切り札はアレだもの」

 キセンはそういうと視線を《深紅の綺羅》に向けた。

「あれ以上のものはないと思うんだけど。だいたい、あらかじめあなたたちと会える事がわかっていたなら、それ相当の用意もできたかもしれないけど、まさに降って湧いたような話だし、正直私も舞い上がったり混乱したりしてるのは確かだし……。そもそも私には特にエルデ、ご覧の通りあなたを敵には回したくない理由があるから、できるだけ友好的な関係を築きたいと思っているのよ。これは本心」

「……」

「うーん。そうね。じゃあ、こうしましょう。これをあなたたちにあげるわ」

 キセンはそう言うと、机の引き出しから小さなスフィアを二つ取り出して、それぞれを左右の掌に乗せ、エイルとエルデの目の前に差し出した。

「これは?」

「私が作った似非(えせ)結界の通行手形よ」

「通行手形?」

「鍵みたいなものね。わかりやすく言うと、それがあればハイデルーヴェン中の地下房と、それらを結んでいる地下道を通れるわ。地下道はこの部屋にも通じているから、ここにも自由に出入りできるっていう事よ。本来、地下房や地下道に入り込むにはそれぞれ別の鍵が必要なんだけど、そのスフィアは最上位のものよ。それがあれば私が作った結界ならどこでも通れるわ」

 エイルは差し出された小さなスフィアをつまみ上げた。直径が親指の爪ほどの大きさで、白っぽく濁った半透明なスフィアだった。

「なるほど。マスターキーってやつか」

「マスターキー?」

 エイルのつぶやきにエルデが反応した。

「フォウではそう言う何でもあり、の鍵をそう呼ぶのよ。主人の鍵っていう意味よ」

「ふーん」

 エルデもエイルにならってスフィアを受け取ると、それを注意深く観察した。

 しばらくそれを観察した後、エルデは呆れたような顔で小さくため息をついた。

「ひどい文法やな」

 その一言にキセンは目を細めた。

「あなたは、そのスフィアに私が焼き付けたルーンが見えるっていうの?」

「三聖の正体を知ってる程、ファランドールやルーンに精通しているお前が言うな!」

 エルデは憤然とそう言うと、右手を突き出した。

 口の中で何かを唱えたのだが、聞き取れない程小さな声だった。口の動きは突きだしたエルデの拳で視界が遮られて、それも見えない。つまりキセンは床にめり込んでいた精杖ノルンが、一瞬でエルデの手に移動した事実を見ただけである。

 エルデはそのまま精杖ノルンの頭頂部にスフィアをあてがった。すると白濁した小さなスフィアは、まるで沼に沈む石のように木製の杖の中に沈み込んだ。ノルンに飲み込まれる途中でスフィアの体積はどんどん小さくなり、やがて待ち針の頭程度の大きさにまで縮むと、そのまま固定された。エルデの精杖ノルンには同じように多くの小さなスフィアが埋め込まれていた。おそらく今のようにして様々な力が込められたスフィアを圧縮・小型化して埋め込んでいったのだろう。今ではシグ・ザルカバードの庵で集めた「時のゆりかご」への通行手形である宝鍵もそのうちの一つなのだ。

「精杖って、使うルーナーによってはそういう風に使えるのね。残念ながらそんな便利な能力は初めて知ったわ。参考書にも書かれてない情報ね」

「参考書?」

「ああ……言っちゃっていいか……」

 しまった、という顔をしたキセンだったが、すぐに切り替えをした様子だった。エルデはそういうところにキセンの頭の良さと回転の速さを感じた。

「ファランドールについて知りたい事がほとんど書かれている本があるのよ。私はそれを参考書って呼んでるの」

「は?」

「何、その間抜けな顔?」

 エルデはキセンが冗談を言っていると思った。そんな便利な本など聞いた事がないからだ。

「嘘だと思ってるでしょ? ところがちゃんとあるんだなあ、これが」

「そんな便利な本があるなら、真っ先にオレに教えてくれよ」

 エイルはたまらず会話に割って入った。

「そんな便利な本があるなら、真っ先にアンタに教えてるわ! あるわけないやろ」

「あるわよ」

 キセンがこともなげにそういうと、エルデの目が吊り上がった。

「ほんなら聞くわ。いったいお前はどこまでファランドールの事を知ってるんや?お前の言うその『不思議な本』には何が書かれてるんや?」

「不思議な本、じゃなくて、表題は『合わせ月の夜』よ。でも残念ね。本の中身はしゃべっちゃダメって言われてるのよ」

「ほう?えらい都合のええ話やな!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 エルデとキセンが再び口論を始めようとした時、エイルが再び会話に参入した。

「その本の話だけど、その前にオレの根本的な混乱を解決してくれないか?オレにとっては話はそこからなんだ」

「根本的な混乱?」

「具体的に言うと亜神とか人間とかってヤツだよ……その話は本当に本当なんだな?オレはエルデにその大前提を確認しておきたいんだ」

 それはエルデに向けた質問だった。

 エルデは唇を噛んでエイルを見つめた。否定はない。それは要するに真実だと肯定していると言ってよかった。

 その様子をみていたキセンが声をかけた。

「なんなら私が今ここで全部話しちゃいましょうか?私、たぶんあなたの事を正確に特定できてるわよ。さっき話したあの『本』のおかげでね」

 キセンのその一言にエルデは即座に反応した。額にまた、あの第三の眼が現れたのだ。だがそれはエルデの無意識が成せるものだったのだろう。眼の出現に気付いたエルデはすぐに血の色をしたそれを閉じた。つまり、エルデはキセンを威嚇して制止しようとする意思を持たないという事である。エイルが見たところ、いったん精杖を引いた後のエルデは、キセンに主導権を奪われつつあるように思えた。それはエルデ自身もわかっているはずである。だが、その流れを変えようとする行動にエルデは出ようとしなかった。今も感情ではそうするつもりだったのだろう。だが理性がそれを抑え込んだ格好である。そしてそれはキセンもわかっているに違いなかった。

 エイルはそれをキセンの次の言葉で推し量る事が出来た。

「私の事を性格の悪い女だと思ってるんでしょうけど、それは正確な表現ではないわよ、エルデ・ヴァイス」

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