第五十六話 ロマン・トーン 3/7

 別室というのは通路脇にいくつもある部屋のうちの一つで、狭い空間に三段式のベッドが二つ置かれていた。宿泊用というよりは仮眠用の施設と言ったところであった。

 通路脇に等間隔にある扉のそれぞれがこの部屋のような作りになっているに違いなかった。

「どうしました?」

 一行が部屋に入った後、最後尾にいたアプリリアージェが入り口の扉の側で立ち止まっているのを見て、少女は声をかけた。

「いえ。この壁は土壁なのですね。うまく作っているものだと感心していたんです」

「堅焼き煉瓦の上にしっくい代わりの粘土を塗りつけて固定してあります。そう簡単には崩れませんから安心して下さい」

 要するに少女は入り口で扉を開けたまま立ち止まっているアプリリアージェに早く扉を閉めろと促したのである。

「ごめんなさい。私はけっこう臆病なのです」

 アプリリアージェはそう言ってにっこり笑うと、すぐに扉を閉じた。

 全員が部屋に入った事を確認すると、初老のアルヴは少女のアルヴに目で合図した。少女はうなずくと入り口に向かい、何かのルーンを唱え始めた。

「ゾフィーは体術と剣技を相当にこなせます。ちょっとした護衛には適任なのです。さらに、促成ですがご覧の通りルーナーでもあります」

 剣技と体術を能くするルーナーは珍しい。初老のアルヴの説明を受け、ルーンを唱える少女を一同は改めて怪訝な顔で見つめた。

「促成ルーナーとは何でございましょうか?」

 真っ先に反応したのは、意外にもエルネスティーネだった。

「促成とおっしゃいましたね? ルーナーになるには相当な修練が必要と聞き及んでおります。それなのにここハイデルーヴェンでは、その能力が促成で身につく方法がある、という事なのでしょうか?」

 エルネスティーネはエイル、いやエイルの体を借りていたエルデからルーナーの修行について色々と話を聞かされていた。それは彼女の想像を絶する過酷なもので、そうまでしてなぜルーナーになるのだろうと真剣に考えていた事があったのだ。エルデが使う高位ルーンを目の当たりにして、ルーナーが軍事的に極めて重要な戦略兵器であるという事を理解してしまった後は、ルーナーのあり方そのものに彼女なりの疑問を抱いていた。膨大な犠牲……エルデの言葉を借りるならばそれは淘汰と呼ぶものらしかった……の中で生まれる強力な兵器。一人の少女が今更声高にそれを否定しても始まらない事はエルネスティーネにもわかっていた。だからこそそのルーナーが「促成」されているという事実は衝撃だったのだ。


 思わず口にした疑問にエルネスティーネは自分でも驚いていたが、それでも出過ぎた発言だとは思わなかった。むしろ自分は知っておかねばならないと感じていた。

「その前に自己紹介をさせていただけますかな。凛々しき瞳の少女よ」

 初老のアルヴは穏やかな表情をエルネスティーネに向けて静かにそう言った。

 対してエルネスティーネは、自分が今険しい表情をしている事に気付いた。

「ごめんなさい。失礼をお許し下さい」

 赤面すると、慌てて頭を下げ、詫びを入れた。

 確かにお互いに自己紹介がまだであった。だがもはや誰もがそれを重要な事だとは考えていなかったのだ。だからこそ初老のアルヴの穏やかな調子のその一言は一行の緊張を解く効果を持っていたと言えるだろう。

「私はロマン・トーン。ハイデルーヴェン第二精霊波研究所に所属しておりますが、第一高級学校で教鞭も執っております。今はこの房のとりまとめ役と言ったところです。そして彼女は……」

 ロマン・トーンと名乗った初老のアルヴはそう言うと手を上げてルーンを唱え終わった少女のアルヴを示した。

「彼女はゾフィー・ベンドリンガー。少し前まで私の下で呪法を専攻しておりまして、まあ教え子ですな。もっとも今はさるお方の特別助手という立場なのですが……まあ、お許しを得まして、その能力でこの町のアルヴの救助を行なってもらっています」

 ロマンの紹介に、ゾフィーと言う名のアルヴの少女は小さく頭を下げた。

 アプリリアージェは設定通りに自分達は吟遊詩人とその護衛だという説明をおこなった。順番に名前を紹介した後、改めてロマンに向かってこう付け加えた。

「と、言ったら信じてもらえますか?」

 終始穏やかな顔でアプリリアージェの紹介を聞いていたロマンは、その一言を聞いても表情を変えなかった。

「私は呪法を研究する学者です。人の詮索は私の領分ではありません。それに肩書きや出身などこの房では意味はありません。互いに呼び合う名前がわかれば、それでいいのです、リリア殿」

「殿は結構です、トーン教授」

 本名ではなく、族名もないただのリリアとだけ名乗ったアプリリアージェがそう言うと、それにはゾフィーが反応した。

「トーン先生は一等教授です。ただの教授ではありません」

 アプリリアージェは生真面目なゾフィーの訂正を受け、いつもの微笑みを深めた。

「トーン先生の正確な肩書きがわかりました。ありがとう、ゾフィーさん」

 訂正が入るかどうかはわからなかったが、とりあえず適当と思われる肩書きを言えば、何らかの反応があるだろうというアプリリアージェの目論見は見事に当たった。


「なるほどなるほど」

 そんなアプリリアージェの微笑を見つめながら、ロマン・トーンは自分も微笑を浮かべた。

「私もあなたがただ者ではないと言う事がわかりましたよ、リリア。そして肩書きや出身など関係ないと言った舌の根の乾かぬうちに恐縮ですが、正直に申し上げると私はあのお嬢さんにとても興味がある」

 そう言うロマンの視線はエルネスティーネに向けられていた。

「私に質問があるのでしたな、ネスティ殿。いやネスティ様とお呼びした方がよろしゅうございますかな?」

 ロマンの一言は当然ながら一行に緊張をもたらしたが、表情や動作にそれを表してしまったのはティアナだけだった。彼女は思わず隠しに忍ばせていた懐剣に手を伸ばしたのだ。

「これは失敬。自分で言っておいてこれですからな」

 ティアナの変化にロマンは敏感に反応した。彼はわっはっはと初めて声に出して笑い、自分の頭をピシャリと叩いて見せたのだ。

「あえて尋ねずとも、それに私でなくともネスティ殿が普通の娘さんでない事は一目でわかりますよ。特に私ほどの年寄りともなればいろんな顔を見てきておりますからな。瞳の光を見ればその人間が持っている心根の様なものが嫌でもわかってしまうのです」

 ティアナの態度は、要するにエルネスティーネが「それなり」の家柄を背負った存在だという事を証明して見せたようなものであった。そのお嬢様が「吟遊詩人の護衛団」と名乗る一行に加わっているという時点で「尋常ではない」状況に置かれている事も簡単に想像ができた。

「失礼をしました」

 ティアナは自分が失策をしでかした事を悟ったのか、そう言って謝った。だがそれはロマンの想像を肯定するようなものであった。ファルケンハインは心の中で頭をかいたが、もはや後の祭りであった。どちらにしろティアナが選択したのは、自分の失策を深く頭を下げて謝る事だった。

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