第五十三話 アトリ 4/5

「異世界から人間を召喚する呪法とかはそもそも存在せえへん」

 エルデは自分に向けられた質問にそう答えた。

「エイルがこっちに来たのはいろんな偶然が重なったんやろな。そやからもう二度と同じ事はできへんと思う。いや、絶対に無理やと断言しとくわ」

「偶然、ねえ……」

 キセンは納得がいかないという風に腕を組んでじっとエルデの表情を伺っていたが、やがてエイルに視線を戻した。

「それで、この子と一緒にいるという訳ね」

 エイルはうなずいた。

「呪法……呪法ねえ……」

 キセンは独り言のようにそうつぶやき、やがて誰が聞いても落胆しているとわかるような大きなため息をつくと、自分の椅子にゆっくりと腰を下ろした。

「私にはルーンの解析はある程度は可能なのよ」

 浅く椅子に座った姿勢で、キセンは問わず語りにしゃべり始めた。

「この世界ではいろんなルーナーに会ったわ。子供だましのルーンしか使えないえせルーナーからバードと呼ばれる国家のお墨付きルーナーの連中にも、新教会の僧正とか大僧正なんかのいわゆる高位のルーナーにもね。元々私の研究分野の一つだったから、方程式はある程度わかっていたのよ。だからいくつかのルーンを構築することは私でも可能になったんだけど……」

 そこで言葉を切ると、キセンはまたもやエルデをじっと見つめた。

「ルーンはわかるわ。でも呪法というものがどうにもわからないのよ。術者の血液を増幅装置として使うルーンの一種というところまではわかってる。それらしい事も何となくできる。でも、呪法に使うその血の種類が問題なのよね」


 エイルはそこでようやくエルデの方をみやった。エルデはエイルと視線を合わせると一瞬だけ睨んだが、眉尻を少し下げて見せた。

 エイルはそれを見て場違いではあるが、妙な発見をしたと思った。エルデの眉がかなり自由に動く事を知ったのだ。表情付けが眉でかなり自在なのだ。

(いやいやいや。さすがに感心するのはそこじゃないよな)

 心の中でエイルは苦笑した。エルデはおそらくエイルと二人で一つの体を共有していたことに触れなかった点を評価してくれているに違いないのだ。今はそこが重要である。もとよりエルデの事についてはエイルは貝のように口を閉ざすつもりでいた。その部分はエルデ自身に任せるべきだと思ったのだ。色々と「理由(わけ)あり」なエルデである。そもそもエルデの全容を知らないエイルが語れる事は少ないのだ。で、あれば本人に丸投げするのが合理的であり、エルデの都合に最も沿ったものだろうと判断していた。


「一応尋ねるんだけど」

 キセンはエルデに声をかけた。

「あなたが使った呪法って、どんなものなの?」

 キセンの問いかけは当然ながら想定されたものであった。エルデはだからすかさず答えた。

「ウチの魂と共鳴する人間を見つける呪法や」

 キセンは答えを聞くと口をぽかんと開けた。だが彼女の目に映ったエルデの表情は厳しいものだった。

「それ、冗談よね?」

「ウソやない」

「何の役に立つ呪法なの、それ?」

「そやな。こういう下僕が見つかる」

 エルデのその言葉に、エイルは苦虫を噛み潰したような顔をして見せた。だが、言葉にして否定はしなかった。

「おやおや」

 それを見たキセンは呆れたような顔をしてため息をついた。

「そんなただの下僕君に、あなたはたいそうな名前を付けたものね。つまりあなたは知ってるのよね?エイミイという族名が持つ意味を」

 エイルの名前をエルデが付けたという事は、キセンには話の流れでわかっていた事なのであろう。エルデもそこはもう否定しなかった。

 だが、エイルは自分に付けられた名前……族名に特別な意味があるなどという事は教えてもらってはいなかった。いや教えなかったというべきなのだろうか?

「あの」

 エイルはキセンに声をかけた。

「さっきもちょっと気になったんですが、先生はオレの名前に結構反応してましたよね?オレの使っている族名ってそんなに特殊なもんなんですか?」


 エイル・エイミイ。

 言うまでもなく、自分の名前すら覚えていなかったエイルのためにエルデ・ヴァイスと名乗る頭の中の声が付けた名前である。「語感がいいから」というのがエルデの説明だった。エイルという聞き慣れない名前がファランドールでは女性名であることを知ったのは少し後だったから、それまではエイルもエルデの言うとおり語感がいい名前だと感じていたし、結構気に入っていた名前だった。そもそも自分の事を思い出せない人間にとって自分に名前があると言う事は大きなよりどころになる。

 その名前がどうやらただの語感で選ばれたものではないかも知れないという事にエイルはここに来て初めて気付かされたのだ。

「君は地理が得意だとは言ってたけど、歴史や神話にはあまり興味がないようね」

 キセンはそう言うと意味ありげな微笑をエルデに投げかけて立ち上がり、椅子の後ろ側の壁、つまり隠し扉になっていた壁に設えてある書棚から一冊の分厚い本を抜き出した。

「ファランドール唯一の紳士録よ。君はこれを見た事がある?」

「いえ。でも名前だけは知ってます」

「本当に不思議よね、この世界の文字って……おかしいと思わない?」

 頁を開けて指で文字を辿りながら、キセンがそう問いかけると、エイルはすぐに答えた。キセンが口にした疑問は、エイルが感じていた疑問とまったくおなじものだったのだ。

「アルファベットが四文字多い事を除けばほぼ同じ。数字は基本的にはローマ数字だけど、それにゼロの概念を取り入れてある。そして言葉は……」

「そうね。あまりに似すぎているわね、フォウに」

 キセンはエイルの説明を途中で遮ってそう言うと、今度は違う話題を口にした。

「三聖って知ってる?」

 突然の質問に、エイルとエルデは思わず顔を見合わせた。

「そちらのお嬢さんは当然として、君も言葉くらい知っているわよね」

 キセンのその言葉に、エイルは跳ね上がった心臓の鼓動がいくらか落ち着くのを感じた。キセンの口ぶりでは自分達と三聖とのつながりを知っている訳ではなさそうだと判断できたからだ。そもそもエルデが賢者であるという事はキセンは知らないはずであった。

 だが、そのキセンの次の言葉はいったん下がったエイルの心拍を再び跳ね上げるのに充分なものだった。

「さっき瞳髪黒色のお嬢様が言ってた時空や次元を飛び越えるほど強力な呪法っていうのはね、存在しないのよ」

「存在……しない?」

「あり得ない呪法。フォウで言うオーパーツみたいな存在なのよ」

「オーパーツ?」

「いや、そう言う単語にいちいち反応するな。後でまとめて解説してやるから」

 エイルはエルデにそうささやいた。キセンは相手が同じフォウの人間だとわかると既に何の遠慮なくフォウでのみ通用する単語を口にするようになっていた。当然ながらそれにいちいち反応するエルデに語句の説明をしていては話が前に進まないこと甚だしい。

 エルデは不満そうな顔をしたが「了解」とつぶやき返してきた。

「言い方を変えるわ。そんな呪法を発動させることができるのは、私の知る限り、賢者でも無理ね。でも三聖と呼ばれる生物の血液が持つ力を使えばなんとかなるかもしれない……くらい特殊なものなのよ」

「三聖の血……だって?」

 エイルは思わずそう声に出すと、キセンの言うその特殊な呪法を使ったと言う美しい少女の表情をうかがった。

 だがそれはエルデが呪法を本当に使ったかどうかを訝しんだからではない。エルデが普通の賢者ではないことはエイルもとうに気がついていた。エイルが反応したのはキセンが口にした妙な表現、いや言葉だった。フォウからやってきた青緑の髪の風変わりな学者はこう言ったのだ。

「人間」ではなく「生物」と。

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