第五十一話 教授長キセン・プロット 2/5

 エイルはプロットの年齢と、そしてその風貌があまりに想像と違い過ぎた事による混乱を必死に修正して飲み込もうとしていた。

 こざっぱりした品のいい上下服を着込み、櫛が行き届いた短い茶色の髪のデュナンの青年には、教授と言うよりも良家の若旦那と言った一見して育ちが良さそうな風情があった。少なくとも研究に没頭するあまり、無精ひげで髪の毛も伸び放題、染みの付いたヨレヨレの上っ張りを羽織って、不健康そうに目の下にクマを作り、野暮ったいメガネをかけてやぶにらみにこちらを見て、ぶっきらぼうに挨拶する……そんな雰囲気は微塵もなかった事は確かである。

(いやいやいやいや。オレはどれだけ貧困な固定観念を持っているんだか)

 エイルは目の前に突きつけられた事実を素直に受け入れ、本気で自分の思い込みについて深く反省すべきだと考え始めたが、プロットの人の良さそうな表情とは裏腹にその灰色の目が鋭く自分達を観察している事にすぐに気付いた。


 エルデが、エイルの服の裾を引っ張った。その部屋でもエルデはずっとエイルの服を掴んで離さなかったのだ。

 その合図を、エイルは理解していた。もちろんエルデからの警告である。とは言えそれはプロットの視線の鋭さに対してのものではなさそうだった。

 それはその向こう側、つまりプロット教授長に続いて現れた三人のデュナンに対するものであった。

 キセン・プロットの後ろに立つ三人の大柄なデュナン。

 それはいい。

 だが、その服装にエルデは警鐘を鳴らしたのだ。

 彼らが着用していたのは橙色の僧服であった。それはもちろん新教会の「僧正」と呼ばれる地位にある者だけが着る事を許された、特別な色の僧服であった。

 賢者に匹敵するとも噂される新教会の高位ルーナーが、なぜここに居るのか? 

 キアーナ・ペンドルトンの話が本当であれば、プロットの研究は精霊波、すなわちエーテルに関するものだ。だとすればルーナーに関係は深い。そう思うと彼らの存在もあながち場違いとも言えないが、こういう研究機関であからさまに「僧正」であることを誇示しながら、まるで護衛の様に付き従う事には違和感を覚えるのが普通であろう。

 エイルはこの場に僧正が三人もいる合理的な理由を考える前に、この部屋でエルデがとった予防策に賛辞を送っていた。

(何も疑われる事はないはずだ)

 この図書室に来てからの行動を思い出しながらエイルは自分にそう言い聞かせていた。

 会話が聞かれていたとしても……いや、今ではエイルも間違いなく聞かれていたと確信していた……そこに不自然なものはなかったはずである。少なくとも二人の正体に疑問を持たれるような会話はないと言い切れた。

 

「まさかとは思っていましたが、まさに瞳髪黒色。しかも髪は豊かで長く、そして艶やか。瞳は全ての光りを拒む深淵のようだ。これほど見事な漆黒の髪と墨黒の瞳は純血種のピクシィとしか思えませんな」

 まじまじとエルデを見つめていたプロットは「純血種」のエルデにそう言った。

 だが、エルデはそれには反応しなかった。

「キアーナは?」

 エルデが口にした言葉はそれであった。

 紹介者がこの場にはいない。代わりに新教会の高位ルーナーが三人も現れたのである。ヴェリーユで「しでかした」事を考えると、エルデの警戒は当然であった。

「あの子なら私の研究室にいますよ。調度いいところに来てくれたのでちょっと手伝いを頼んでしまいました」

 プロットは自分の投げかけた言葉にエルデが反応をしない事をまったく気にする様子も見せず、にっこり笑ってそう答えた。

 そしてそこに控える三人の僧正を振り返った。

「この者達はご想像どおり護衛です。色々と物騒な世の中ですからね。それにこのご時世、特に去年の暮れにシルフィードのアプサラス三世陛下がお隠れになってからはこのハイデルーヴェンもすっかり物騒になりましてね。それで新教会の堂頭様が私に気を遣って、彼らを派遣されているのですよ」

 そう言ったプロットは大げさに肩をすくめてみせた。

「言い訳じみた事を申しますと、私はお断りしたんですがねえ。まあいかんせん、新教会はハイデルーヴェンの大きな後ろ盾です。やってきた彼らを無下に追い返す事も出来ないと、まあそういう訳ですから、あまり身構えなくてもよろしゅうございますよ」

「私は……」

 何かを言いかけたエルデをプロット教授長は手を上げて止めた。

「キアーナから聞いております。ハイレーンのエルデ・ヴァイスさんと、その護衛の剣士エイル・エイミイさんでしたね」

 エルデはあからさまに警戒している様子を隠さない。だがプロットはそんな事は意に介さず、笑顔のままで自分の後についてくるように促した。研究室はここから少し離れたところにあると言う。


「ハイレーンも珍しいですが、キアーナの話だと名ばかりのハイレーンではなく相当な力をお持ちとか。ルーナーである彼が舌を巻いたと言う程ですから間違いないでしょう。相当な力を持ちながらどちらの教会にも属さず、さりとてバードとして取り立ててもらっているわけでもないルーナーが居るとは驚きましたよ。しかもこうして会ってみれば思わず声を失うような美貌で、しかも見た目はピクシィ。あまつさえとてもお若い。それほど目立つ要素をお持ちの方なのに今まであなたの噂をまったく耳にしなかったのが不思議でなりません。まるで今までどこかにずっと隠れていらっしゃったかのようだ」

 プロットは回廊を歩きながらも話を続けた。

「いえいえ、出自を疑っているだとかあなたが嘘をついていると責めているわけではないのですよ。ただ、あなたとの邂逅を心から驚き、日常離れした出来事だと感動しているだけです。お気を悪くされぬよう」

 だが会話をしているわけではない。エイルとエルデが何かを話そうとするとそれを制するのだ。つまり、一人でしゃべり続けていた。

「ヴァイスさんもそうですが、私はそちらのエイミイさんにも非常に興味があります」

 プロット教授長がそう言うと、エイルの服の裾を掴んでいたエルデの手に力が入った。エイルは警戒しろというエルデからの合図にとった。

「エイルというのはまあ、失礼ながら女のような名前ですな。からかわれたりしませんかな? いやいや、私はそんなつもりはございません。それよりそんな優しい名前を持っているのに実は剣士だという相反したところが興味深い。いやいや、失敬失敬。重ねて申しますが決してエイミイさんのお名前をけなしているわけではありませんよ」


 よくしゃべる男だ、とエイルは思った。

(キセン・プロットと名乗る人物は、ひょっとすると……)

 出会う前。そんな思いがエイルにはあった。もちろん、フォウで暮らしていた時代に知っている人物ではないか? と言う期待があったと言う事である。

 だが、実際に目にしたキセン・プロットにエイルはまったく見覚えがなかった。

 そもそもファランドールには「異世界ファランドール・フォウ」という概念があるのだ。そしてその異世界の住民だった自分自身がファランドールにこうして存在している。

 ならば自分以外にもフォウの住民がいてもおかしくはないと考えるのが普通であろう。いや、普通ではないかも知れない。だが、フォウとファランドールが繋がっている扉をエイルは『時のゆりかご』で実際にその目で見ていた。

 例が一つあるのだから、「他」の可能性がないわけはない。

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