第五十話 不思議な図書室 3/4
単純に読めば、神に近づこうと考える行為は傲慢であり、神の怒りに触れやがて滅びの道を歩む事になるという戒めのような話である。
エイルは短いその説話を読み終えると顔を上げてエルデを見た。まるでドライアドに助言を請うたミトのような気分だな、と苦笑しながら。
「意味がわからん」
エイルに助けを求められたエルデは、手に持っていた聖典パサトとプレザンを近くの本の山の上に積んだ。
「ま、そやろな」
エルデはそう言うとソファに腰を下ろして続けた。
「アンタは『禿げのアルヴ』にからかわれただけやろ」
「そうなのか?」
エルデは深く座り直すと、視線を天井に向けた。ルナタイトを封じた硝子の管のようなものが、何本も天井に埋め込まれていた。それはエイルがファランドールでは今まで見た事もない形の室内照明だった。
そう。「ファランドール」では。
エルデの視線を辿って天井を見上げたエイルは、目に入ってきたその硝子の管状の照明を、懐かしい思いで眺めていた。
その時のエイルはもう、完全にフォウの記憶は戻っていた。
「アンタが『訳がわからん』と言うっちゅう事は、この『ミトと犬』の話の本質が『人が神に近づくなど恐れ多い。罰が当たるぞ! 』と言うわけやない、というのはわかるやんな?」
天井を見上げたままでエルデがそう尋ねた。
「え? 違うのか?」
単純だが、そういう視点もあるだろうと思っていたエイルは思わずエルデを見た。だが、冗談を言っているような表情ではない。
「この話のキモは、『犬やと思てバカにしてたらエライ目に遭うで』っちゅう事やろ?」
「いやいやいや」
エイルはさすがにそれはないだろうと思った。
「それはあまりに単純過ぎるだろ」
よくは知らないものの「聖典」と名が付いているものにそこまで表層の、そのさらに表層のような訓話をわざわざ取り上げているとは考えにくい。フォウで暮らしている時でも宗教に興味もなく、大した知識もなく暮らしていたエイルにもそれくらいは予想がついた。
だが、エルデはエイルのそんな反応は予想していたように表情を一切変えずに続けた。
「聖典なんて読む人間が勝手にありがたく解釈したらええ事や。教会に行ったら神父が聖典の一部を抜き出して、したり顔でありがたい訓話を垂れてくれるやろ? あれは教会の神父的に申し合わせた価値観で理由付けしているだけやん」
「いや……まあ、そりゃそうかも知れないけど、それを言ったら解釈なんか人それぞれで正解なんてないって事になるじゃないか」
「そう言う事や」
「はあ?」
エルデは視線をエイルに戻すと怪訝な顔をしているエイルの目の前にスッと掌を指し出した。「聖典アヴニル」を渡せと言っているのだろう。
エイルは素直にその手に聖典を載せた。
「複数の解釈が成される場合、共通項目は単純なものやないとアカンっちゅう事や。アンタが『禿げ頭のアルヴ』にかけられたナゾナゾの場合は、文字とその一番表層的な表現やろ?」
「文字か……」
言われてエイルは改めてエルデの手にある「聖典アヴニル」という文字を見つめた。
エイルにとっての異世界、ファランドール。その異世界でエイルが普通にしゃべり、かつ文字も読める事がエイルにとっての最も大きな違和感だったのだ。異世界なら全く違う言語が使われていてしかるべきだった。
だがファランドールの共通語と言われる「南方語」とは、エイルが自分の世界である「ファランドール・フォウ」で普通に使われている共通言語と同じだったのだ。「フォウ」でアルファベットと呼ばれる文字で綴られた発音記述系の単純化された言語である。そしてその書かれている言語が理解できるということはすなわち、単語や文法がほぼ同じだと言う事に他ならない。
アルファベットの数は、ファランドールの南方語の方がかなり多いとエイルはエルデに説明したことがあった。だがそれはエイルの知識にある別の言語の事を考えると単純なもので、例えばファランドールではNを重ねる場合、フォウにはない別の文字が使われる。Sを重ねる時もSSではなく別のアルファベット一文字が使われる。つまり、覚えるのも極めて簡単だった。
一番違うのはLとRの扱いで、ファランドールではLとRは同一のもので、文頭や単語の頭に使われるのがLで、単語の途中にはRしか使われない。
母音の数もフォウでエイル達が使う言語よりも少なく、ある意味簡素化されていた。
もちろん細かい違いは多々ある。だが、それはエイルにしてみればちょっとした方言程度の違いであり、「ここはフォウにあるファランドールという田舎の町だ」と言われれば、今でもそのまま信じられる程であった。
もちろん今では全く違う世界であることは理解している。だが、違和感はぬぐえていない。異世界なのに「似すぎている」事に。
次元の違う場所同士などそう言うものだと言われればそれまでだが、エイルがエルデに対していつも口にしていた違和感はそう言う事ではなかったのだ。おそらく同じくらいの広さがあるファランドールとフォウだが、ファランドールは多くのものが単一化されすぎていた。言葉も一つ。エルデやルネ、そして時たまラウが口にする「古語」と言われるものは別の言語ではなく、それこそ言い回しが違うだけの方言だと考えた方が適切である。使う文字も同じ。度量衡も太古より同じものを使用しており。通貨すら統一されていた。
エイルの価値観では、国の垣根とは物理的な土地の境界ではなく、すなわちその土地土地の独自の言語や文字、通貨などの違いによるものに対して感じるものだった。だがファランドールでは国が変わってもその感覚が希薄に過ぎた。だだっ広い国を移動しているだけのような感覚に襲われるのだ。
衣装や習慣などが違う場合はあった。だが、それら「文化の礎」となるものは根底がまったく同一である。
違うと言えば……。
フォウには存在しないような人類が居ることであろうか。
アルヴ族……アルヴとアルヴィン、そしてダーク・アルヴと言った人間はフォウでは空想上の人類と言っていい。それがここには普通の人間として存在しているのである。
「聞いてるんか?」
エルデにそう声をかけられたエイルは我に返った。
「あ……ああ、聞いてるさ」
「――考えてた事はなんとなくわかる。でもソレは今は聞きたない」
エルデはそう言って軽く目配せをした。唇に指を当てる代わりなのだろう。エイルはわかったと言う風にうなずいた。
「つまり、や」
エルデは手に持っていたアヴニルを一度開いて、すぐにまた閉じた。
「犬は犬の形をしているように見えるけど、それはホンマに犬なんか?」
「は?」
「ウチはこんな美少女やけど、美少女やなかった時もあった。それでも、ウチはウチやった。ちゃうか?」
エルデが何の事を言っているのかはわかる。エイルには伝わる言葉を選んで伝えようとしている事もわかる。
だが、それでもやはりエイルには「ナゾナゾ」の答えはわからなかった。
「まだわからへんの? しゃあないなあ。そしたらここにゆで卵が一つあったとしよ」
「ゆで卵?」
「そこは突っ込むとことちゃう。黙って最後まで聞いとき」
「わかったよ」
「よろしい。で、おいしそうなゆで卵やから食いしん坊のエイルは早速それを食べようと口に入れました」
「誰が食いしん坊なんだよ、ぜんざいを七杯も八杯も平らげたヤツに言われたくないね」
「そこも突っ込むとことちゃうから。というか、教えて欲しいんか欲しないんかどっちやねん? ウチは別に教える義務はないんやで」
「すみません。オレが悪かったです」
「よろしい。で、強欲なエイルは……」
「今度は強欲かよっ! さっきよりひどくなってるじゃないか!」
「鬼畜のようなエイルは……」
「すみません。オレが悪かったです」
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