第四十七話 灯火隊の少年 2/5

 二人ははぐれぬように手を取り合うと、とりあえず姿を消したまま大通りへ出た。そして適当な宿を見つけると部屋を確保した。

 エイルの常識からするとやや高い部屋だったが、交渉をしている余裕はなかった。事件の場所からそこそこ離れた場所で、大通りの角にあるその宿は、おそらく立地条件から相場よりやや高いことは予想されたし、何より早くアルヴィンの少年の手当をする必要があった。

 透明化ルーンを解除したエイルがとりあえず一人で広めの部屋を確保、その後透明化したままの二人を部屋まで誘うという手順である。

 エルデの指示は規模が大きめで立地が良く、一階が賑やかな店をと言う事であった。

 その頃のファランドールの宿は通常一階が食事を饗する場所でいわゆる飲み屋や食堂となっており、二階以上が宿泊部屋という作りになっているのが普通だった。その一階の飲食店部分が賑わっていた方が何かと都合がいいというのだ。

 当然ながらアプリリアージェやラウ達との合流を考えての事だが、エイルもその辺りはだんだん理解しつつあった。


 軽々と三階の部屋までアルヴィンの少年を担ぎ込んだエルデは、早速ベッドに寝かせると、服を脱がせ始めた。

「オレがやろうか?」

 それを見てエイルは声をかけた。エルデは不思議そうな顔でエイルを振り返ったが、すぐにエイルの言葉の意味を理解して顔を赤くした。

「全部は脱がさへん。変な事いいなや!」

 エイルはしまったと思った。

 その時のエルデは完全なハイレーンになっていたのだ。相手を治療する事に専念していたから、服を脱がすという行為を治療の準備としてしか考えていなかったはずだ。エイルの一言はそれに水を差してしまったと言う事である。

 まさに要らぬ世話、余計な一言であった。


「う……」

 肌着を脱がされ、その肌をあらわにしたアルヴィンの少年の体を見た二人は異口同音に小さく声を出した。

 痣だらけだった。大小取り混ぜた紫色や赤黒い痣が、それこそ隙間無く体中にちりばめられていた。

 エルデは少年の泥と一緒に顔に張り付いていた金色の長い髪を払った。

 そこには端正なはずのアルヴィンの面影はなかった。

 つぶれて腫れた両目、どう見ても折れたように曲がっている鼻、数センチも裂けて、肉が盛り上がり、その上からかさぶたが張り付いている口。こびりついた血は一部が耳の中から出てきたもののようだった。左耳などは半分ちぎれたようになっていた。

「ひどい……」

 エイルはそれを見て拳を振るわせた。改めて怒りがこみ上げてきたのだ。

「大丈夫や。ここはウチに任せとけばええ。アンタの仕事は、絶対怒りにまかせて興奮せえへん事や」

 エルデは静かな声で諭すようにエイルに向かってそう言った。

 当初エイルがその少年の後を付けようと思ったのは、そのむくんでつぶれた顔を見たからだった。彼はその少年のような顔に見覚えがあったのだ。

 もちろんそのアルヴィンが知り合いだと言う事ではない。

「フォウの学校でも、集団には同じような顔をしたヤツが必ずいたんだ」

 エイルがそう言うとエルデは首を横に振った。

「わかってる。何も言わんでええから、とりあえず水を汲んできてもらおか」

 エルデはそう言ってエイルの話をそこで終わらせると、杖を取り出した。

「ノルン!」

 前方に突きだした手に三色の木で撚られた杖が現れた。エルデはそのままの格好で続けて違う名を告げた。

「スクルド!」

 手に握られた杖は一瞬発光すると、真っ白に変化していた。エルデがハイレーンとして力を使う時に、ノルンはスクルドという白い杖に変化させられるのだ。かつてエルデがエイルに説明した話では、スクルドは全ての属性の精霊波と等しく「交信」出来るのだという。エルデはそれを「全く同じ量の精霊波を精密に入出力するように調整した杖」と表現した。指定した一種類の精霊波のみを純粋に取り出すように調整したのが、黒い杖ウルズ。指定した二種類の精霊波を等しく扱えるのがヴェルザンディという茶色い杖の名である。基本形のノルンはエルデの意志に反応して自動的に必要量の精霊波をやりとりする事が出来るもので、その分効力が低いのだという。

 エイルの知る限り、エルデはほとんどをノルンでまかなっていたが、ここぞという場合には特化した杖を使う。ウルズでは呪法と攻撃系のルーンを。ヴェルザンディでは強化ルーンを、そして治癒はスクルド。

 ヴェリーユの宿でファーンを治療する時同様、そのスクルドを出したという事は、ノルンよりも強力で繊細なルーン制御が必要だという事であった。

 エルデが何事かを唱え始めた。治療の開始である。

 エイルとエルデの会話はそれで途切れることになった。ここからしばらくはじゃまは出来ない。エイルも口にはしてみたものの、それは決して進んでしゃべりたい話ではなかった。だからエルデが治療を始めた事は彼にとっても助け船のようなものだった。

 エイルとしては自分の衝動的な行動に対する言い訳を始めようとしていたのだが、それについてはもうエルデからのおとがめはないという事のようだった。

 もちろん、容認しているわけではないだろう。だがエイルはエルデのその一言に「気持ちはわかる」と言われたような気がして心が少しだけ軽くなった。


「ホンマにひどいな」

 一通りの詠唱が終わると、エイルはそう言って杖ノルン……いや、真っ白な杖スクルドを下ろした。治療の間中、鈍く光っていたスクルドが詠唱の終了に伴って発光を止めた。それはつまり、治療が終わったという合図であった。

 ベッドに横たわるアルヴィンの少年は、さっきまでとは別人のような端正な顔立ちで横たわっていた。骨の折れた鼻は元通りになっており、裂けた口も、腫れてただれた肉も全て元通りで、強いて言えばまだ多少目の周りが腫れぼったい、といった感じではあるが、体中にあった痣にいたっては影も形もなくなっていた。

「すごいな……」

 運び込んだ時とはまるで別人のように回復したアルヴィンの少年を見下ろしながら、エイルは感嘆の言葉を偉大なハイレーンに告げた。それは感心ではなく、もはや尊敬の念が込められた言葉であった。

「はん。ウチを誰やと思てんねん」

「いや……お前は本当にすごいよ」

 いつものように胸を反らして冗談めかすエルデに、しかしエイルは真顔でそう言うしかなかったのだ。それほど見事にアルヴィンの少年は回復していた。

「そ、そやな。まあ、やっと感覚が戻ってきてファーンの時よりもルーンの繊細な制御がそこそこできるようになってたしな」

 エルデはエイルの真剣な言葉を受けて少し顔を赤らめると目を泳がせながらそう言った。

「でも、あのままやったらたぶんコイツ、本当に死んでたで。内出血がひどかったわ。あと、一番心配したんは目やけど、何とか失明はとりとめた。眼球破損がひどうて、網膜はなんとか元通りになったけど、形状修復にはもう少し時間をおいて様子を見た上で、再度施術して微調整する必要がある。それでも状態が悪かった左目の視力回復にはしばらく時間がかかるやろな。だいたい内臓損傷させるまでいじめるか? 普通」

 そう言うエルデの気配が一瞬だけゾッとするものに変化したが、すぐに収まった。

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