第四十六話 学校都市ハイデルーヴェン 5/5

「アカン……ことはないだろ?」

 だから一瞬の間をおいてそういうのがやっとだった。

「そやね。何せアンタにはしばらくはウチが必要なはずや。その痣の事を隠すのも手助けをする人間が必要やろ?今のところその事を知っているんはウチとアンタだけやし、ウチは一応、この世界ではアンタが持ってない知識を相当持ってる」

「そうだな」

 おそらく、このままだとアプリリアージェはエルデを仲間として欲するのは間違いないだろう。同道する条件としてエルデがエイルを一緒に連れていく事だと言えば、それはすんなり許可が出るのではないか?

 エルデは暗にそうも言ってくれているのだろうと、エイルは考えた。エルデの言うとおり、側に居てこれ以上心強い味方はいないだろう。

 だが……。

「いつまで経っても、オレはお前に頼ってばかりだな」

 そんな言葉がつい口をついた。自嘲だった。少なくともエルデに対して口に出していってはいけない言葉のはずだった。

 だが、そんなことを口に出してしまうくらい、エイルは自分の為にエルデの行動を制約したくなかったのだ。

 一緒に居たくないのかと言われれば、そんな事はない。もう二年も一緒に旅をしてきた間柄である。もちろん二人としてではなく、一つの体を共有する存在として、ではあるが。だからエルデのいない日常など、エイルは考えられなかったのだ。


「気にする事はあらへん」

 しかしそんなエイルの心情を、エルデはお見通しであった。

「アンタが何を考えてるかくらいは、わかるわ。何せ長いつきあいやしな」

 そう、長いつきあいなのだ。

 だがエイルはエルデほど相手の事をわかってはいないと思っていた。

「ウチの事とかで気に病む必要はないで。ウチにもアンタとは離れられへん理由があるねんし」

 エルデはそう言うと繋いだままの手を強く握ってきた。

「え?」

 エルデの態度に思わずどぎまぎしたエイルがそう声を上げた。

「え?」

 エルデはエイルのその声で、自分が口にした言葉の意味を理解した。

「あ、ちゃうちゃう。誤解や誤解。そう言うんやのうて、別の意味や」

「別の意味?って言うか何が誤解なんだよ」

「いや、そやから……ええっと……ああもうっ」

 エルデは一人でなにやら葛藤をしているようだった。そう言うところを隠しもせずに頭を抱えるエルデの姿を見ると、賢者と言う名前がおよそ似つかわしくないとエイルはいつも思うのだ。エイルの体を借りて居る時と、エルデは何も変わっていなかった。

「これは言いたなかったんやけど……」

 葛藤の結果、エルデは何かを告げる決心をしたようだった。

「なんだよ」

「実を言うと、ウチはまだ不安定なんや」

「不安定?」

 エルデはうなずくと自分の掌を広げて見つめた。

「自分自身に違和感があるんや。精神と肉体が元通り完全に定着した訳やないっちゅう事やろな」

「え?」

「つまりウチの精神がいつこの体から抜けて、アンタの頭の中に戻ってしまうかわからへんねん」

 エルデは吐き出すようにそれだけ言うと、続けて「かんにんや」とつぶやいた。何に対してエルデが謝ったのかはわからない。いらついた声でエイルの気分を害したと思ったからか、もしくは再びエイルの体を奪う事になるやも知れない事への詫びか……。

 だが、どちらにしてもエイルはそういう事かと合点する事ができた。

「側に居ないとマズい、って言うのはそういう意味か?」

 エルデはうなずいた。

「ルーンや呪法と違うて勝手に離れるわけやから、それまで入り込んでいた体、つまりアンタとの距離が離れてるとどうなるかわからへんかなって……」

「ああ、そんな事か」

 エイルはそう言うとため息をついて見せた。それはややわざとらしく、少し大げさなものだった。

「そんな事って……」

 エルデは気色ばんだ。

「わかってるんか?師匠に聞いたんやろ?下手したらアンタは私の精神に……」

「別にそうなったらそうなったでかまわないさ」

「え?」

「何があろうとファランドールに残るって決めた時に覚悟してるさ。だからお前もオレの事は気にするな」

「いや、さすがにそう言うわけにはいかんやろ?」

「はい、この話はここまで」

 エイルはそう言うとフードの上からエルデの頭をポンっと叩いた。

「せやかて……」

「お前が必死にオレの意識が消えないように色々がんばってくれてたって話はシグ・ザルカバードから聞いたよ。だからオレはこう見えてもけっこうお前に感謝してるんだぜ。だいたい、お前も知ってるんだろ?」

「え?」

「オレの記憶は戻ってるんだ。本当ならオレはもうこの世には居ないはずの人間だった」

 エイルはそういうとエルデの頭を、今度は拳で軽く小突いた。

「って……何すんねん!」

「ありがとな」

 文句を言おうとしたエルデの言葉はエイルの一言で空中分解した。言葉を飲み込んだエルデは、真っ直ぐに前を向くエイルの横顔を見つめた。

「色々忙しくてちゃんとお礼を言ってなかったろ」

 エイルはそう言うとまた頭をポンっと叩いた。

「これはお前に拾ってもらった命だ。いや、再生してもらった命って言った方がいいな。だからオレは今度はこの命を誰かの為に使いたいって思ったんだ」

「そやから、フォウに帰らずファランドールに残ったっちゅうんか?」

「オレの力はファランドール向きなんじゃないかなって考えたんだ。……いや、違うな。守りたい人がフォウにはいなかったから、なんだろうな」

「そうか……」

 エルデはそういうと口を閉ざした。


 それ以上はもう何も聞かなかった。そしてエイルがそれ以上何かをしゃべろうとしたら、それを止めようと思っていた。

 フォウには守りたい人はいなかった……そうエイルは言った。

 言い換えるなら、ファランドールにはいると言う事である。ファランドール向きというのは剣技の事であろう。既に剣など競技以外には必要がなくなっているというフォウでは、その競技に対しての興味がないというエイルは、本人の言うとおり居場所がないのであろう。

 その剣技で守るもの……。

 それはさっきまでの話に戻る事になるのだ。

「ウチには選択肢は無いっちゅう事やな」

 しばらくの沈黙のあとで、エルデはそうつぶやいた。

「ネスティを守るエイルを、ウチは守るしかない訳やしな。自分の寝床になるかもしれへん体やし」

「エルデ……」

 その言葉に立ち止まったエイルの唇を、エルデが人差し指で塞いだ。そして左右に首を振った。

「もう何も言うな。ちゅうか、聞きとうない」

 つり上がったエルデの目は、真剣そのものだった。その目には有無を言わさぬ脅迫めいた恐ろしさが込められていた。時々見せるエルデのぞっとする程の闇の成分を帯びた雰囲気を、エイルはその時感じていた。


 エイルとしても本音ではエルデと離ればなれにはなりたくはない。だが自分の勝手な我が儘に巻き込みたくはなかっただけなのだ。だが、自分の体がエルデの役に立つのならば、これほど嬉しいことはなかった。それがわかっただけでエイルはもう満足だった。

 だから逆らうつもりはなかった。

「アンタの方から言うたんやで。『この話はこれでおわり』や」

 エルデの言葉に小さくうなずいたエイルを見て、瞳髪黒色の少女は吊り上げた目尻を少し下ろして柔らかい表情を見せた。そしてエイルの唇に置いた指をそっと離した。

「さ、早いとこ宿を決めな」

 そう言って歩を速めたエルデを、エイルは慌てて追いかけた。

「おいおい、洒落たカフェはどうなったんだ?」

「そやかて、もうすっかり暗くなってもうたやん」

 エルデが見上げる空はいつの間にか藍色に変わり、雲の間にいくつか星が見えていた。気がつけば通りの街灯はほとんど灯されていた。

 エルデの言うとおり、時刻はそろそろ宵であった。


 このあたりに宿屋はあるだろうかと視線を通りに向けると、丁度藤色のローブの一団が最後の街灯に灯りを付け終わったところだった。

「灯火隊だ」

「さっきの連中やな。一通り割り当て区域を回って、ここが最後っちゅうわけか」

 目抜き通りの街灯を担当する灯火隊の一団は、確かに第一広場の街灯のルナタイトを灯していた集団のようだった。全員が藤色のローブを纏い、杖を手にしている。そして中に一人だけ飛び抜けて小柄な人間がいた。エルデはそれで灯火隊を特定したのだろう。

「あれはアルヴィンやな」

 エルデはそう言った。灯火隊はフードを下ろしていて、顔がよく見えた。エイルが目を凝らすと確かに小柄な隊員の耳の先が少し尖っているのがわかった。だが、同時にそのアルヴィンの様子が少しおかしい事にも気付いた。

 彼らはエイル達が見守る中、最後のルナタイトが光り出すのを確認すると、すぐ近くの路地に入り込んだ。


「なあ?」

「言うな」

 エイルの言葉は即座に封じられた。灯火隊のアルヴィンの様子がおかしい事についてエイルが口にしようとした事をエルデは是としなかったのだ。

 それはつまり、エルデもアルヴィンの様子がおかしい事に気付いていると言う証拠であった。

「うちらには関わり合いの無い事や」

 エイルはエルデのその台詞を何百回、いや何千回も聞いたような気がしていた。

 見るな。

 関わるな。

 近づくな。

 そして『誰も信じるな』

 だが、エイルはエルデの忠告を無視するように歩を早めると、灯火隊の消えた路地へ足を向けた。

「エイルっ」

 エルデの制止はしかし、効果がなかった。

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