第四十五話 二人旅 1/2

 推論は外れた。

 エイル達が戻った宿の部屋には誰もいなかったのだ。それでもエルデはあきらめず、テーブルや椅子をひっくり返すとその裏に書き置きがないかと確かめて回ったが、少なくとも彼らにはそれを見つけ出す事は出来なかった。

 エイルはそこでまたもや違和感のある風景を目にすることになった。

 エルデの力……この場合は物理的な腕力の事であるが、それが異常に強いことをもはや見間違いなどと思う事もなく確信していた。

 重そうな大理石の一枚板を天板にしたテーブルなどは、おそらく大人のアルヴでも二人で抱え上げるのがやっとであろうと思われたが、エルデはそれをまるでレース編みの敷物をつまみ上げるように片手で軽々とひっくり返して見せたのだ。


「あ……」

 ひっくり返した二つ目のテーブルをひょいと片手で引っかけて元に戻した時、エルデは自分をじっと見つめるエイルの視線を感じた。

 思わず声を出したエルデはばつが悪そうにすぐに視線を逸らした。

「エルデ、お前さ」

「言わんでもええ!」

「いや……」

「今まで見た事もないような美人で可愛くてか弱い素敵な女の子のエルデがなんでファルもびっくり仰天する怪力女なんや?とか思ってるんやろ?」

「いやいやいや」

 エイルは即座に返すべき言葉を失った。エルデの言っていることは全てが……綺麗で可愛くて一見か弱そうに見えるという部分も……真実だったが、自分の口からあっさり言われるとまず最初にどこに返事をしたものか答えが出なかったからだ。

(いや)

 だが彼はかろうじてエルデの言葉の中に否定できる部分を見つけた。

(可愛くは、ないな。ぞっとするほど綺麗だけど、可愛らしい感じはしないんじゃないか?憎らしいならわかる。ああでも、コイツも笑う時だけは可愛いんだよな……)

 当初からの自分の思考がどんどん目的から離れていこうとしている事に対しての疑問は感じなかった。それはむしろエイル自身も心の中では望んでいた方向だったのだろう。エルデの正体に関わるような事は、本能的にあまり触れてはならないような気がしていたからだ。いや。触れたくなかったのかもしれない。


 エイルは思わずそっと自分の首をさすった。《群青の矛(ぐんじょうのほこ)》ことファーン・カンフリーエが部屋に現れた時の事をふと思い出したのだ。あっという間にエルデに組み敷かれた際にも、恐ろしいほどの腕力をエルデに感じていた。あの時は火事場の馬鹿力のようなものだと思い込もうとしてそれ以上は考えなかったが、どうやらエルデが普通の人間では考えられないような腕力を持つ存在なのは、もう明らかだった。

 強化ルーンのせいだと言って誤魔化されるかもしれない。今のテーブルの件はそれでつじつまを合わせることはできるだろう。しかしルーンを使えないこのヴェリーユに着いたすぐあとのあの事件の前に、しかもあの場ではおよそ意味があるとは思えないような腕力強化ルーンを使ったなどという言い訳が通用しない事をエルデも承知しているはずであった。


「ついでに言うとくと、力仕事は今後ウチに任せようとか思てるんやったら、それは即撤回した方がええで」

 エルデはひっくり返した椅子を元に戻しながら、エイルの方は見ずにそう言った。

「人間がまだオタマジャクシやった時代から、力仕事は男がするもんやって決まってんねん。特にウチみたいなお年頃の女の子にそんな事をさせたらアカン。まあもっともアンタがどうしようもない時には手伝ってやらんでもないけどな」

 エルデは努めて普通の調子でそう言った。自分の不自然な腕力については何もごまかしの言葉を使わなかった。

 エイルはそれが嬉しかった。疑問の解決には至らなかったがエルデは誤魔化す事はしなかった。それは信頼されているという妙な快感となってエイルの心を躍らせたのだ。

「人間ってオタマジャクシから進化したのかよ?」

「……いや、そやのうて」

 エルデの顔が急に赤面した。

「なんだよ?」

「その……あれや。お母さんのおなかに入る前の状態……とか?」

 エルデはそう言うとエイルから視線を逸らせた。何の事を言っているのかをようやく理解したエイルはがっくりと肩を落とした。

「あのな……その時点じゃ性差とかないだろ?」

「た、たとえや、たとえ。話の流れ読んで、それくらい酌み取れっちゅう事や」

 エルデは逸らした目を再びエイルに向けると、にらみつけるように目をつり上げてそう言った。

「ああ、はいはい。それより、これからどうする?」

 エイルは話題を変えた。エルデの言葉を借りるならば、ここは話の流れを読まないといけないのだ。つまり話したくなさそうなエルデから今は無理矢理聞くことはない。信頼には思いやりで答えるべきだとエイルは決めた。

「さっきも言うたけど、その、すぐに人に頼ろうとするクセもそろそろ改めた方がええな」

「いやいやいやいや」

「いや、敢えて言わせてもらお。たとえここファランドールがお前さんにとって異世界であろうが、や。ファランドール側でお前さんが異世界の人間やから言うていろいろ手加減してくれると思うか?」

「そりゃあ……」

 エルデの指摘にエイルは唇を噛んだ。確かに正論だった。今までは心の中に頼れる「案内役」が存在していたこともあり、未知なことに出会う度その「声」に頼ることが当たり前になっていたのだ。

 だがもう心の中で別の声はしない。その声は恐ろしいほどの美貌を持つ少女に姿を変えて目の前に存在している。会話をするためには声に出して考えを告げなければならない、普通の一人の人間として。


「とりあえず、姿と足音を消すルーンをかけて、町中を一通り回ってみないか?買い物をしているネスティとティアナはまだリリアさん達と合流していないかもしれないし、アキラも別行動だっただろう?上手くすれば合流できるかもしれない」

「見つからへんかったらどうするつもりや?」

「時間を決めよう。ハイデルーヴェンに行くのなら水路だと言ったよな?連絡船があるのか?いや、連絡船だと足がつきやすいか。お前は目立つからな。船を調達するのに三〇分程度かかるとして、あとは水路でハイデルーヴェンまでどれくらいかかるかの逆算だ」

「五〇点っちゅうとこかな」

 まとめ上げた考えを一気に告げたエイルに対して、エルデが即座に下した評価がそれだった。

「けっこう不満な点数だな」

「とりあえず連絡船乗り場で待つ。それが一番合理的やろ?」

 エイルは抗議した。

「でも、連絡船なんかだと他人の目があるじゃないか?目立つだろ?」

「よう考えてみ?『陣廊(じんろう)』は機能してへんかった。つまりラウやファーンと違うて面が割れてへんリリア姉さんたちはヴェリーユ側からいまだに特定されてへん。ここまではええか?」

「ああ」

「それを確認したリリア姉さんは即座に次の行動をとる。それは宿に戻ることやなかった。としたら」

「打ち合わせをしてたハイデルーヴェンに向かう、だな?」

 エルデはその黒目勝ちの大きな瞳でじっとエイルを見つめたままうなずくと、短くつぶやいた。

「木の葉を隠すなら森の中」

「あ……」

「下手に船を調達したり盗んだりしたらかえって目立つ。普通の旅人の中に普通の旅人として紛れ込む方が自然やろ?」

 エイルは確かにそうだ、と思った。

 無言でうなずいたエイルにエルデは続けて言った。

「闇雲に町中をうろうろするよりも効率は高い。リリア姉さん達がもうとっくにヴェリーユを出発しててこっちの船着き場で出会えへんとしても、それならこっちはこっちで時間を切って最終のハイデルーヴェン行きの連絡船に乗ればええ。それに、これが肝心やけど」

「リリアさんも同じ事を考えていると言う事か?」

 エルデは今度はにっこりと笑った。

「こっちの船着き場やのうても、向こうの船着き場では待っててくれる可能性もあるっちゅう言う事や。少なくとも船着き場に落ち着き先の合図は残してくれてるはずや」

 エルデの言うとおりだろうと思った。


 エルデの言葉でエイルはヴェリーユに入った時にアプリリアージェがすんなりと見つけた「落ち着き先の合図」の事を思い出していた。

『龍の道』で別れる際にアプリリアージェとテンリーゼンは予めヴェリーユでの落ち着き先を知らせる手段について打ち合わせをしていた。もちろん相手がテンリーゼンだからアプリリアージェが一方的にテンリーゼンに指示を出したという方が正確かも知れない。

 それはル=キリアが普段使う方法で、彼らだけにわかる特殊な記号をその町の中心部、多くの場合は広場の噴水あたりに記すというものだった。暗号を用いるやり方は秘密部隊のル=キリアらしいとエイルは思ったものだった。

 暗号はともかくファランドールの町の構造を考えると合図を置く場所としてはそこが一番合理的だとエイルも思っていた。待ち合わせもそこが一番わかりやすいはずだ。町の大小にかかわらず中心には間違い無く広場がある。巨大な町には多くの広場が存在するが、その場合中央広場という名称で行政関係の建物が面しているので特定できるし、小さな村の場合は共同の水くみ場を噴水に見立てた広場が必ずと言っていいほど存在していた。

 大きな広場には間違い無く噴水や泉があり、旅を重ねて行くにつれファランドールでは水が人間の生活の中心なのだと言う事をエイルはしみじみと感じていたものだった。

 かつてのフォウがきっとそうであったように。


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