第四十四話 新たなる敵 4/5

「さあ、留まっている時間はありません。行きましょう」

 そう言って歩き出したフリストを真っ先に追いかけたのはアプリリアージェだった。

「聞きたい事がたくさんあります、フリスト・ベルクラッセ」

 アプリリアージェはフリストと並んで歩を合わせるとそう言った。

「お気持ちはわかりますが、実のところ私に答えられることはそう多くはありません」

「ベルクラッセ少佐……」

 フリストはアプリリアージェのかけた言葉に首を横に振って答えた。

「元少佐です、ユグセル提督」

 そう言って一度言葉を切ったが、すぐに続けた。

「少佐どころか、私は今はシルフィード王国の人間ですらないのです」

 それは一行がこの日初めて耳にするフリストの寂しげな声だった。

 言葉の意味がすぐに理解出来なかったアプリリアージェに代わって、意外な事にエルネスティーネが後ろから声をかけた。

「あなたは私の事を知っているのでしょう? だから助けてくれたのではないのですか? シルフィード王国の人間として……」

 その問いかけは少しの間その場に沈黙の時間を作り出した。誰もがエルネスティーネの問いかけに対するフリストの答えに聞き耳を立てたのだ。

 フリストは少し間を置くと、さらに寂しげな声でエルネスティーネに呼びかけた。

「カラティア朝シルフィード王国の王女、エルネスティーネ様……だった方」

「きさま!」

 聞きようによっては毒を含んだように思えるフリストの言葉にティアナが即座に反応した。

「ベルクラッセ少佐と言ったな。本物の姫に向かってその言い様は無礼千万……」

「黙りなさい、ティアナ・ミュンヒハウゼン中尉」

 アプリリアージェは後ろを振り向かずにぴしゃりとそう言った。

 いつにないアプリリアージェの強い調子に、ティアナは思わず出掛かった言葉を飲み込んだ。短い一言だったが、ティアナに対する威嚇効果は満点であった。

 普段の優しくのんびりしたアプリリアージェの雰囲気とその声色、さらにはやわらかい言葉遣いに慣らされているだけに、今のような有事になると、その格差は想像以上に感じる。まるでこういう状況で効果を上げるために普段はわざと優しげな振る舞いをしているのではないかという考えがティアナの頭を一瞬よぎった。

 もちろんすぐに、心の中の否定と言う名のゴミ箱に捨て去られたことは言うまでもない。そんな事を普段から行っているような人間など、少なくともティアナの常識の世界には存在しない「はず」だからだ。

「フリストはル=キリアの人間です。まず私に話をさせて下さいな」

 続けた言葉はすでにいつものアプリリアージェに戻っていた。ティアナはわかりましたという返事もできず、アプリリアージェの後ろ姿に小さくうなずいた。


「まずは先ほどのファルの質問に答えましょう」

 アプリリアージェに問われる前にフリストは自ら進んで話し始めた。

「簡単な事です。生を受けたのがシルフィードではないからです」

「どういう意味だ?」

 質問の主であるファルケンハインが反応したが、アプリリアージェは制止しなかった。

「我々は一度死んだのです。比喩ではありません。文字通りの意味です」

「まさか、一度死んで生き返った……とでもいうのか?」

「『生き返らせてもらった』と言った方が正確でしょう。本当に息もなく心臓も止まり、文字通りの死体だったようですから、自分の力で蘇生できたわけではないのです」

「生き返らせてもらっただと? そいつはいったい誰だ?」

「それは今は答えられません」

「今は?」

「我が主(あるじ)の許可が出ていないからです。でもすぐにわかりますよ。事が始まれば、ね」

「主だと?」

 ファルケンハインが言いよどんだ隙を見て、アプリリアージェが質問を挟んだ。

「顔の傷はどうしました?」

「我が主が消して下さいました。ご存じのように私はあの傷を疎んではいないのですが、目が覚めたら消えていたのです。さすがに元通りの傷跡を付けろとは言えませんでした」

「あなたが言うその主とは、ルーナーですか? 高位ハイレーン……」

「それもお答えできません。主の能力に関する情報を口にする事は許可されていないのです」

 アプリリアージェはその件にはそれ以上追求せず、質問を変えた。

「フリスト、あなたは『我々』と言いましたね? あなたの小隊は全員が助かったのですか?」

 その問いにはフリストは素直にうなずいて見せた。

「ありがたい事に全員です。そして全員が主の僕として新しい『生』(せい)を生きています」

 そしてアプリリアージェの笑ったような顔に負けじと微笑んで見せた。そうやって深く笑っているとアプリリアージェに似ていると言えなくもなかった。

「コラードとシリット両少尉の元気な声は、先ほどお聞きになったはずですよ」

 アプリリアージェはフリストの笑顔をあまり見た事がなかった。

 フリストには、その端正な顔を斜めに横切る程の醜くただれた大きな刀傷があった。ある作戦時に負ったその傷は、本来の端正な顔を台無しにしてしまった。その傷がフリスト・ベルクラッセから笑顔を奪ったとは考えたくはなかったが、少なくとも傷を負った作戦以降、フリストは一度もアプリリアージェに笑顔を見せることはなかったのだ。だがフリストはそれを任務に引きずるような弱い心の持ち主ではなかった。それまでと変わらず、いやそれまで以上に風のフェアリーとしてのその高い能力を完璧に制御し、ル=キリアの高級将校を名乗るにふさわしい働きと態度を示し続けた。


 射手としてのフリストとアプリリアージェの能力は「ル=キリアの双黒」と並び称されるほど拮抗していた。アプリリアージェはともかくフリストの方では明確にル=キリア司令を好敵手と見なして技と能力の研鑽には寸暇を惜しまなかった。

 真面目と一言で言ってしまうには軍人としてあまりに一途に過ぎるフリストを、アプリリアージェは危うく感じることもあったが、彼女にはそれを補う良い部下がついていた。もちろん部下の性格を把握し尽くしているアプリリアージェがフリストの下に付けるのだから、その点を考慮しての人選である。

 フリストの口から出たのは三人の部下のうち、二人の男性兵士の名前であった。アルヴのコラードとシリット。どちらも中尉で大気の動きを操る力に優れた風のフェアリーであった。

 二人はル=キリアきってのお調子者と言った性格で、アトラックから生真面目さを剥ぎ取って二十年ほど熟成させたような風格さえ備えた筋金入りの軽口名人だった。

 性格が違いすぎる部下を前に、最初はあからさまに空回りをしていたフリストだったが、もう一人の部下の存在が小隊全体に変化をもたらし、程なくル=キリアでも一番と言われる強力な攻撃力を持つ小隊へと昇華していった。

 だが、それでもフリストは、たった今アプリリアージェに見せた、まるでいたずら好きな少女の様な笑顔を浮かべる人間ではなかったはずだった。

 それはフリストの中で何かが変わったのだという徴なのであろう。生き返ったというのは比喩ではないとフリストは言った。おそらく全ての意味でフリストは新しいフリストになったに違いない。

 アプリリアージェは横に並んで歩く黒髪のダーク・アルヴが、本人の言うとおり、もはやル=キリアのフリスト・ベルクラッセ少佐ではなくなった事を飲み込むことにした。そして彼女の言葉を元に記憶をたどった。

 群衆で最初に大声で異変を告げた声、続いてそれを肯定し、さらに煽った声。その二人がフリストの部下だったのだ。

「なるほど」

 アプリリアージェはそう言うとうなずいた。

「シーレンはいないのですか?」

 シーレン・メイベル中尉。フリストの三人目の部下である。

 アルヴィンの女兵士であるシーレンは、大いなる問題児としてル=キリアに流れてきた。原因はわからない。だがシーレンは心に大きな傷を抱えており、ひとたび戦闘体勢に入ると自我を失った。シーレン・メイベルは白兵戦になると殺戮に没頭する凶戦士に変貌するのだ。表情が凍り付いたようになって戦い続けるシーレンを止める事が出来る人間はそうそういない。自分に向かってくる者には敵・味方の区別なくその剣を振り下ろす。そして彼女に敵う剣術を持つ者はほとんどいなかったのである。それだけ剣士としての能力が高い証拠ではあるが、それは歓迎される能力とは言い難かった。

 普段は良くしつけられた良家の箱入り娘と言った風情だけに、その変貌を初めて見た者は誰しも言葉を失う。

 味方からはアプリリアージェやテンリーゼンよりもよほど忌み嫌われ、その名を口にする事すらはばかられていた兵士、それがシーレン・メイベルなのである。

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