第三十八話 赤い眼の謎 1/3

 アプリリアージェはテンリーゼンに小さくうなずくと、記憶にある「化け物」についての既述を感情を抑えた口調で羅列した。

「マーリンは、人の上に別の種を造った、と言った事が書かれていました。そして『それ』は『人』の天敵であり、捕食者であると」

 アプリリアージェは淡々とした語り口でそう話し始めたが、「捕食者」という言葉が出ると、テンリーゼンはアプリリアージェの方へ面を付けた顔を向けた。

 テンリーゼンが誰かの会話にそういう反応をすることは珍しい。

 アプリリアージェは「本当だ」という風にうなずいて見せた。

「なるほど。他には?」

 エルデは横目でテンリーゼンの様子を興味深げに観察しつつ、アプリリアージェには続きを催促した。いつもと様子が違うテンリーゼンを見てエルデなりに多少の警戒をしているのかもしれなかった。

「『それ』は人と同型。しかし極めて長寿。さらに人と違い三つの目と恐ろしい力を持つ……そう書いてありました」

「ふん。それだけ?」

「――そして、はるか昔。人がそろそろ思い出す事を面倒に思うほど大昔、つまり有史以前に『それ』は人によって滅ぼされた、と」

「十年戦争でアルヴがピクシィを滅ぼしたように、か?」

「……」

 アプリリアージェはエルデの問いには何も答えなかった。答える言葉がなかったからだ。彼女が答えるべき質問ではない。それは問いかけたエルデにも、そしてアプリリアージェにもわかっている事なのである。エルデは答えを求めているわけではない。ただ、そう言わずにはいられなかっただけなのだ。

 少し間をおいてから、エルデは口を開いた。

「天敵で捕食者ね。簡潔な表現やな。でも残念ながら全部事実やしな」

 エルデの一言にアプリリアージェとテンリーゼンに微妙な緊張が走った。だが、さっきの本能の悲鳴が再び心に湧いてくることはなかった。理性がエルデを認め始めていたのだろう。だが、エルデの口から否定する言葉が出なかった事実は、二人にとって大きな衝撃であることに間違いなかった。


 文献の既述は、人を超えた存在である「モノ」に対する「比喩」表現なのだと理性は主張していた。だがそれを「比喩」ではなく「実在したもの」だと本人であるエルデは認定してしまった。

 つまり今この状態は、テーブルを挟んで、カエルとヘビ、リスと鷹、あるいはネズミとネコが対峙しているようなものなのである。

 エルデはゆっくりとした動作で額に垂れている前髪を片手でかき上げた。形の良い白い額が見えたと思った次の瞬間には、そこにマーリンの眼、つまりあの血の色に染まった第三の眼が再び現れた。

 それがエルデの「本来の姿」であった。

 アプリリアージェは沈黙に耐えられなかった。今は何か会話をしていたかったのだ。自分の理性をつなぎ止めておけるもの。アプリリアージェはその時にはエルデとの会話しか思い浮かばなかった。恐怖に溺れる事は無くなったものの、ともすれば頭の芯がしびれたようになる。それは自分自身の放棄につながる。アプリリアージェはエルデではなくそれを恐れた。


 アプリリアージェはゴクリと音を立ててつばを飲み込むと、エルデの顔をまっすぐに見て口を開いた。

「賢者が持つその目は、もしや?」

「ご想像通り『ウチら』 つまり人の天敵の力の象徴みたいなものやな。命の一部と言うてもええ。人にこれを埋め込み一体化させる事によって、賢者が生まれる。人から見たら賢者は擬似的な天敵やな」

 エルデは「これ」と言う時に、自分の額に指先を当てて示した。もちろん、あの禍々しい赤に染まった第三の眼に、である。

「あなたは以前、賢者の修行について話してくれましたが、その中にはその第三の目と適合させる為の調整なども含まれている、と言う事ですね」

 エルデはうなずいた。アプリリアージェにすれば、今まで持ち越してきた多くの謎がこれでいっぺんに解決したようなものだった。

 エルデは続けた。

「ウチは……ううん、ウチらは人を喰らう存在や。ウチ自身も信じとうないけど、それはどうやら本当や。でも、ウチはまだ人を喰ろうてへん」

 アプリリアージェはエルデの言葉に対してどう答えていいかわからなかった。「そうですか」と相づちを打つ訳にもいかない。むしろ「今から喰うぞ」と言われた方が答えやすいだろう。エルデはそんなアプリリアージェの気持ちはわかっているのだろう。さほど間を置かずに話を続けた。

「リリア姉さんは、ウチだけやのうて、もう何人ものマーリンの眼を見たやろ?ほんなら、何か気付かへんかったか?ウチと、他の賢者とでは明らかに違う点が在るはずや。エイルの体を借りてた時も外見上は同じ特徴やから、注意深い姉さんやったら違いがわかるやろ?」

 アプリリアージェは目の前の三眼を持つ黒髪の少女をじっと見つめた。本来の眼が開いている今の姿の方が、そのぞっとする美貌によく似合っているとさえ思われた。まさにこれこそが本来の姿なのだ、と。

 そして、あらためてその三つの眼を見て、エルデの言う「違い」についても理解した。いや。気づいたと言うべきだろう。

「瞳の色、ですね?」

 エイルの第三の眼は他の賢者と同じで血のように赤かったが、元々の二つの眼は黒いままだった。目の前のエルデもエイルの体を借りていた時と同様で、瞳髪黒色のままである。二つの黒い瞳に赤い眼が一つ加わった状態であった。

 アプリリアージェが出会った他の賢者、《二藍の旋律》や《群青の矛》、それに三聖蒼穹の台も第三の眼が現れた状態では、「人」の時と違い三つの眼が全て真っ赤に染まっていたのだ。


「ウチらは一度でも人を喰らうと、全ての眼が赤くなるんや。意味は違うかもしらんけど、一種の成人証明みたいなモノかもしれん」

 エルデは事も無げにそう言うと、髪を上げた手を放した。同時に第三の眼は閉じられ、額にはもうまぶたさえ無くなっていた。

「本当はこんなおぞましい事は誰にも知られとう無い。でも、リリア姉さんは第三の眼の秘密にはきっといつか気付くやろなって思うてた。そやから……」

「だから、あのとんでもないエーテルをまき散らした、と?」

「お二人さんは人一倍感覚の鋭いフェアリーやから多分気付くとは思うてたけど、ウチの予想を超えて効き過ぎたみたいで、さっきはちょっとこっちの方が肝を冷やしたわ。もうちょっと制御出来ると思てたんやけどな」


 アプリリアージェはこの部屋で唐突に生じた恐怖の数分間がエルデの計算だという事をこれで確信した。

「正直言うと、この体に戻ってからエーテルの制御がどうも上手くいかへん。そやから出し過ぎたかも知れへんな。あの時リリア姉さんに雷を落とされてたらと思うと今更ながらマジでゾッとするわ」

 エルデはそう言うと乾いた笑いを浮かべた。

「もしも」

 そう口にしたアプリリアージェの顔にようやく微笑が戻っていた。

「もしもあの時、私が恐怖に飲み込まれてとっさに落雷を発生させていたら、どうなっていたんでしょうか?」

 エルデは苦笑して見せた。

「ウチは自分がしでかしたヘマを恨みながらこの先ずっと生きていくことになったやろな。そうなったらもうエイルには顔を合わせられへんかったと思う」

「なるほど」

 アプリリアージェは首を横に振った。

「私はもっと自分の冷静さに磨きをかける必要がありそうですね」

 エルデはしかし、寂しそうな表情で首を横に振った。

「話は元に戻るけど、エイルには『いらんこと』は言いっこなしで頼む。それから、これでリリア姉さんは心置きなくネスティの応援ができる理由ができたっちゅうわけや」

 エルデの最後の言葉を聞いたアプリリアージェの眼が大きく見開かれた。

「――あなたは……」

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