第三十五話 十年戦争 4/5
「それで」
そう発した言葉がしわがれているのを耳にして、アプリリアージェは自分でも驚いて思わず言葉を吞んだ。いつの間にか口の中がカラカラだったのだ。
慌ててカップの紅茶を全て飲み干すと、あらためてゆっくりと言葉を紡いだ。
「それで、『時のゆりかご』に避難できたピクシィは、あなた一人だったのですか?」
エルデはその言葉に顔を上げた。
微笑むように見えるアプリリアージェの顔が青ざめているのを認めると、エルデは努めて穏やかな声で答えた。
「言うとくけど、リリア姉さんが背負うものとか、今更何にもないんやで」
その短い言葉に、アプリリアージェは不覚にも胸の奥からこみ上げて来るものを感じていた。
(まただ)
それほどエルデの感情の変化は直接的に心の深い部分を鷲づかみにするのだ。
アプリリアージェはそれに必死に抗おうともがいていた。
「結論から言うと、『時のゆりかご』で発見されたピクシィはウチだけや。そやから長い間、忘れられてたんやろな」
いわゆる『十年戦争』について、ここで簡単におさらいをしておこう。
当時ファランドール最大の国土を誇っていたグレイン二世時代のサラマンダ王国が、弱体化していたウンディーネ王国連合の領土に武力侵攻を始めたのが星歴一〇一一年で、この年が「十年戦争」勃発の年とされている。
しかし、それより以前から十年戦争の呼び水となる争いはウンディーネ王国連合内で続いていた。
当時のウンディーネは元々あった王朝が断絶した後、正統を名乗る有力諸侯が各地で独立し各々が国王を名乗り、長く「王国」が林立した状態にあった。戦争勃発時には征服・併吞・合国などが進み、二十ほどに減っていたとは言え、統一された国家とは言い難い状況であった。ただし、大国からの干渉を避ける為に便宜的に「王国連合」を名乗り、外交窓口などを一本化する「場」の様な仕組みが存在していたようである。
ウンディーネ内部で小競り合いが続く中、いくつかの国で家臣に反乱が起こった。
いつ終わるとも知れぬ小競り合いに疲弊した家臣達は狭窄な視野しか持たぬ王を追放、あるいは殺害し、大陸北部進出を伺っていたグレイン二世と通じた。いや、歴史考察的にはグレイン二世側の暗躍が先にあったというべきかもしれないが、どちらにしろ双方の利害が一致してウンディーネ王国連合内に戦争が広がっていった。
サラマンダ王国は、友好関係にある国家の援護という名目でウンディーネ領内に軍を進めた。
それを予測していたウンディーネ王国連邦の他の小国は、それぞれサラマンダの敵対国であったドライアド王国もしくはシルフィード王国と同盟し、大国の軍隊をウンディーネ領内に招き入れた。
三勢力に区分されたウンディーネ領内での戦争は、当初サラマンダの優位で進められた。周到に準備をしていたサラマンダ王国は最初の一年でウンディーネの領土の半分を勢力下に置く事に成功した。しかしドライアド王国がウンディーネではなく直接サラマンダ王国の領土に侵攻し始めると情勢が変わってきた。
元々、早期にいくつかの領地を飲み込み、そこに軍隊を駐留させる事がグレイン二世、すなわちサラマンダ王国側の目論見であった。一度橋頭堡を気付いた上で、機を見て次の段階に進む予定が、ドライアド・シルフィード両国との停戦外交が思いの外難航し、想定よりも戦線が広がってしまったのだ。
ウンディーネからの完全撤退を主張するシルフィードとウンディーネ領内に自軍の駐留を主張するドライアドはサラマンダに対して共に一歩も引かず、闘いは長引いた。
そんな中でドライアド軍に自国を侵されたとするサラマンダは、報復としてまずドライアド王国領土に兵を進めた。また、シルフィードと同盟下にあったウンディーネの小国がサラマンダ領に侵攻したのをシルフィード側による自国侵略だとし、グレイン二世はシルフィード大陸にも軍隊を差し向けた。開戦から三年目の事である。
その頃になるとウンディーネ領内で今度は同盟関係にあったドライアド軍とシルフィード軍の小競り合いが始まり、三つどもえの様相を呈して戦争は泥沼化をたどる事になる。
にらみ合いと小競り合いの繰り返しの中、シルフィード大陸でその悲劇は起こった。
それは星歴一〇一八年の出来事で、十年戦争はすでに七年目に突入していた。
シルフィード大陸南部にある古都スッダの北方五十キロメートルほどの盆地に「ユーラ」という町が当時は存在していた。そこがサラマンダの特殊部隊に襲われたのだ。
ユーラは軍事的にも産業的にも特に重要な町ではない。三方を山に囲まれてはいるものの比較的開けた盆地で、拠点にできる自然の要害とも言えない。有り体に言えば「ただの田舎町」である。
強いて言えば大都市スッダの近郊にあり、豊富な湧水に恵まれた農作物の収穫に適した土地であった。
その非戦闘員だけで構成された町が、一夜にして全滅したのである。
理由は今もって明らかにはなっていないが、出先から戻ったユーラの住民が見た物は、全てが黒い煤にまみれた集落の残骸と、村の広場に高く積み上げられた住民の死体だったという。
そしてそれはただの死体ではなかった。四肢と頭が胴から悉(ことごと)く切り離され、それぞれの部位ごとにまとめられていたのだ。
目撃者にとって唯一救いがあるとすれば、それらは殆ど人物の特定ができないほど焼かれた後だったと言う事くらいであろうか。
ユーラの事件は始まりに過ぎなかった。
第二報はスッダにほど近い港町「アドラ」、そして第三報はその隣に位置する「ログメイ」からもたらされた。アドラはユーラと同様に全滅したが、ログメイには生きて逃げ延びる事に成功した者が居て、犯人がサラマンダの軍隊であることがようやく判明したのである。
町を襲ったのは特殊な能力を持つ、つまりフェアリーとルーナーからなる中隊規模の軍隊で、全員がピクシィで構成されていたという。表現が曖昧なのはあくまでもそれはシルフィード側の文献にそう書かれているからであり、ドライアド側にはそのような部隊が存在した記述は一切見つかっていないのである。
彼らは口々に「アルヴ族は皆殺しにしろ」と叫びながら、とても正気とは思えない殺戮を行っていたのだという。
その痛ましい情報は瞬く間に全シルフィードに広がった。主な情報伝達経路は、当時シルフィードの準国教として王宮内部まで力を伸ばしていたマーリン正教会だった。
彼らがシルフィードの人々に説いた内容は「サラマンダ軍がシルフィード大陸に侵攻してきた」ではなく、「ピクシィがアルヴを皆殺しにしてまわっている」という極めて刺激的なもので、事件の背景や全貌などを飛び越した恐怖と危機を煽るだけのものであった。
ユーラやアドラ、そしてログメイの惨状も、神職にある者が「神を畏れぬ行為」だとして尾ひれをつけ、憎しみと恐怖をあらん限りに煽った。
実際はその後のシルフィード軍の大規模な掃討作戦により、件の特殊部隊は壊滅させられた事になっているのだが、その頃にはもはや誰も冷静に真実を吟味する心の余裕はなく、噂は一人歩きをはじめていた。
多くの町や村がどんどんピクシィに襲われ、言葉にするのもおぞましい程の陵辱を受けて皆殺しにされ続けているという話がまことしやかに、そして風のような速度で広大なシルフィード大陸に広がっていった。
その間、王宮に入り込んでいた神官達は執拗に要人を煽り続けたという。アルヴ族の軍人が、その噂を聞いて冷静で居られるはずなどはなかった。
いや、冷静に真実を見極めようとした人間もシルフィード王国内部には少なからずいたのは確かであろう。しかしシルフィード軍はユーラの事件に端を発した事件により、ピクシィに対する憎悪に取り込まれ、耳元で囁かれるマーリン教会の神官の言葉でその憎悪を定着させたのだ。彼らは言わば集団催眠のような状態の下で作戦行動を遂行していったのである。
シルフィード内のマーリン正教会がなぜそのような扇動行動をとったのかは謎である。それというのもサラマンダの特殊部隊と同様、そのような事実は少なくとも正教会の文献には記されておらず、あくまでもシルフィードの公式文書による「言い分」しか残っていないからである。
アルヴ系人類のピクシィに対する憎悪は、当然ながら全ての戦場に伝播した。
ピクシィ虐殺の始まりである。
それでもはじめの頃のシルフィード軍の行動はまだ何とか戦争と呼べる範疇にあった。敵軍の中にピクシィの兵を見つけると、シルフィード兵は危険をものともせず、闇雲にその兵目がけて攻撃をかける程度であったが、その後だんだん常軌を逸した行動が目立ち始めた。
ある部隊は相手にピクシィが所属する小隊を認めると、要衝の確保を放棄してその小隊目指して一個大隊を動かした。
降伏の意思表示は当然ながら無視されたのであろう。
その後は軍事行動の目的が拠点確保や補給路の寸断・保持などはそっちのけで、ピクシィの殲滅にすり替わって行くのに時間はかからなかったという。その為に全滅したシルフィード部隊も少なくはないと伝えられている。
その狂気が軍全体を覆い尽くす頃には、相手が兵士であろうが非戦闘員であろうが、ピクシィであれば無条件に殺害する事をためらわなくなってゆく。
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