第三十四話 四冊の本 3/4

「いったい何の話をしている?」

「まったく、子供に妙な本を与えるもんじゃないね。おかげでボクはこんな人間になっちゃったんだからね。まあ、あの本を読んでなければ貴族学校なんかには行かなかったろうから、見方に依っちゃあ、あの本は君に巡り会わせてくれた恩人だといえなくもないけど」

「何が、書かれているんだ?」

「そうだな。近い話では正教会が何の目的で生まれたのか、そもそも三聖とは何者か、さらに言えば賢者とは何なのか……」

「それが、全部真実だと?」

「ボクはね。その本は頭のおかしいヤツが妄想で書いたと思いたかったんだ……」

 アキラの質問に、ミリアはそう答えた。いや、ミリアの言葉がアキラの求めた問いに対する答えになっていただけである。彼はアキラの目をじっと見つめながら、寂しそうな表情で淡々と「本」についてしゃべっていただけだった。

「いやあ、後頭部を石鎚で打たれるとはまさにあのことだろうねえ。最初はペトルウシュカ家の図書館だ。知っての通り古い家柄だからね。文献の古さにも定評がある。だからボクはまずは手近なところからその本の考証をおこなった。もちろんその本に書かれている内容をすべて考証できる程の資料はない。だいたい本に書かれている事の検証を本に書かれているものでやろうっていうこと自体が愚鈍な行為だろう? だから検証する為の切り口は多ければ多い方がいい。それも歴史書みたいなものだけではダメだ。そもそもボクに言わせれば過去に起こった事実なんていうものは歴史書には書かれていないものだからね。だからボクは世界中の主要な書庫を探って回る事にしたのさ。わかるかい? まだおねしょが治らないガキの頃から、ボクは人殺しの歴史を調べて回ってたんだ」

「誰なんだ、その本を書いた人物とは?」

 ミリアはこのアキラの質問には首を横に振って見せた。

「知らないアルヴのお兄さんさ。いや、お爺さんかもしれないな」

「なんだと?」

「名前もわからない。そいつは突然目の前に現れて『お前に面白い本をやろう』と言ったんだ。そしてこうも言った。『この本に書かれている事は全部事実だ。この本をお前がどう使うのかはお前の好きにしろ』ってね。そして消えたのさ。それきり会っていない」

「それだけを言ったのか?」

「いや」

 ミリアは意味ありげに唇の端だけで笑った。

「ファランドールにその本は全部で四冊あるそうだ。本の表題は全て同じだが、副題がそれぞれ違うらしい。内容については基本的なものは全て同じ。だが、それぞれ記載されていない事柄がある。それから、読むにあたってはいくつか決まり事も言い渡された」

「決まり事?」

「知らないお兄さん曰く、

 一、一般に検証・考証されている事柄以外については、本の内容を他人にしゃべってはならない。

 一、本は絶対に他人に見せてはならない。また見られてもならない。

 一、本を焼却、破壊、あるいは遺棄するなど、自発的に手放してはならない。

 一、以上の決まり事に違反した場合、持ち主の最も大切な人が死亡、もしくは死んだ方が幸せだと思える程の不幸になる」

「なるほど。いかにもな話だな。ますますその作者に興味が湧いてくる。ただの酔狂ではなさそうだ」

「いや、酔狂なのかもしれない」

「何だと?」

「いや、それはまあいいさ。どちらにしろ巧妙ではある。自分の命はどうなってもいいと思う時はあるだろうが、自分にとって最も大切な人間が死ぬかもしれないと言われると、従わざるを得ないだろう? 何せ、それがいったい誰なのかは本人にもわからないんだからね」

 アキラはうなずいた。

 それはそうだ。一番大切な人だと本人が思っていても、それが果たして本当にそうなのかという保証はない。

 だが……。

「その、一番大切な人の判定は誰がやるんだ?」

「本だろうね」

 ミリアは即答した。

「いろいろ考えたけどそう言う結論に達したんだ。ボクはまず本を所有する際に、血を使って本と契約させられた。なにやら妙なルーンなり呪法なりがかけられた本なのは確かだ。つまり普通の本じゃないってことさ」

「君は、本の作者だという人間にアタリがついているんじゃないのか?」

「もちろん候補者はいるさ。相当高位のルーンか、あるいは複雑で強い呪法を本に練り込める人間が、そうそういるわけじゃないだろう?」

「それはそうだが」

「でも、そこまでさ。本人に再び会うまでは単なる推測に過ぎない。それよりも問題は別の所にある」

「問題?」

「言っただろう? 記述内容が少し違う本がファランドールには四冊あるんだぞ?」

「つまり、ミリアのような人間が四人いる、という事か?」

「正確にはボクを入れて八人だ」

「本は四冊じゃないのか?」

「その作者が酔狂でやっていると思ったのはそこさ。彼は何の為に四人の人間に本を手渡したんだと思う?」

「自分の知識を誰かにひけらかしたい、という事ではなさそうだな」

「当たり前だ。それだったら普通に学会などに発表すればいいのさ。本にして流通させてもいいだろう。そうすれば考証資料なんかなくとも話題にはなるだろうし、多くの人の目に触れさせることもできる。つまり、作者はその特別な本を手にした人間が、その内容を知った後にいったいどういう行動をとるのかを眺めて楽しんでるのさ」

「まさか」

「まさか、かもしれない。では良いように解釈すればこうなる。彼は事情があって自分では行動できない。だから本を渡した相手に何かをして欲しいと思っている」

「ふむ」

「どちらにしろ本を手渡された人間にとっては同じ事さ」

「なるほど。では、本の持ち主ではない、後の四人とは?」

「その特殊な本の持ち主が誰かを知らされている人間が一冊の本につき一人ずついる」

「え?」

「わかりやすく言おう。本の作者は本をボクに手渡した。次にその作者は自分の本をミリア・ペトルウシュカに手渡した事を一人だけに教えているんだ。だが、本の持ち主にはそう言う人物が一人いるとだけ知らされて、誰だかは教えてもらえないのさ」

「いったい何の為に?」

「監視なのか、本の持ち主に常に精神的な圧力をかける為なのか、それはわからない。まあ、本をただ与えるだけじゃ面白くないと思ったのかもしれない。一つ言えるのは、その人間にもそいつは同じ「決まり事」を押しつけているだろうって事さ」

「君は、そのもう一人を知っているのか?」

「それは君には関係の無い事だよ、アキラ。言ったろう? アプサラス三世の死が、ボクの想定を超えて急激に情勢を変化させてしまった。だから君とボクの関係はここで終わりにしないといけないんだ」

 ようやく話が元に戻った。アキラはそう思った。だが……

「しかし」

「君はエスカを守れ。エスカが知らない事を君はもう知っている。それはエスカにとって大きな武器になる。エスカの代わりに君はいろいろと経験をしたようなものさ」

「おい、まさか最初から……」

「ともかく、これからボクはボクのやりたいようにやる。それだけだ」

「待て、他の、あと三冊あるその本の持ち主は誰なんだ?」

 ミリアは首を横に振った。

「わからない。わかればこんな苦労はしないさ。言い換えるなら、ボクの事も誰にも知られていないはずだよ。本の作者が何を基準に持ち主を選んだのかがわからない限りはね。もっとも、何らかの力を持っている人間を選んでいるのは確かだろう。僕自身がいい例だ。問題はその『力』がどんな力なのか、さ」

「もう一つ教えてくれ。その本には表題と副題があると言ったな? 何という物語なんだ?」

 アキラのその問いには、ミリアはあっけなく答えた。

「その本の表題は『合わせ月の夜』 そしてボクが持っている本の副題は『深紅の綺羅』 知っての通り三聖の名だよ」

「『合わせ月』だって?」

 ミリアはうなずいた。

「その本を読めば、『合わせ月』とは一体何なのかがわかる仕組みになっているんだ。ただし、一冊に書かれているのはすべてじゃない。完全に知りたければ四冊揃える必要がある。つまりボクは四分の一を知らされているだけさ。こうなると残りの謎とは一体何なのか知りたくてたまらなくなる。どうだい? 巧妙な遊戯だと思わないかい」

 アキラは息を吞んだ。ミリアの言葉の意味するところを悟ったのだ。

 そう。ミリアはその四冊を全て手に入れようとしているのである。それはアキラがミリアに聞かされていた「計画」とは全く違う目的であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る