第三十二話 再会 2/3
「あらあらまあ。予想以上の反応ですね」
氷付けのルーンがかかったようなその場の沈黙を最初に破ったのはアプリリアージェのゆったりした柔らかい声だった。
「皆さんには私から紹介しましょうか?」
瞳髪黒色の少女、つまりエルデ・ヴァイスを見つめたまま、固まったように動かないエルネスティーネとティアナを見て、苦笑しながらアプリリアージェがそうエイルに声をかけた。
エイルはエルデと顔を見合わせるとうなずいた。
二人のその何気ない様子を見て、エルネスティーネは胸の奥に何か小さなとげがチクリと刺さるような痛みを感じた。それはさっき感じた、彼女にとって未知の感情が生む痛みだった。
「こちらは剣士のエイル・エイミイ君です」
アプリリアージェは少し悪戯っぽく微笑みながら、そう言って部屋の中にいるヴェリーユ滞在組を見渡した。
「はい、それは知っています」
ティアナはまじめな顔でそう言った。
「私が知りたいのはそちらの、その」
「ふふふ」
アプリリアージェはティアナが口ごもるのを見て、楽しそうに小さく笑った。
「皆さんにとっては見知らぬ姿をしたこちらのお嬢さんですが、実は皆さんもよく知っている人なんですよ」
アプリリアージェがもったいぶったようにそう言うと、今度はティアナとエルネスティーネが顔を見合わせる番であった。
「いえ。私は瞳髪黒色の人間はエイル以外に存じません」
ティアナは怪訝な顔をアプリリアージェに向けるとそう言った。しかし、アプリリアージェの回答はさらにティアナ達を疑問の渦の中に突き落とすものだった。
「いえいえ、今はここにいないようですが、メリドさんやアモウルさんもあなたたち同様、きっとよくご存じの方なんですよ」
アプリリアージェはそう言うと再び小さく声を出して笑った。
「リリアさん、楽しんでいるのはよくわかりますが、もうその辺にしておいてあげてはどうですか」
混乱しているエルネスティーネを見かねて、ファルケンハインがそう声をかけた。
アプリリアージェがもったいを付けている間も、瞳髪黒色の少女はエイルにぴったりと寄り添ったまま離れようとせず、左手はずっとエイルの服の裾を摑んだままだったのだ。心優しいファルケンハインは、その様子がエルネスティーネにもたらす感情を思いやっていたのである。
「すぐにわかると思ったんですが、意外に辿り着かないものですね。では改めて紹介しましょう。実はこちらのお嬢さんは……」
アプリリアージェは意味ありげにそこで言葉を溜めた。その間に耐えきれず、エルネスティーネがゴクリとつばを飲んだのが、喉の動きで皆にはわかった。
「実は、エイル君の妹さんのマーヤさんです」
「ああ!」
芝居気たっぷりにそう告げたアプリリアージェの言葉を聞くと、ファルケンハインは思わず手で顔を覆い、エルネスティーネは目を大きく見開いて、納得がいったという風に手を叩いた。
しかし、
「ちゃう!」
「違う!」
瞳髪黒色の二人は同時にアプリリアージェの説明を強く否定した。
エルネスティーネはハッとして呪縛から解かれたように息を吸い込んだ。
彼女は一瞬、つまりエイル達が否定するまでのほんの短い時間だったが、アプリリアージェの言葉をそのまま信じたのだ。それは理性ではなく、耳から入る音に感覚が反応したような理解の手順だった。何がどういう理由でそうなっているのかはわからなかったが、エイルと同じ瞳髪黒色の少女が彼がずっと会いたがっていた妹だと説明されるとむしろ納得がいった。
だが、もちろんその納得は一瞬で否定された格好になった。
そもそもマーヤはフォウに居るはずなのだから。
「出でよ、ノルン」
マーリン正教会の賢者エルデ・ヴァイスは業を煮やしたように右手を前方にまっすぐ突き出すと、そう小さく告げて精杖を取り出した。
その台詞と一連の仕草に、エルネスティーネはもちろん見覚えがあった。
目の前の瞳髪黒色の少女の手には一瞬で黒・茶・白の三色の木で撚られた精杖が握られた。つまり、それが視覚的な自己紹介のようなものだった。
精杖ノルンを呼び出す者。
エイル以外にそれができるのはただ一人である。
しかしそれでもまだヴェリーユ滞在組があっけにとられてたまま口をぽかんと開いている様子を見て、その怜悧な顔の美少女は口を切った。
「二人とも、鏡を見た方がええで。額に入れて飾っときたい程に見事な間抜け面や」
「え?」
その毒舌にティアナが反応した。
「マーヤやない。ウチの名前はエルデ。エルデ・ヴァイスや」
古語でエルデがそう自己紹介した後に訪れた一瞬の沈黙を、エルネスティーネとティアナが一斉に悲鳴のような声を上げて破った。
「ええええええ?」
エルデは一同の反応に苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべてため息をつくと、すぐ横のアプリリアージェを睨んだ。
「リリア姉さん、笑い過ぎや。人を遊びのネタに使わんといて欲しいな」
エルデの声に一同がアプリリアージェに視線を移すと、そこには腰を曲げてうつむき、笑い声をこらえているダーク・アルヴの姿があった。
勿論、ティアナはアプリリアージェが涙を浮かべるほど無防備に笑うそんな姿を見るのは初めてだった。
「『時のゆりかご』でエルデの本体が目を覚ましてからこっち、リリアさんはずっとこんな調子で、ずいぶん楽しそうなのだ」
ファルケンハインがそう説明にならない説明をした。
「まったく」
エルデも呆れたようにそう言った。
「ちょっと待ってください。エルデって、お、女の子だったのですか?」
エルネスティーネはそれだけ言うと頭を抱えた。
「聞いてません。初耳です。だって……」
そしてキッと目の前の瞳髪黒色の少女を睨んだ。
「確かに、これは驚きの事実です。失礼ながら私はエルデはぶしつけな少年だと思い込んでいました。瞳髪黒色の、その……こんなに美しい女性が『あの』エルデだと言われても俄には信じられません」
ティアナもうなずいた。
エルネスティーネは改めてエルデの姿を頭の先から足の先まで見回した。
「でも、精杖は確かに賢者エルデが手にしていたものですね」
「信じられないのも無理はないが、この子は間違いなくあのエルデ・ヴァイスだ」
ファルケンハインがそう念押しをした。
「と、言うことは」
ティアナはエルデをまじまじと見つめると尋ねた。
「貴様、男を装っていたという事なのか?」
「そう言うことみたいだな。それについては体を貸していたエイル本人が一番驚いていたくらいだ」
ティアナの問いに、ファルケンハインはそう答えると、肩をすくめて見せた。
エルネスティーネは一歩エルデの方に近づくと、尋ねた。
「本当に本当に、あのエルデ・ヴァイスなのですか?」
「『あの』が『どの』かはわからへんけど、ウチはエルデ・ヴァイスや。コイツの頭の中に入ってたけど、『龍墓』、つまり『時のゆりかご』にあった自分の体にやっと戻れたっちゅうことや。そやからええ加減珍獣を見るような目でウチを見るのはやめて欲しいもんやな」
エルデは『コイツ』と言う時に右手に持った精杖の頭頂部をぞんざいにエイルの方に向けた。だが、左手はそれでもエイルの服を摑んだままだった。
「は……」
「は?」
声を出しかけて止めたエルネスティーネに、エルデは反応した。
目は普通にエルネスティーネを見ただけだったが、当のエルネスティーネは、エルデに睨まれたように感じて上体を思わず引いた。
はっきりとした大きな目をしているエルデだが、目尻が少し上がっている事もあって、普通にしているだけで相手を睨んでいるように見える。さらに、エルネスティーネからすると、澄ましているエルデは機嫌が悪いようにしか見えなかった。だが、エルネスティーネが感じたのはその顔の造作だけではなく、エルデが纏っている空気の持つ力のようなもので、ただそこに立っているだけで気圧されてしまっている自分を発見して驚いていた。
「初めまして、でいいのでしょうか?」
「いや、それは」
エルデは眉根に皺を寄せると、目を閉じてふうっとため息をついた。
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