第二十五話 賢者の法則 3/4
エルデの言葉を受けて、全員が申し合わせたかのように周りを見渡した。
エルデの話を聞きながら、二時間くらい歩いた気がしていた。だがその道は天井の高さが闇でわからず、左右は継ぎ目のないなめらかな岩の壁が続いているだけの、まったく変化がない単調な通路だった。景色とも言えないその光景の中の移動は、距離の感覚を狂わせていた。加えて時間の感覚も希薄な場所である。エイルにはいったいどれほどの距離を歩いたのか、さっぱり見当がつかなかった。
「本当にここなのか?」
何の目印もない、ただの通路の途中だった。その場所を特定させる目印のようなものは一切無い。少なくともエイルの眼には見つける事は出来なかった。
それはあるエイルの記憶と重なった。
エルデのそれは、何の変哲もない山道でいきなり立ち止まって「龍の道」の入り口を告げたメリドと同じような行動だった。
エイルの疑問には答えず、エルデは精杖ノルンをその場で掲げて見せた。頭頂部にあるプリズム「マーリンの導(しるべ)」がぼんやりとした光を放ち輝いてた。
エルデはゆっくりと振り返ると、黒目がちのその大きな瞳で一行を見渡した。ややつり上がったように見える切れ長の目は、その場に居る全員を刺し貫くかのような鋭く強い力を放っていた。
それがエルデの真顔、いや普段の顔なのだということを、エイルはようやくわかってきていた。少し怒っているような、ややもすると冷たく近寄りがたい表情を浮かべるエルデの纏う雰囲気は、言ってみれば真顔が笑顔のようなアプリリアージェのそれとはまるで正反対と言えた。
エイルはエルデと対峙するように立っているアプリリアージェをチラリと見やった。もちろん、彼女はいつものように優しい微笑を浮かべて、エルデの視線を柔らかく受け止めていた。
「ここを出たら、ヴェリーユに着く」
エルデはそう言うと、全員にもう少し近くに寄るように指示を出した。
「それから、重要な事やから最初に言うとく。ヴェリーユでは下手にルーンが使われへん」
「それって、まさか」
「いや、エアやない。あれとはまた異質な結界や」
アプリリアージェが言い終わらないうちにエルデは首を横に振って否定した。
「新教会本部の建物の中には擬似的なルーンの無効結界はあるけど、あれはエアと呼ぶにはややお粗末や。それよりヴェリーユは町全体が大きな精霊陣で囲まれてて、町中でルーンを使うとすぐに感知される。感知専門のルーナーが年中見張ってるんや」
「ふむ」
「そやから言うて、ここであらかじめ強化ルーンをかけるわけにもいかへん」
「何故だ?」
エイルはまさにそれを提案しようとしていたのだ。それというのもエルデはエイルの中にいる時、『念のため』の強化ルーンにかなりこだわっていたからだった。
「何度も言うたけど『時のゆりかご』は現世とはちょっと違う空間やから、ここでルーンを掛けても空間を移動したら全部剥がれる。だから体力と気力の無駄やねん」
「なるほど」
エイルはそう言って納得したが、アプリリアージェはエルデの言葉の中にある矛盾に気付いた。
「それはおかしいですね」
「おかしい?」
「こちらへ来る時、エルデは私達に体力をかさ上げする強化ルーンを掛けてくれたではないですか」
エイルはアプリリアージェのその言葉を聞くと、冷ややかな表情を崩してニヤリと笑った。
「あの話はネスティ達をここに来させへん為の脅しや。ウチが用意したのは仮死状態からでもまずは間違いなくちゃんと回復するように作った薬やねんから。でも端(はな)からそんなこと言うたら全員来ることになりかねへんやろ?でもまあ、リリア姉さんは何を言うても来ると思ってたけどね」
「全員来るとまずい事でもあるのか?」
これはファルケンハインだ。
「あの時点では『時のゆりかご』から確実に帰れる保証はなかったんや。ウチの本来の計算やと、帰れる可能性は文字通り一割くらいやった」
アプリリアージェは合点がいったという風にうなずいた。
「わかりました。我々がこうしてエルデの先導で帰れるのは実に幸運だということですね」
エルデはうなずいた。
「エイルはフォウへ帰れるから問題ない。でも師匠には『時のゆりかご』に入った人間を外に誘う術(すべ)はない。ウチがエイルと別れて別の形で意識を取り戻す可能性は低い……とまあそういうわけや」
「意識を取り戻す可能性は低かった?」
アプリリアージェは訝しげにエルデを見つめたが、エルデはふと何かを思い出したかのように顔をエイルに向けた。そして目をいっそうつり上げるとエイルを怒鳴りつけた。
「忘れてた!」
「え?」
「エイル、アンタが何でここにおるねんっ!」
「は?いまさら?」
唐突なエルデの言葉に、エイルは面食らった。
「いの一番に言いたかった文句や!記憶喪失の振りとか色々あってすっかり忘れとったわ!」
「いや、そのまま忘れてくれてもよかったんだが」
「やかましい!せっかく例の呪法とアンタにとっての異世界、ファランドールから解放されたのに、何でフォウに帰らへんかったんかって言うてんねん」
「いや……オレはフォウじゃなくて、ファランドールの人間になろうかなって……」
「何で?何でそんなスカポンタンな事考えるねんっ?」
「何でって言われても、こっちに居たかったって言うしか」
エルデは精杖ノルンをドンっと床に突き下ろして、いらだちを表した。その態度とつり上がった目、そして纏う怒気は、怒られている当事者ではないファルケンハインが思わず一歩後ずさる程の迫力があった。
「ふん、おおかたネスティと離れたくないから、とかそういうスケベ心からやろ」
「なんだと」
「まったく、人がせっかく元の世界に帰れるように苦労してお膳立てしたったのに。だいたい……」
「待てよ。ネスティの事もあるけど、それよりオレはお前と直に会いたかったんだ」
くどくどと続きそうだった繰り言を遮るようにエイルがそう言うと、エルデの表情が一瞬で柔らかく変化した。
「え……ウチに?」
エイルはうなずいた。
「オレはお前とちゃんと会って、じっくりと話したかったんだ。聞いてみたい事も山ほどあった」
「エイル……」
「それに、本当にオレはファランドールにはもう未練はないんだ。《真赭の頤》が呼び出した扉を開いた時、フォウの世界が、オレの暮らしていた場所が少し見えた。それを見てオレは思ったんだよ。オレは自分のいた世界にはもう何の未練もないんだって。お前に連れてこられたこのファランドールで生きようって」
エイルのその言葉を聞いたエルデの顔がさらに柔和なものに替わると、今度はすぐに頬が上気していた。
エルデはエイルに何かを言いかけたが、先にエイルが口を切った。
「それに」
「それに?」
オウム返しにそう尋ねる長い黒髪の美しい少女に見つめられて、エイルは思わず目をそらすと、敢えてぶっきらぼうな声で言った。
「それに、お前をぶん殴らないと、数々の罵詈雑言にただただ唇を嚙み続けてきたオレの気が収まらないじゃないか」
その言葉を聞いたエルデの顔はまたしても一瞬で変化した。紅潮した頬はそのままだったが、目尻が一気につり上がった。
「な・ん・や・て!」
「だってそうだろ」
「ちゃうちゃう。エイルはさっき言うたやろ?もう怒ってへんからって。せやからぶっ飛ばされるいわれはもはやないはずや!」
「あ……。汚えぞ、お前。あれはお前が記憶喪失だって思ったから不憫になって思わず口にしてしまった心にもない言葉であって、だな」
「男に二言はないはずなんやろ?エイル、いっつも言うとったやん」
「いやいやいや、汚え。お前はマジで汚えぞ。根性が腐り切ってる!」
「切ってるんか?完全腐敗か?泣き虫ウジ虫のくせによう言うた!一体どの口が……」
その時。
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