第二十一話 移魂の呪法 1/2

《真赭の頤》はその優しい視線を寝台の少女から外すと、そのままの表情で振り返った。

「この黒髪の賢者はどうしようもない落第生でな。その話は本人から聞いておるかな?」

 それはエイルに向けられた質問だった。

 エイルは問いかけにゆっくりと首を左右に振った。

「いえ。あいつは自分を天才ルーナーだとか、師匠ですら自分の足下にも及ばないだろうとか……自分が世界で一番だ、みたいな自慢とも強がりともとれる話ばかりしていました」

 エイルの答えを聞いてシグは可笑しそうに笑って見せた。

「余の弟子はそう言っていたのか?」

 エイルはこっくりとうなずいた。

 シグは今度はアプリリアージェの方を振り返った。

「黒き瞳を持つ我が弟子は、常に誇り高く自信に満ちた態度で事にあたっていたであろうか?」

 アプリリアージェ達三人は、その質問に同時にうなずいた。エイルなどは三回もうなずいて見せた。

 シグは「なるほど」と言って横たわるエルデの髪を優しく撫でた。

「どこにあろうと、どういう状況になろうと、あなたは相変わらずなのですな」

 シグは視線をエルデに注いだまま、なかばつぶやくように後を続けた。だがその言葉はエルデに向けたものではなかった。

「お前の中にいたエルデ・ヴァイスが余に頼み込んだのは『喰らい』の解呪ではなく、はからずも自らがフォウの住人に使ったある呪法の解除じゃ。そもそも『喰らい』は我が小さき弟子ほどの存在であれば、その気になればおそらく自身でいつでも簡単に解けるものだ」

「え?」

 

 エイルはまたもや頭を殴られたような衝撃を受けた。

(俺たちは『喰らい』を解呪してもらう為にあんなに辛い旅をしてきたんじゃなかったのか? )

 それなのに、エルデがその気になれば自分でいつでも解けたとシグは言う。

(存在しない妹をでっち上げた件といい、こいつは一体何を考えているんだ? )

 エイルは横たわるエルデの顔をじっと見つめた。


「必要なのは『喰らい』の解呪などではなく、『もう一つの別の呪法』の解除?」

 無言のエイルに変わってアプリリアージェが口を開いた。勿論彼女達とて話が違うと思ってはいたが、一番混乱しているのがエイルだということはその表情を見ればわかった。少なくともエイルがアプリリアージェ達に噓をついていたとは思えなかった。

 そして大賢者の言葉に混乱しているエイルが的確な問答には臨めぬであろうということも。

 アプリリアージェはここへ来て「時のゆりかご」に入る前にエルデが言っていた『現世とは時間の流れが違う』という言葉を気にし出していた。

 できればあまり長居はしたくない。そう判断をして、混乱したエイルの会話を受け継ぐことにしたのである。


 アプリリアージェのその問いに大賢者ザルカバードはうなずいた。だが、大賢者はアプリリアージェにではなくエイルに言葉をかけた。

「異世界フォウのピクシィよ。ファランドールでは名をエイル・エイミイと言ったな。その様子だとそちには一切知らされていなかった様子」

 エイルはうなずいた。

「説明をしておいてやろう。よいか、お前にかかっていた呪法とは、肉体を共有する憑依呪法などではない」

「え? どういう事だ?」

「余の弟子が使ったのは、自らの魂を相手に移し、そこにある魂を滅し、肉体を支配する為の古代呪法じゃ」

「魂を滅する?」

 エイルのつぶやきにシグはうなずいた

「肉体共有なんかじゃなくて、乗っとる呪法だって?」

「左様」

「ちょっと待て。それって」

 エイルはつばを飲み込んだ。

「お前にわかるように言い換えれば、あれは相手の肉体を我が者として支配する呪法なのだ」

 シグの答えはエイルが想像していたものだった。だが、もちろん納得出来る答えではなかった。

「でも、現にこうしてオレは!」

「今回の一連の問題はそこなのだ、フォウのピクシィ。我が弟子は、お前を乗っ取る事をよしとしなかったのじゃ」

「でも、あいつに体を預ける預けないは、オレの意志でやってましたよ?」

「弟子がそうお前に思わせていただけのことであろうな」

「まさか」

「全てを聞いたわけではない。だからこれは余の想像に過ぎぬが、おそらく余の弟子はお前の意識が消滅してしまわぬよう、あらゆる手段を使い、最大限の努力をもってそれをなしていたのであろう。考えてみよ。思い当たる節があるのではないか?」

「思い当たる節……」

「あの忌まわしい『喰らい』の呪法を自らにかけたのも肉体に呪術的な負荷を与えてお前の意識をそこに向け、薄らぐことなく現在にその魂をつなぎ止める為であろう。特定の呪法は生への執着を何倍も高める働きがある。もともと『喰らい』は太古において生贄となった者の魂の力を高める為に使われていたのだ。体の制御を余の弟子の魂に委ねる・委ねないという選択がお前にあると思わせることで、さらに意志の存在を強めることもできたのであろう。思い出してみよ。お前の意図しない時にあの方が体を使えたことがあるはずだ。とっさの危機などはなかったのか?」


 言われてみれば思い当たる節が何度かあった。

 ラウ・ラ=レイと対峙した時がそうだった。それに……。

 エイルは思い出した。

 ついさっきもそれで体の制御を失ったのだ。


「いくら余の弟子が尋常ならざる力をもってその浸食を押さえようとも、古代呪法『移魂(いこん)』は時間が経てばやがてじわじわとお前の意識を滅する事になる」

「その期限が、『合わせ月』だとエルデは言っていたということですか」

 賢者シグはうなずいた。

「お前の意識がどれくらい保つかは我が弟子の力とお前の意識の強さ次第であったろうが、さすがに『合わせ月』まで保たす事は出来ぬ相談である事は弟子とてわかっていたはずだ。期限を後側にずらして教えておくのも一つの目標を与える事になる。あまり近いと絶望が勝つ。望みがあればそれはすなわち生きる意志を強める為の薬の役目を持つ。しかし」

「しかし?」

「それももう先が見えておったようだ。お前は本当にもう限界だったのだ。そしてこの『時のゆりかご』に入った時に、その限界が加速度的に訪れた。だからこそ余の弟子は焦っていた。まさに一刻を争っていたのだ」


 エイルは大きく息を吞んだ。

 ジャミールで意識の底に落ち込み、目覚める事が出来ずにいた事がそれに違いない。あれは消滅の寸前だったという事であろう。エルデが迎えに、いや引き上げに来てくれなければあのまま流れていく雲を眺めながら静かに消えていたのであろう。

(オレに『妹』を設定したのは、だからなのか! )

 生きるための目的として「マーヤ」という名の架空の妹をエルデはでっち上げてみせた。エイルの意識に映像としてそれを焼き付けたのだ。

 焼き付ける妹の姿はファランドールの価値観で適当な女性をでっち上げては駄目だ。アルヴ族など以ての外である。

 同じ種族、瞳髪黒色である必要があった。

 そしてエルデ本人がまさにその瞳髪黒色の少女だったのだ。

 兄妹にもかかわらず全くエイルには似ていない事など、問題ではなかった。両親の記憶さえ曖昧にしておけばいいのだから。エイルはだから勝手に思い込んでいた。自分は父親似、そして妹は母親似なのだと。

 だが、一つだけエルデには誤算があった。

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