第四話 ハンネ=ローレ回廊の闘い 1/5

 ラクジュ街道はシルフィード大陸の中央東端に位置する王国の首都エッダと、大陸北部に位置する遷都を控えた古都ノッダの間を最短で結ぶ大動脈である。

 その道を、夜半にも関わらず十数台もの馬車が速駆けで走り続けていた。

 各馬車には王国軍の中にあって特殊な存在を示すスズメバチの意匠が記されていた。

 その馬車群の中央には、通常の四翅(しし)ではなく六翅(ろくし)のスズメバチの紋章が描かれた小型の馬車があった。

 当時のシルフィード王国に於いて六翅のスズメバチのクレストは王国軍最上位の人物を表す表札のような意味を持っていた。

 すなわちその馬車はシルフィード王国軍大元帥、ガルフ・キャンタビレイの乗る馬車であった。

 

「あと三時間ほどでバランツに到着します。そこで馬を交換しますが……」

 六翅のスズメバチのクレストを胴に施した馬車の中にはアルヴが二人、向かい合って座っていた。豊かなひげを蓄えた眼光鋭い初老のアルヴと、まだ若い青年のアルヴである。その青年のアルヴが上官である初老のアルヴに声をかけたのだ。

「どうした?」

 部下の言いよどむような言葉に、上官は眉をひそめて尋ねた。

「バランツには営舎もあります。そこでご休憩されてはいかがかと」

「無用だ」

 間髪入れずに却下された部下はしかし、あっさり退却はしなかった。

「しかし」

「何度も言わせるな、アンセルメ少尉。今は一分一秒でも無駄にはできん。一言で言うなら『不眠不休で走り続けろ』だ」

 眼光鋭い老アルヴ、ガルフ・キャンタビレイ大元帥は太い眉を吊り上げると、威圧感たっぷりの野太い声で副官をそう叱咤した。

 だが大元帥の前の席に座るアルヴの副官は、上官のその脅しには全く動じる気配すら見せなかった。それどころか顔を突き出して睨み返して来た。

「いいえ。このリーン・アンセルメ、たとえどのようなおしかりを閣下から頂戴しようとかまいません。聞いて下さるまで何度でも申しあげます。バランツにて少しでもお休み下さいませ。いったい何日、およそ拷問にも等しいこんな速駆け馬車で駆け続けているとお思いですか?」

 ガルフは両手で支え持っていた剣の鞘でドンと馬車の床を突いた。

「儂は十日寝ずともいっさい問題はない。王国軍を預かる人間が陛下崩御の報を受けて、道中でのうのうと眠って居られるとでも思っておるのか?」

 リーンも負けてはいなかった。剣のかわりに拳を、床のかわりに己の膝を使い、鈍い音を鳴らして食い下がった。

「バランツには我が手の者が参じているはず。その者が携える情報を整理する時間があっても問題ありますまい? さらに言えばここへ至る道中、閣下の指示で車速を落とさなかったばかりに、路面の悪い場所を無理矢理駆け抜けねばなりませんでした。その意味はおわかりでしょう? 重なる無理がたたって馬車の車体がきしみ始めております。安全に、かつ確実にエッダに到着するためにも一度職人に見せる必要があるのです」

「またその話か。一言で言うなら『聞き飽きた』わい」

 

 ガルフは、アプサラス三世崩御の第一報を受けた直後にリーンと激しくやり合った事を思い出していた。

 第一報は正式な情報ではなかった。

 リーンがエッダに駐在させている配下の者が早馬でアプサラス三世が崩御したという事実だけを伝えに来たのである。

「なぜ、身罷られたのだ?」

 ガルフにとって青天の霹靂とはまさにその事だった。

 特に持病などのないアプサラス三世はそもそもまだ若く壮健で、ノッダへの遷都を前に各地を歴訪するなど、ますますその壮健振りを示していたところであった。

 総領事として一年前からノッダに駐留して王宮と政府の受け入れ態勢を整えることに邁進していたガルフは、ほんの二月(ふたつき)ほど前にノッダで王と酒を酌み交わしたばかりであったのだ。


 居ても立っても居られない気持ちであったろうが、大元帥もさすがに第一報では動かなかった。だがそれはリーンがそう注進したからではなく、総領事を拝命している手前、公式な知らせを待たずにノッダを空けるわけにはいかなかったからである。

 悲嘆に暮れた姿こそ部下の前では見せなかったが、リーンの目にはそんなガルフの憔悴しきった様子が見て取れた。上官のその痛々しい姿は見るに忍びない程で、さしものリーンもしばらくは声一つかけられない程であった。

 やがてリーンの情報網は第二報、第三報をもたらした。報告が回を追うごとに詳しい情報がわかり、アプサラス三世の死因が急性の心不全による死である事までは判明した。そしてその頃になると国王急逝の報が何かの間違いではない事も受け入れるだけの余裕が生まれていた。ガルフだけでなくリーンにも、である。

 リーンの情報網に遅れること約二日で正式な近衛軍の伝令が訃報を携えてやってきた。

 伝令は佐官であった。佐官を伝令に使うなど通常ではありえない。それだけ特別な内容であることが知れた。もはや事実は動かないという意味であった。

 近衛軍の佐官が恭しく差し出した王国軍大元帥宛ての親書は二通あった。一通は新しい女王の名で仮戴冠の日程が、そしてもう一通は近衛軍大元帥サミュエル・ミドオーバの名前で「急ぎ帰京されたし」と大書されていた。

 伝令を下がらせた後で、リーンは初めてガルフにこう注進した。「今は戻るな」と。

 ガルフは当然ながら理由を問うた。対してリーンは「嫌な予感がする」としか答えなかった。

 副官の「嫌な予感」だけで近衛軍大元帥の申し出を断る事はできない。ましてや今回はただの依頼ではなく、国王崩御という国家の一大事に直結した依頼である。その前にはもはやノッダ総領事としての務めという理由など薄紙ほどの重みも持たなかった。

 

 ガルフ・キャンタビレイは王国軍の最高位である大元帥であると同時にシルフィード王国の侯爵の爵位を持つ。

 そのキャンタビレイ侯爵家は古い家系が多いシルフィードの貴族の中でも別格と言って良い名門で、遙か古よりエッダの都の北方に肥沃で広大な領地を所有していた。

 いわゆる名ばかりの名門ではなく、事実、カラティア朝シルフィードの長い歴史の中でもキャンタビレイ家は重要な役割を演じている。

 家門の歴史が長いにも関わらずカラティア家との直接的な姻戚関係は結ばず、歴史上幾度かあった公爵家としての格上げの打診を全て断ったという逸話も有名である。

 シルフィード王国の法では公爵家は国王の親族であることが前提であるから、どのような武勲や功労があろうと公爵家となるには当主がカラティア家の直系の人間と婚姻し、カラティア家の傍系で既に断絶した公爵家の家名のどれかを継ぐか、既存の公爵家の直系の者と婚姻し、その家の名前を名乗る必要があったが、キャンタビレイの当主達はそのどちらも是としなかったのである。

 その当時の当主でなければ公爵家になる事を固辞した本当の理由などわかるはずもないが、エッダの侯爵屋敷の敷地内にその答えを見つけることができる。

 そこには石造りのいかめしい個人図書館があり「キャンタビレイ文庫」と呼ばれる侯爵家に伝わる膨大な量の蔵書が眠っている。そこにはかなり古い時代の家臣の日記までが収蔵されており、内部からの視点ではあるが「戦記」としての資料性が高いものが多い。それらを読むと我々はいにしえの空気に少しだけ触れる事ができる。

 もちろん、公爵家へ格上げするという打診を断った背景も浮かび上がってくる。

 理由(こと)の発端は例の有名な伝説的な逸話である。

 様々な改変や脚色が多い為、文献から導き出される客観的な出来事のみをここで改めて紹介しておこう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る