第三話 特級バード 2/2
(ばかな……)
エスカが暖めていたいくつもの台本の全ての頁を探っても、その筋は書かれていなかった。
マーリン正教会が特定の陣営につくなどあり得ない話のはずだった。
だが……。
(あり得ないなどと決め付けること自体、自らの視野を狭める最も愚かしい行為だということか)
エスカは、このとき、アイク・ヘロンを要注意人物として初めて強く意識することになった。外面を陳腐な権力者の仮面で装うのは味方だけだと思い込んでいた自らの驕りもきっぱりと捨て去った。
アプサラス三世の死は、彼の周りにかけられていたいくつものベールを剥がす力を持つ出来事だったのだ。
「驚いたか?」
「はい。このエスカ。生まれてこの方これほど驚いた事はございません」
「今度は何年寿命が縮んだのだ?」
「十五年ほどは……」
「悪びれずにいけしゃあしゃあと抜かしよるわ、食えぬ男よ。だがまあ、いい」
エスカは改めて深く頭を下げて礼を尽くして見せた。
「それで正教会の仮同盟とやらと、私の昇進にどのような因果関係が」
「急かすな。物事は順を追って行かんとな。まずは紹介しよう」
アイクはそう言うと五大老がいる場所の反対側、具体的には玉座から見て右側の方へ顔を向け、何もない空間に声をかけた。
「そろそろよろしいでしょう」
エスカは目をこらしてアイクの対面の空間を見回したが、もちろんそこには誰もいなかった。
だが、その空間からは再びあの声がした。
「ありがたい。そろそろ飽きてきたところだ」
その言葉がエスカの耳に届いた直後の事だった。
何もなかったはずの空間に忽然と人影が現れたのだ。エスカは思わず瞬きをしたが、間違いなく人がそこに立っていた。
「紹介する。今日、いやたった今から、お前の幕僚長に就任するタ=タン大佐だ」
ヘロン伯爵に紹介されたタ=タン大佐はエスカをまっすぐに見据えると、よく通る声で自己紹介をした。
「ニーム・タ=タンと言う。便宜上大佐だが、まあ名目だけだ。私は見ての通りの特級バードだ。今日からよろしく頼む」
そう言って不敵な笑みを浮かべるその人物は、まさにドライアドのバード、それも最上級職の出で立ちであった。
金糸の刺繍が入った白いローブをまとい、手にはルーナーの証しである精杖が握られていた。それは半透明の鉱物のようなもので出来ており、その頭頂部にはいくつものスフィアが埋め込まれていて謁見の間の天井にあるステンドグラスを写して輝いていた。
声の主が忽然と現れたことにも驚いたが、大佐職にあると言うそのバードが、まだ子供だった事の方がエスカにとっては驚きだった。
(うそだろ?)
エスカは言葉を失っていた。ヘロン伯爵の手の込んだ冗談に違いないと思おうともしたが、さすがにお互い、そこまでの間柄とはいえない。
エスカは記憶の書架にあるバードに関する項目が書かれた書類を片っ端から検索し始めた。
ニーム・タ=タンと名乗ったバードは一見するとデュナンの少女だった。焦げ茶色の髪は首にかかるほどの長さで、瞳は茶色。年の頃はせいぜい一二、三歳と言ったところだろうか。少なくともまだ成人には見えなかった。
それにしては物言いが少女のそれではなかった。表情もそうだが、特に最初に発した言葉は完全にエスカを見下したような語り口で、エスカはそれ相応の年齢の女性を想像していたのだ。
「タ=タン殿が若いので面食らっておるようだな」
ヘロン伯爵はエスカの表情を楽しむようにニヤニヤと笑いながらそう言った。
「アルヴィンの血が入っているそうだ。つまりは見た目の年齢などあまり意味はない」
「は」
「話はここまでだ。別途雑事もあるが、詳細はタ=タン殿に聞け」
「え?」
「ほ。その間抜け面もなかなか良いな、男爵殿? いやいや、今日は社交界でも評判の美男子のアホ面をいろいろ拝めて楽しいひと時であった。わっはっは」
アイクはそう言うと恭しくニームに一礼し、その場を立ち去ろうとした。
「お待ちを、ヘロン伯爵」
エスカは慌てて呼び止めようとして立ち上がったが、ニームがそのエスカとアイクの間に入って精杖を突き出すとエスカの行く手を塞いだ。
「この先の話は私の預かりだ」
立ちはだかる小柄な少女に、エスカは踏み出すべき足に力を入れるのを止めた。今は深追いは無用。少女の瞳はそう告げており、エスカの心の声も同じ考えのようだった。
「この部屋はどうにも息苦しい。続きは場所を変えてゆっくりと行おう。のう、ペトルウシュカ少将?」
エスカはもう一度アイクの後ろ姿をみやった。去りゆく執政官の後ろ姿を認めると、それ以上の問いかけは無駄だと判断した。
改めて目の前の小柄な少女を見つめると、エスカは恭しく挨拶を行った。
「紹介が遅れました。私はエスカ・ペトルウシュカ男爵。以後お見知りおきを。タ=タン大佐」
「私を肩書きで呼ぶ必要は無い。ニームでいい。それから一応言っておくが、私が特級バードだからと言ってそのとってつけたような敬語もいらん。猫かぶりはかえって不愉快だ」
「いや、しかし……」
「この私がヘロン伯爵の代わりに男爵の疑問をいくつか解決してやろうというのだ。断るのは得策ではあるまい?」
「それはそうですが……」
「ではさっそく落ち着いて話ができるところ……そうだな、どうせこれから世話になるのだし、直接男爵の館に案内してもらおう」
ニームはそう言って眉根に皺を寄せるエスカの顔を見上げながら不敵な微笑を浮かべた。
「世話になる?」
「言ったであろう? 私は幕僚長という立場と同時にペトルウシュカ男爵の監視役でもあるのだぞ?」
そして、少し声を潜めて付け加えた。
「さらに言えば男爵はバードの中から器量のよい側室を見繕ってくれるようにと陛下に頼んでいたそうではないか? そのあたり、全て織り込み済みだと思っていたのだがな。少なくともこちらは織り込み済みでここにこうして居るわけだが」
「いや、それは確かに……」
エスカはロンドに告げた一石三鳥という言葉を思い出していた。
「私とて正直に胸中を吐露するなら、側室扱いはあまり愉快ではない。しかし、必要とあらば閨(ねや)をともにすることは無論覚悟の上だ」
エスカは大きくため息をつくと、くるりときびすを返した。
「委細了解した。では遅れずついてこい、ニーム」
ニームは口の端でニヤリと笑うと、エスカの後ろ姿を追った。
「それでいい。私も男爵の事はエスカと呼ばせてもらおう」
「好きに呼べばいい。言っとくが俺は歩くのが速い。遅れるなよ、チビ」
「猫をかぶらないとそれか。なかなか面白い。だが、チビはよせ、チビは」
エスカはニームの抗議を受け流すと、頭をかきながらため息を一つつくと、大股で謁見の間を後にした。
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