第七十一話 時のゆりかご 1/3
一言で言い表すならば、そこは静かで暗い「巨大倉庫」と言った風情だった。
いや。ただ「空間」と言った方が適切かもしれない。
つまりそこは適当な言葉が見つからない場所だった。
様々な記憶を頼りに一番近い表現を探していたエイルがたどり着いたのが「巨大倉庫」という言葉だ。
そこが巨大倉庫だと仮定しても明かりが届く場所だけが認識できるすべてで、その認識できる空間の外はただの闇だった。だから「巨大倉庫」も適切な言葉とは言えないだろう。
本当の大きさ……広さも天井の高さもわからない。かろうじて認識できるのは、床が大きな大理石の、おそらくは一枚の板で出来ているように見えるということだけ。けれど、それもはたしてどこまでが一枚で出来ているのかがわからない。
だがエイルが「倉庫」という表現を選んだように、そこは決して何もないがらんどうのような空間ではなかった。その場所には様々な大きさの、そして色とりどりに自発光……といってもきわめてぼんやりとした光だが……しているシャボン玉のような球状の物体が空中にふわりと浮いていた。
球……スフィアは浮いてはいるが移動はしていない。ただその場にじっと浮いているだけだ。
小さなものはエイルが両手で抱えられるかどうかの大きさ。大きな物はサラマンダの平均的な農家をすっぽり飲み込むくらい巨大なものだった。
スフィア同士には余裕のある間隔がとられているようで、見える範囲では重なり合ったり触れ合ったりしているものはないようだった。
位置は様々で低いところにもあるが、しかし決して地面には接しておらず、かといって果てが見えない高さがある空間にもかかわらずエイルの手が届かない程高い位置に浮いているものもない。
その球状の物体が放つ光のおかげで、ルナタイトやエルデのルーンを使わなくとも視界の確保には困らなかった。
『本当にここが『龍墓』、または『時のゆりかご』とか呼ばれている場所なのか?』
周りを見渡しながら様子をうかがっていたが、危険はないようだと悟ったエイルは少し大胆になった。
『墓というくらいだから、この球体はひょっとして何かの死体か?』
エイルはおそるおそるそのスフィアの一つに触れようとして手を伸ばした。
だが……。
「え?」
伸ばした手は何の抵抗もなくスフィアの外壁を突き破り、中に入っていった。しかし、不思議な事に手は球体の中に入っているのではないようだった。
球の外壁は半透明で、近付けば何が入っているのかはぼんやりとではあるがわかる。だがその内部に差し入れた手が見えない。
「おかしなスフィアですね」
すぐ後ろでアプリリアージェの声がした。
振り返るとそこにはあの暗い空間に一緒に入ったファルケンハインとアプリリアージェが並んで立っていた。
(そうだった)
目を覚ますとそこはあまりに不思議な空間だったので、仮死状態だったはずの二人のことをすっかり忘れていたのだ。
「良かった。二人とも無事に蘇生できたんですね」
エイルの言葉にアプリリアージェとファルケンハインは同時ににっこりと微笑んだ。
「おかげさまで」
「良かった。不安だったんだ」
「正直に言ってしまうと、あの薬を口に含む時は相当の勇気が必要でした」
「蘇生できない、とか言われるとオレも不安でした」
エイルの言葉にアプリリアージェはゆっくりと首を横に振った。
「いえ、それは別にどうでもいいんです」
「え?」
「エルデがニヤリと笑って差し出した薬ですよ? 本当に仮死するならいいんですが、飲んだとたんに裸踊りや腹踊りをやり出す薬だったらどうしようと思うと不安で不安で……」
「は?」
「それはいいとして、このスフィアの中はどうやらこことは全く違う空間のようですね」
「違う空間?」
言われてみればそうかもしれないとエイルは思った。球の中はぼんやり見える。だがそこに手を突っ込んでも中の物には触れられない。
「リリアさん」
横合いからファルケンハインの声がした。彼は指示通り「司令」という言葉はもう一切使わぬようになっていた。
二人は一斉に声のする方に目をやった。するとそこにはごく小さなスフィアに腕ごと突っ込んでいるアルヴの姿があった。
異様なのはそのスフィアに手を突っ込んだ姿だ。
スフィアのちょうど反対側に手は突き出ていた。いや、突き出ていたのではない。それではファルケンハインの腕が長すぎる事になる。
ファルケンハインはそのスフィアには肘のところまで突っ込んでいるように見えるが、その肘は球の中ではなく、スフィアの反対側に突き出ていた。まるで……
そう、まるで切断した腕をスフィアの反対側に取り付けたような格好だ。もちろん切断されていないのはファルケンハインが指を自由に動かせていることでそれとわかる。
そこに物体があるのにそれはそこに存在するように見えるだけで、実はファルケンハインにしてみればないのと同じなのだった。
この部屋に入ってから、エイルの中のエルデはまだ何も言葉を発していない。
その事が気になりながらも、エイルは少し奥にある白い光を放つ大きめのスフィアに吸い寄せられるように近寄った。
その時だった。
あたりにざわざわと風のようなものが吹いた気がした。まるで「時のゆりかご」と呼ばれる空間が意志を持っていて、永い眠りから目を覚ましたかのようだった。だがそのざわめきが実際に風だったのかはわからない。とはいえ、エイルは肌に風圧のような力を感じた。
それはエイルの錯覚ではなく、そこにいた三名全てが同じ感触を得ていたようだった。
一行は申し合わせたように立ち止まると、辺りをうかがった。
【代われ】
突然エルデの声がした。
【代われ】
『どうしたんだ?』
【《真赭の頤》の気配がある。対応するのはウチやないと無理や】
『え?』
【急げ】
『ちょっと待て。この部屋はなんなんだ? この球体、ちょっとおかしいぞ』
【代わってくれへんのなら、仕方ないな】
『エルデ、お前……なんかいつもと雰囲気がちがうぞ?』
エルデの声に抑揚がなくなっている。そしてエイルの問いには何も答えようとしなかった。
すぐにエイルは体の支配権がなくなるのを感じた。エイルが許可しなければエルデに体を支配されることはないはずだった。
いや……
以前も同じ事があったのを、エイルは思い出していた。
【エイル・エイミイ】
体の支配権を得たエルデは、一転して感情のこもった声で呼びかけてきた。
『エルデ?』
だが、エイルはそのエルデにすら違和感を持っていた。こんなに静かな声で呼びかけられたのは初めてだったのだ。
その違和感はエルデの次の言葉を聞いて頂点に達した。そして自分が今どこにいるのかさえ一瞬忘れてしまうほどの衝撃をエイルに与えた。
【今まで、おおきに】
『え?』
【お前さんとの旅は、けっこう楽しかったと、思う。ううん……たぶん生まれて一番楽しい時間やった】
『変だぞ、お前。いったい何を言っているんだ?』
しかし、エルデはエイルの問いには答えなかった。
【今から《真赭の頤》に「喰らい」の呪法を解いてもらう。長い間不自由かけたな。それから、その後すぐにウチがお前にかけた憑依の呪法も解く。そしたらお前は全ての呪縛から解放される。ウチが封じてたファランドール・フォウの記憶を取り戻すことができる。もちろん自分の本当の名前も思い出すし、自分についての詳しい事もすべて元通りのはずや】
エルデの言っている事はおかしかった。今まで説明されていたことと何か違うのだ。
『オレの記憶を封じてたって……お前がか? おい、それって』
【それだけやない。前はここからフォウへ帰れる。おそらくウチが憑依の呪法を発動させた時と同じように、今度は解呪と同時に二つの世界を繋ぐ扉がここに開く】
『扉だって?』
【その扉の前に立って自分が本来居るべき世界の名前と場所、そして自分の本当の名前を唱えたら、それでええ。世界の意思は齟齬を生じた異分子を元に戻してくれるやろ。そうしたらお前が存在するべき場所であるフォウがお前を引き寄せてくれる。それでフォウに帰れるんや】
『ちょ、ちょっと待ってくれよ。頭の整理ができない』
【待てへん。急がんと手順が狂うんや】
『手順って……おい、エルデ』
【言うたやろ? 絶対帰したるって】
『いやいやいや。待て。待ってくれ。何をするつもりだ?』
【さようならや、エイル。最後にお前の本当の名前を呼べへんのが残念や。ウチもそれは知らんねん】
『待てって、エル……』
だがそこで、あっさりとエイル・エイミイの意識は飛んだ。
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