第七十話 龍の道 2/4

 それを聞いたアプリリアージェは全身から力が抜けて行くのを感じた。緊張がほぐれたのではなく、力が入らなくなったのだ。

《蒼穹の台》は瞳髪黒色の少年賢者の現名を言い当てた。エイル・エイミイではなくエルデ・ヴァイスだと。

(全てを見抜いている?)

 もしそうであれば、初めて会ったあの時と今が決定的に違うということを示していた。三聖蒼穹の台は賢者エルデ・ヴァイスの情報を得た上で、こうやって会いに来たのだ。

 アプリリアージェにしても《蒼穹の台》からは今のところ敵意や憎悪は感じていなかった。だが相手は普通の人間の常識などおそよ当てはまらないと思われる三聖である。賢者ですら普通の人間に対して感情の揺らぎを見せる事はないといわれている。エルデのような例外はあるが、アプリリアージェが知る他の二人の賢者、《二藍の旋律》ラウ・ラ=レイと《群青の矛》ファーン・カンフリーエに関してはそうだった。だがエルデとて「その気になれば」そんなものを押さえるくらいは容易な事なのだろうということは想像に難くない。三聖ともなれば言わずもがなである。


「ここにいるという事は《真赭の頤(まそほのおとがい)》の庵へいくつもりなのだろう?」


【くそ。行く先までお見通しか】

『ここで待っていたってことは、そうだよな』


「そのつもりです」

 エルデは感情を抑えた声で、しかし素直に答えた。「神の空間」では嘘をついても意味をなさないからだが、そもそも隠し立てする意味もないと判断してのことであった。

「そうか。でも、君が欲しいものはもうそこにはないよ」

「え?」

 イオスはエルデに注いだ視線を動かすことなく懐に手を入れると、そこから何かを取り出した。

「精杖を掲げなさい」

 イオスの言葉の調子が変わった。それは命令口調と言うほど強くは無かったが、相手に有無を言わさない力があった。

 エルデは言われるままに精杖ノルンを顔の高さで水平に構えた。だが、それはイオスの命令に盲目的に従ったのではない。そもそも「神の空間」においてはイオスが命令したことは「本当」になる。であれば、強制的に命令に従わせられるより自発的に行動した方がいいというエルデの意地が働いたものだろう。

 そもそもイオスの態度や言葉に危険のようなものは感じなかった。「三聖」たるイオスがこうしてわざわざ自分達の前に姿を現してまで何かを伝えようとしているのである。それが一体何なのかを知りたいという好奇心が働いていた事も否定できない。

「へえ。変わった精杖だね……なるほどルーンで撚り合わせているのか」

 エルデはルーンを唱える時のいつもの格好のまま、これも正直に答えた。

「私の血をもって育てた三本の宿り木を、ルーンで一体化してあります」

「簡単に言うけど、これはかなり複雑なルーンが仕掛けてあるね。大した技物だ。それに何より、美しい」

 イオスはエルデの精杖「ノルン」を感心したように見つめるとそう褒め称えた。「三聖」がわざわざ世辞を言うことは考えられない。本当に感心しているのであろう。


『すごいんだ、精杖ノルン』

【あ、当たり前や】

『でも、お前の血で育てた木で出来ているとは知らなかったな』

【聞かれてへんのに答える筋はないやろ】

『でも、お前は今聞かれてないのに答えたじゃないか』

【あ】


 イオスは懐から出した物をエルデに示した。

 イオスが手に持っている物を認識したエルデの顔色が変わった。

 エルデが何かを言おうとする前に、イオスはエルデの方に向かって下手からゆっくりその小さな物体を放り投げた。

 それは弧を描くように空(くう)を泳ぐと、まるで吸い寄せられるかのように正確にエルデの持つ精杖の頭頂部に当たった。

 すると次の瞬間にはその精杖ノルンに埋め込まれていた一つのスフィアが強く輝きだした。それは今までエルデが灯り代わりに使っていたスフィアの青っぽい輝きとは全く違う、真っ白な強い光だった。


『!』

【これは】


「確かに渡したよ、君が探してる『宝鍵』の欠片だ」

 ただ息を呑むだけのエルデに、イオスはこともなげにそう言った。

「これを取りに行くつもりだったんだろう?」

 エルデとしてはただ頷くしかなかった。

「でも……なぜ?」

 そしてかろうじてそれだけ問いかけることができた。イオスとの会話では言葉は慎重に選ばなければならない。ここは彼の『神の空間』なのだから。

「《真赭の頤》が君に託したものだ。心配しなくても取り上げたりはしないよ」

「……」

「使い方は知っているね?」

 イオスの問いに、しかしエルデは無言だった。

「そう構える事はないよ。とは言え『ここ』じゃ君は使えないだろうから、ここから『龍墓』への道は僕が示そう」

 そういうとイオスは自分の青白い精杖を掲げ、小さく何かをつぶやいた。それは本当に囁くような小さな声だったが、静寂が支配するその場においては全員の耳にはっきりと聞こえた。

「青の番人蒼穹の台の名において命ずる。ここにある赤き龍の口を示せ」

 その声に呼応するように、精杖の頭頂部から強く青い光が放たれた。


『今のって、例のプリズムなんだよな?』

【そやな】

『プリズム……「宝鍵」が四つあるって言ってたのは本当なんだ』

【そやな】


 エイルの言うように光を放つスフィアの形は小さなプリズムのように見えた。丁度エルデの持つプリズム、いや「宝鍵」と同じくらいの大きさである。


 同じくそのプリズムの光を見つめるアプリリアージェの状況把握は、実のところ処理する情報が多様過ぎて理解が追いついているとは言い難かった。優秀な頭脳は猛烈な速度で整理・演算をしているのだが、あっと言う間に次の状況が生まれ、そしてそれは変化していく……。


 アキラとてそれは同様だった。

 イオスをみとめて剣に手をやろうとした瞬間、アプリリアージェにそれを止められた。その時思わず見つめた黒髪のダーク・アルヴの目に宿る緊迫感を、いまだに感じたままだった。アプリリアージェの気に一瞬で気圧されたのだ。

 絶対に動くな!

 その目はそう告げていた。そうなると彼の選択肢は成り行きを眺める事、それだけだった。

 アキラにとってエイル・エイミイの本当の名前がエルデ・ヴァイスだということなどはこの際どうでもいいことだった。それよりも状況が全く飲み込めていない事が焦燥感をあおった。伝説の「宝鍵」や「龍墓」という名前が当たり前のように告げられている状況も異常であったが、それよりもなによりも同じく伝説上の人物と思われていた三聖の一人蒼穹の台本人を目の当たりにしていること、そして確実に何か大きな流れが動き始めたことを感じながらも、今自分には何も出来ないという苛立ちが彼を苛み、それは汗という形をとって背中を伝った。


 イオスが自らの「宝鍵」を使って放った青い光は当初は拡散していたが、やがて一つの地点を指し示すかのように光を収束させていった。

 その一点とはエルデ達の前方十メートルほどの地点で、そこには光が全て吸収されてしまったかのような真っ黒な空間が宙に浮いていた。

 その空間の出現を確認すると、イオスが口を開いた。


「時間はあまりない。『宝鍵』を受け取る必要はないにせよ、《真赭の頤》には会いたいだろう?」

「え?」


【い、今、なんて?】

『確かに言ったぞ。《真赭の頤》に会いたいかって』


「《真赭の頤》は……」

「死んだはず、だと?」

 エルデはうなずいた。

「ラウ……いえ《二藍の旋律》に聞きました」

「二藍の言った事は間違いではない。《真赭の頤》は僕がこの手で処刑したんだからね」

 こともなげにそう言ったイオスの言葉が生んだ、何とも言えない空気がその場に流れた。無言のままのエルデだったが、ノルンを持つ手が小刻みに震えているのがアプリリアージェには見て取れた。その震える手元を見て、イオスは静かな口調のまま続けた。

「でも、今言った事も本当だ。君が師匠に会いたいのなら急いだ方がいい。『宝鍵』を持っている君であれば、その入り口から入れる。『龍墓』……『時のゆりかご』へね」

 そう言うと、改めてイオスは青白い精杖の先で黒い空間を指し示した。

「それからもう一つ。《真赭の頤》の死をラウに聞くまで知らなかったということは、彼が三聖である僕に処刑されなければならなかった事件の事を知らないという事だね?」

 エルデはうなずいた。無言だった。

「君をあの場から逃がす為に、彼は『授名の儀』の立会人である賢者を四人も殺害したんだよ」

「え?」

「賢者である君も知っている通りだ。『三聖』は法に背き罪を犯した賢者を裁く。それが僕のやった全てだよ。あの日、君の師は弟子である君の『授名の儀』に立ち会った賢者を全て殺した。それが《真赭の頤》が犯した罪。そしてあの日の夜、僕は君を見つけられなかった。《真赭の頤》は僕にこう言ったんだ。『弟子は授名の儀に喰われた』とね。彼は賢者を殺害し、僕に嘘をついた。僕から言えるのはそれだけだ、賢者の名簿にない名を持つ賢者、エルデ・ヴァイスよ」

 イオスの話を聞いて、エルデは震えが止まってきた。頭の中でイオスから得た情報と断片的にしか残っていない『あの日』の記憶が有機的に繋がり始めたのだ。

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