第五十三話 二人の賢者 4/7
チラリとアプリリアージェを見たエイルは、彼女と目が合うと小さく首を横に振って見せた。『オレは知らない話だ』という意思表示をしたつもりだった。アプリリアージェがそのエイルの意志を理解したかどうかはわからなかった。ただ、アプリリアージェは小首をかしげると右手の人差し指で耳を指し示した。
『その話を聞きたい』と言っているのだろうか。もちろんエイルも聞いてみたかった。エイルの知らないエルデの謎が一つでもわかるかもしれなかったのだ。
「私は今の師である《蒼穹の台》からエルデは死んだと聞かされていました。《蒼穹の台》は三聖の身。決して嘘はつけぬ事になっています。だが、あなたがエルデでなければ今までの辻褄が合わない。そのような姿をしている理由までは聞きません。ただ、私はエルデが生きているのかどうかを知りたいのです」
エイルは悩んだ。
エルデはまだ目覚めない。
エルデのルーンがあればネスティ達が囚われることもなかったかもしれない。だが
アプリリアージェに言われるまでもなく《二藍の旋律》にはもはや大きな借りが出来ていた。だが、その代償としてここで簡単に名乗ってもいいのだろうか。エルデの許可なしに。
エルデはエルデ・ヴァイスというその現名をも口にすることを嫌っていた。なぜそこまで?と問うても、その都度はぐらかせるばかりで納得のいく説明を受けたことはなかった。賢者の名に至っては一切口をつぐんで片鱗すら匂わせない。
そんなエルデの秘匿癖を考えても、うなずいて今ラウにそれを明かす事は相当に躊躇われた。
だが……。
だが、エイルはすでにル=キリアには正体を明かし、その現名も伝えた。
あの時もエイルは自分で決断をした。それをエルデは文句を言いつつも受け入れてくれた。
で、あれば。
今回も自分で決断してもいいのではないか。
そう、エイルは思いつつあった。
『うすうすは、いや、もう多分感づいてるとは思うしな』
エルデはそう言っていた。エイルがまさか異世界フォウの人間とまではわからなかっただろうが、二つの意識が同居していると言われてもあからさまに雰囲気も言葉遣いも変わる人間を前に卒倒するような驚愕を与える事もないだろう。
あの時と同じと考えてもいいのかもしれない。
つまり、隠せれば隠したいが、ばれてしまったのならしょうがない。エルデはいつもそういう覚悟でいたのかもしれなかった。
ラウが既に感づいているのなら、もうシラを切っても仕方がないことなのかもしれない。ならば、素直に答えるべきではないのだろうか?
そもそも本当に《二藍の旋律》は敵ではなさそうだった。それに、彼女がエルデにこだわる訳も少しはわかった。
エイルは小さく深呼吸をすると、アプリリアージェ達の方を見やった。アプリリアージェはいつものように微笑んでいる。アトラックは地面にあぐらをかいて心配そうにじっとこっちを見つめていた。
テンリーゼンは……。
テンリーゼンはいつの間にか脱ぎ捨てていたマントを羽織り、いつものように顔を隠してじっと佇んでいた。
「そうだな、わかった」
『エルデっ!』
エイルは念のために心の中でエルデを呼んだ。
『いいな?言うぞ?』
しかし、答えはなかった。
『一応、断ったからな。後で文句を言っても知らないぞ?』
(よし)
何がよしなのかは自分でもわからなかったが、エイルは顔を上げてラウをじっと見つめた。
ラウはラウで緑色の瞳でじっとエイルを見つめていた。
「オレの名はエイル・エイミイ」
エイルがそう言うと、ラウは憤然とした表情をして、食い下がった。
「しかし」
エイルはそれを制した。
「人の話は最後まで聞いてくれ。お前の悪い癖だぞ」
「――わかりました」
「オレの名はエイル・エイミイ。そしてオレの中にいる自称天才ルーナーさんの名前は、確かにエルデ・ヴァイスだ」
「中に、いる?」
不思議そうな顔で尋ねるラウに、エイルはうなずいた。
「どうにもややこしいから、詳しい話は後でエルデが起きたときにでも聞いてくれ。今、アイツはぐっすり眠ってるんだ」
「その体に、二つの人格が同居していると言うことか?」
「さすが賢者だな。早い話が、そうだ」
「なるほど」
ラウは理解した、という風にうなずいた。
(え?『なるほど』なのか?)
エイルはラウの態度に拍子抜けしたが、賢者ともなるとそういう呪法などには詳しいのだろう。とはいえ相手がさほど不思議に思わない事が不思議だったが、賢者の視点ではこの程度のことを不思議だと思うことが不思議なのだろう。
エイルは無理矢理にそう納得することにして、それ以上考える事を止めた。
「これで姿形が全くの別人になっている謎が解けた。エルデが死んだという《蒼穹の台》の言葉にウソはないが、生きているという私の確信、いや《蒼穹の台》の推理もまた真なのだ」
「納得してもらえたところで、オレからも一つ聞きたいことがある」
「何だ?」
相手がエルデではないとわかったとたんにラウの言葉遣いが変わった事にエイルは心の中で苦笑した。そして苦笑をしている自分に驚いていた。さっきまであんなに憎いと思っていた相手に対する感情が、短時間でこうも変化するものなのだろうか?
「さっきの話を聞かせてくれないか?」
「さっきの話、というと?」
「エルデがお前の命の恩人だという話だよ」
「ふむ」
ラウはエイルをじっと見ると、しばらく思案した後、うなずいた。
「いいだろう。特に誰の名誉を傷つけるという話でもない」
「頼む」
「私達は他にも何人かの弟子と共に修行をしていたのだが、その中の一人に飛び抜けて優秀なルーナーがいた。それがユート・ジャミール。つまりこの里出身のルーナーだ」
「なるほど」
「そのユートというルーナーがある日、師に断り無く分不相応な高位のルーンを使ったのだが、それが暴走した」
「え?」
何処かで聞いた話だった。
いや、何処かで、ではない。エルデから聞いた話に似ている。問題は、状況が似ているだけでその話の主人公が全く違う事だった。
「高位ルーンは詠唱失敗に終わり、ルーンが暴走してその場にいた弟子全員を巻き込んだ。その時、その暴走ルーンの相殺用に別のルーンを唱えてくれたのがエルデだった。だが、残念ながら助かったのはエルデを除くと私一人だけだったのだが」
「なんだって?」
エイルは思わず絶句すると、再びアプリリアージェと顔を見合わせた。
話が違う。
しかしそれは、エルデの本質が少しだけ見えた気がするような「違い」だとエイルは思った。
【おいおいおいっ】
『おお、起きたのか』
【『起きたのかっ』やない。どうなってんねん?って……ラウの横にいるヤツは誰?……アイツも賢者か?】
『まあ、そう言うことでバラした』
【バラした?】
『じゃ、後は任せたぞ。もうオレはしらん』
【ちょ、ちょい待ち】
「どうかしたのか?」
話の途中で急に様子が変わったエイルにラウが不審げに声をかけた。
「いや。エルデが起きた。代わるよ」
「エルデが起きた?」
【くそーっ。このアホンダラエイルめ】
『今頃起きてきたお前が全部悪い。こっちは大変だったんだ』
【何がどうなってんねん?他の連中は?】
「ええっと……久しぶり、やな。ラウ」
「エルデか?本当にエルデなんだな?」
「まあ、そう言う名前で呼ばれとった、かな。あはは。っとと……ええ?」
「会いたかった!」
《二藍の旋律》、いやラウ・ラ=レイはいきなりエルデに抱きついてきた。それを見たアプリリアージェとアトラックのみならず、ファーンまでもが我が目を疑ったのは言うまでもない。
「あんたのご主人様って、冷血女かと思ってたんだけど、なんか意外に熱いね」
アトラックは自分の治癒を続けているファーンにそう言って気取りのない笑顔を見せた。敵ではないとわかった相手にはだれにでも気さくなアトラックらしい問いかけだった。
意外だったのはファーンがアトラックに反応した事だった。
「その意見にはおおむね同意です。私もラウっちは、かねてからあまり賢者らしくなく、感情の起伏が大きい方だと思っていました」
「ラウっち、ねえ……」
小柄なピクシィを大柄なアルヴがかがむようにして抱きしめる図……体のほとんどをラウに包み込まれ、それでもただじっとしているエルデ。
それはその場にいた誰もが想像だにしなかった光景だった。
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