第四十九話 ルルデの故郷 2/5
「結界だって?」
エイルはアプリリアージェに呼ばれて、ファルケンハインの話の途中で一行の最後尾までやってきていた。アプリリアージェは前方を一人で歩くアキラの様子をうかがった後、エイルに向きなおりうなずいてみせた。
「私の持っている古い情報ではラシフ・ジャミールという族長は話のわかる人物だとは聞いているんですが」
そして続けた。
「結界についてはエイル君もいますし、それ程気にする必要はなさそうですね。それからル=キリアが持っている情報をもう少しお伝えしておくと、ラシフ・ジャミールは「地」のフェアリーだそうです」
「地のフェアリーの張る結界ねえ」
エイル……いや、呼ばれたのは自分だと判断したエルデはなんとなく腑に落ちないという風に呟いて見せた。
「何か気になる事がありますか?」
「正教会の持ってる情報やと、そのジャミールの族長はルーナーなんやけどな」
「エルデ君はラシフ・ジャミールの事をご存じなのですか?」
「いや、そう言う訳やないねんけど。ただ」
「ただ?」
「ほとんど知られてないんやけど、ジャミールは実は古来からのグラムコールでもあるんや。しかも文法的にはルートの一つ、キュアのグラムコールの直系に近い」
「一族の名前がそのままグラムコールと言うことは?」
「ホンマに地のフェアリーかもしれへんけど、グラムコールがあるっちゅうことはもともとはルーナーの家系が中心となって形成された一族や。その一族の長がフェアリーというのは普通に考えておかしいやろ?キュア直系なんて今時珍しい。たぶん特殊な高位ルーンを流出させへんために閉鎖的な集団になっていったんやろうな。もともとは隠れ蓑的な意味合いやった宗教の一派のような教義が長い年月の上に一人歩きをはじめて、それが宗教団体的に変化していったっちゅうとこやろ。そう言うところに伝わってる特殊なルーンはやっかいなもんも数多くあるはずや」
「なるほど。ルーナーの存在を隠すためにフェアリーだという情報を流していたと考えると納得が出来ます。ひょっとするとジャミールの里人全員がルーナーだという可能性もある、ということですね」
「族長はそれなりに高位ルーナーやろうし、それ以外にもけっこうな力を持ってるルーナーの存在は否定出来へんな」
「なるほど」
「あ、それと」
「え?」
「エルデ君、はやめて。エルデでええ」
「わかりました、エルデ」
『さっき、因縁って言ってたよな?』
【うーん。混乱してきた。一方ではシェリル情報でルルデの話も出てきてるし】
『オレってそのルルデって奴の呪いでもかかってるんじゃないのか?』
【可能性あるなあ】
『おいおい、そこはきっぱり否定してくれよ』
アプリリアージェの話はそれだけだった。
いざというときには頼りにしているぞ、と言う程度の軽い声かけのつもりだったのだろう。情報が少ないと言うことはアプリリアージェにとっても不安材料なのだ。
エルネスティーネの疲労の度合いを見ながら小さな休憩を挟みつつ、それでも一行は順調に高度を稼いでいった。やがて薄く噴煙を上げる活火山であるレイジノ山の中腹が臨めるところまでやってきた。眼下の谷あいには川も流れていて、気持ちのいい場所であった。
アトラックの言葉を借りるならば「ここまでくれば後は楽勝」という事だったが、そろそろ限界が近いと思われるエルネスティーネがそれを聞いて安堵のため息をついたのを合図に、一行はアプリリアージェの提案によりそこで大休止を取ってお茶の時間としゃれ込む事になった。
「このあたりには温泉が湧き出るところもあるみたいですよ」
お茶の準備をしながらもアトラックは雰囲気作りの会話を忘れない。
「それはいい。久しぶりに沐浴がしたいものだ」
アキラがそれに嬉しそうに答えた。
「この川にも温泉が湧き出ているところがあって、部分的に水が温かくなっているところもあるそうです。まだ陽も高いですし、湯冷めもしないでしょう。適当な場所があったら汗を流すとしましょう」
「それは素晴らしい提案です」
アトラックの温泉情報はへばっていたエルネスティーネを大いに元気づかせた。
「是非そうしましょう」
「それも良いかもしれませんが、目的は沐浴場所を探すことではありませんよ」
アプリリアージェが、そんなエルネスティーネをいつもの微笑でたしなめた。彼女としては相手の出方がわからない場所で無防備な行動を取りたくないのが本音であろう。エルネスティーネに微笑みかけた直後にすかさず、いらぬ事を言ったアトラックに一瞥を入れるのを忘れなかった。
「分かっています。でももし途中で温泉があったら」
すがるようなエルネスティーネの熱い視線に、アプリリアージェはにっこり笑ってうなずいて見せた。
「大丈夫ですよ。その時は真っ先に私が入りますから」
「それはちょっとずるいです」
一同は頬を膨らませて抗議するエルネスティーネに、思わず声を上げて笑った。だが、エイルは髪が濡れる程の汗でびっしょりなエルネスティーネを見て、一抹の不安を覚えていた。もうかなり一緒に旅を続けているのだ。彼女が決して弱音を吐かず、少々無理をする傾向にある性格であることがわかっていたからだ。王女という背景を考えた場合、そんなところもエイルには不思議に思えた。
だが、それはエイルの認識不足というものであった。アルヴ系の種族は弱音を吐くことをよしとしないのである。
一休みした一行は、またゆっくりと歩を進め始めた。「楽勝」というアトラックの情報とは裏腹に、最後の峠に続く道は一段と険しくなった。
歩き始めは緩やかな傾斜でのんびりした山歩きを楽しむことが出来た道は、やがて登山道を名乗るにふさわしい様相を呈していった。それが一歩を踏み出す為にはちゃんと意識をしていないと簡単につまずいてしまうほど急な勾配にさしかかると、エルネスティーネの息が上がりはじめた。しかし、それはまだほんの序の口だった。たとえ急な勾配であろうが、そこに道があるだけましな状態といえた。標高を稼ぐにつれて道はあやふやになり、そしてついに消えてしまった。少なくともエルネスティーネの目の前には、もはや道は存在していなかった。その荒れた山肌を、アトラックは何の迷いもなく、まるで勝手知った土地であるかのように突き進み、そこに足跡という道を作り出していた。
その頃になるとすでにエルネスティーネは踏み出す自分の足に鎖でも付いているのではないかと思うくらい一歩一歩が重く感じられるようになっていた。
歩き始めこそティアナと軽口を交わしながら余裕のある表情を見せていたが、勾配がきつくなってからは会話が途切れた。もちろん「マナちゃん」にかける話し声も聞こえなくなり、エイルが心配して振り返って見れば、エルネスティーネは既に地面ばかりを見つめて歩くようになっていた。
「下を向くと余計に辛くなるぞ」
見かねたエイルにそう声をかけられると、エルネスティーネは素直にうなずき、時折深呼吸を混ぜながら、出来るだけ顔を上げて周りを見ながら歩くように努めた。
だが、それとて体力の回復に効くわけではない。
その後、しばらくがんばっていたエルネスティーネだが、どうしようもなく辛くなって顔をさらに上に向けた。すると坂の先を行く先頭のアトラックの後ろ姿が目に入った。そしてその少し後ろを淡々と歩いているエイルの後ろ姿も。
だが、そのエイルの視線は地面を向いていたのだ。
エルネスティーネにしてみれば、さっき自分に助言をした当の本人がへばって同じ状態になっているのは一体どうしたことかという思いに駆られるのは当然だった。
頭に浮かんだ疑問を長くそのままにしておく習慣のないエルネスティーネは、要するにとっさに浮かんだ疑問を相手にそのままぶつける大胆さを持っていた。
「エイル」
「え?」
エルネスティーネの呼びかけに、エイルは立ち止まると振り返った。
「ちょっと、元気が、ないように、見えますけれど、顔を、上げて、歩いた、方が、いいのでは、ありませんか?」
息が上がっているエルネスティーネの途切れ途切れの問いかけに、エイルは驚いたような顔で言葉の主を見つめた。
『えっと』
「辛いのなら、私が、話し相手に、なりましょうか?きっと、気が、紛れ、ますよ」
【何言うてんねん、このお姫様】
『ちょっと考え事してたのを疲れてると勘違いしたのかな』
【どう見ても他人の心配をしてる余裕はないように見えるんやけど】
『このお姫様は自分の事より他人の心配をしちゃう体質なんだろうな』
【性格やったらどうにかなるかもしれへんけど、体質やと改善は難しそうやな】
『いや、逆だろ?』
【まあでも、この間の発言は取り消すわ】
『この間の発言?』
【うん。諺の件はさておき、この娘はええ情操教育を受けたんやと思う】
『ああ、なるほど』
【ま、名付け親になるのはちょっとアレやけどな】
『そうだな』
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