第四十六話 鳶色の瞳のシェリル 7/8
「説明を聞きましょう」
エイルの謝罪の言葉と共にルーンの拘束を解かれたアプリリアージェは批難の言葉一つ投げかけるでもなく、いつものように穏やかな笑顔のままでそう言った。
エイルはうなずいた。
「その前に、オレとリリア姉さんはこの場所を少し離れよう。そこで話をするよ。それからハロウ先生も一緒に来て欲しい」
ハロウィンとアプリリアージェは顔を見合わせたが、さっさと歩き出したエイルの後を慌てて追った。
彼らにはすぐにエイルとエルデの意図がわかった。アキラから離れようというのだ。
シェリルは、その朝のうちに一行と別れてハロウィンと共にトゥセークの港を目指す事になった。トゥセークがウンディーネ行きの航路がある一番近い港だったのだ。
シェリルとハロウィンに加え、ルネ・ルーとベックも同行することになった。もともとハロウィンはシェリルをウンディーネの兄の元へ送り届ける役目をおっていた。ルネは保護者であるハロウィンと別れるわけにはいかないようで、ベックはエイルが強く要請して、本人がそれを承諾した形で同行する事になっていた。
ベックが同行すると聞いて、それまで寂しそうにしていたシェリルの顔が輝いたのが印象的だった。
別れに際して一番取り乱したのは、大方の予想に反してエルネスティーネではなくティアナだった。
いや、エイルは例外だった。
辺りをはばからず号泣してシェリルに抱きつくティアナの姿を見て、それは納得できる光景だと思っていた。その日の朝にティアナの心の内を聞いていたからだ。
強面で真面目で、だから融通が利かず短気で口が悪いティアナだったが、その外面とは裏腹に、一度仲間になってしまうと相手のことを際限なく好きになってしまう性格なのだと言うことが、もうわかっていた。
『ティアナってさ』
【うん?】
『ちょっとお前に似てるな』
【はあ?】
「あーあ、全然解放してやらないからシェリルが困ってる」
「まったく、困ったものですね」
エイルはアプリリアージェと並んで、寝所にしていた窟のある山肌の通路に腰をかけていた。そこは生い茂った枝の隙間から丁度シェリルを見送る一行が見渡せるようになっていた。もちろん、その場所から見渡せるところで一行が別れの挨拶をするようにアプリリアージェとアトラックが打ち合わせていたのだが、それは誰も知らないことだった。
「それにしても、前日から仕込んでいたとは驚きました」
「かなり複雑怪奇なルーンやから、失敗でけへんしな。加えて特殊な手順が必要なルーンやったからな」
「なぜ事前に相談してくれなかったんですか?」
「相談したら、賛成してくれたか?」
「いえ」
ファルケンハインが半ば強引にティアナをシェリルから剥ぎ取るように引き離すのが見えた。アプリリアージェは大きな壁からようやく解放されたシェリルが涙を拭いながら、本日何度目かの別れの挨拶をしているのを優しく眺めながら首を振ると、きっぱりと言った。
「絶対に認めなかったでしょうね」
「せやろな」
「どうでもいいですが、一言ごとにエイル君とエルデ君が入れ替わるのはさすがにめまぐるしすぎませんか?」
「そうだな」
「会話酔いしそうです」
「三人で話していると思ったらいいじゃないか」
「雰囲気が違うのでそれもいいかもしれませんが、声が全く同じなのでさすがにムリがありますね」
「そっか」
ルネがエルネスティーネと抱き合って、離れた。
それが最後の挨拶のようだった。
「もう、シェリルは元には戻らないんですね?」
「うん」
「さっき、私達が顔を見せるのはまずいと言っていましたが……?」
「俺……というかエイルとかリリア姉さんが今会うてしまうと、シェリルにはたぶんまだゴミのように残ってる印象の破片をつなぎ合わせて強烈で根強い情景を再構築しようとするやろな。そうなるとその印象を合理的に受け止める事が出来る記憶も感情もないシェリルはその体の中から沸き上がる警鐘みたいなもんを沈めることが出来へん。そうなるとただでさえ人格がまだちゃんと定着してへん今の状態やと、どうなると思う?」
「精神が崩壊……するかもしれませんね」
「正解」
シェリル達は手を振る一行を後に歩き出したが、しばらく歩くと振り返って手を振った。さっきからそれが三回ほど繰り返されている。そのたびにティアナは声を上げて泣いているようだった。
「オレ達がしたことは、たぶん……いや、絶対許される事じゃないと思う。経緯は違うけど、行為そのものはあの《二藍の旋律》という賢者がカレンにやったことと似たようなものだし」
「……」
「これでも結構話し合ったんだ、エルデとは。でも、シェリルを楽にしてやれる方法を他には思いつかなかった」
「シェリルを楽にする……耳障りのいい言葉ですね」
「あ……」
エイルはそう言われて絶句した。
「そうじゃないでしょう?」
エイルは唇を噛んで隣に座っている小柄なアプリリアージェの横顔を見た。首までの長さの黒い髪が前屈みになったダーク・アルヴの微笑を半分ほど隠していた。
「ああ。一番目の理由は勿論、オレ達が楽になりたかったからだな」
「カレンに対する罪滅ぼしにでもなると思ったんですか?」
「リリアさんにはかなわないな。正直に言うとそれもちょっとあった。でも、それより何より、これ以上苦しむ仲間を見たくなかったんだ」
かなり遠くになったシェリル達の姿が見られるのももうわずかだった。道は四人が大きく手を振る場所からは、緩やかに下り続ける。あと十歩も歩けば、顔が見えなくなるだろう。
だが、エイルはもうその前にあふれる涙で四人の姿が見えなくなっていた。
「それでも」
「え?」
アプリリアージェはエイルの方を見やったが、すぐに視線を元に戻した。
「覚悟を決めて、最良の方法なんだって決心してやったはずだったのに、何であんなことをやったんだろうって、今も思ってるんだ。オレはなんて取り返しのつかない事をしてしまったんだって」
「そうですね」
「自分が楽になりたかったからやったことなのに、全然楽になれないんだ。苦しくて悲しくて胸がはりさけそうで……」
「でしょうね」
「もう二度とやりたくない」
「ええ」
一行はついに見えなくなった。
だが、ティアナ達はその場を動こうとはしなかった。
「シェリルは、お兄さんに会ったらどうなりますか?」
「一週間もすれば人格は安定してるから、合う時分にはもう何があっても大丈夫らしい」
「大丈夫……ですか」
そういうとアプリリアージェはゆっくりと立ち上がった。
「私は先に降りて出発しています。落ち着いたら後から合流して下さい」
「あ」
「アモウルさんには適当に言っておきます」
「うん。そっちは頼む」
アプリリアージェはうなずいた。
「それからこれだけは言わせて下さい」
そう言ってアプリリアージェはエイルの後ろに立ち、その頭にそっと手を乗せた。
「あなたは自分の弱さに負けて人としてやってはいけないことをやってしまいました」
「ああ、わかってる。でも」
「でも」
言いかけたエイルの言葉をアプリリアージェは止めるように続けた。
「あなたが、いえ、貴方たちが私の仲間で本当に良かったと心から思っています」
エイルは思わず顔を上げた。そこにはいつもと同じ穏やかな微笑みがあった。
「だから、一緒に行きましょうね。マーヤさんのところに帰るのでしょう?」
エイルは唇をきゅっと結ぶと、うなずいた。
その鼻先から、涙が二粒、地面に落ちていった。
覚醒したシェリルには、多くのものが欠けていた。
ルルデ・フィリスティアードの記憶。
エイル・エイミイの記憶。
エルデ・ヴァイスの記憶。
アプリリアージェ・ユグセルの記憶。
そしてそれにまつわる様々な記憶も。
だが、紛れもなくシェリルそのものでもあった。
茶色い巻き毛、白い肌、そして特徴的な鳶色の瞳。
シェリルが笑うとそれを見た者はほっとした気分になり、側でシェリルの声がすると何故か安心できた。
それに何より、シェリルはベックのことを知っていた。エルネスティーネの事も、ルネのことも、ティアナのことも。
そして何より、一番大切な事を。
自分がどこから来てどこへ行こうとしているのかを。
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