第四十六話 鳶色の瞳のシェリル 1/8
いつものようにアトラックとシェリルが用意した朝食を食べ終わると、エイルは全員の出発の準備が整うまでの時間を、一行から少し離れた場所に座ってぼんやりと過ごしていた。
遠く連なるノーム山脈を見つめる彼の片手には、空になったカップがぶら下げられていた。
すっかり明るくはなっていたが、まだ昼星は顔を出してはいない。秋に入り、早朝の山間はかなり冷え込んでいて、エイルも例のアルヴスパイアのマントを羽織って寒さを防いでいた。
頭上を覆う木々のおかげで朝露がそれ程ひどくないのが救いだったが、そのおかげで一行の野営地はいい景色に恵まれているとは言い難かった。
そんな中で、エイルはめざとく枝葉の間から遙か稜線が臨める場所を見つけて、そこに座っていたのだ。
今朝は起きてから、エイルはずっとシェリルの事を考えていた。
昨夜エルデのルーンで気を失ったシェリルは、ハロウィンとルネのもとで一夜を過ごしたようだったが、今朝顔を見た限りでは普段と変わらぬ、つまりは一応元気そうな声で普通に挨拶をしていた。
いや、普段の通りと言うには語弊があった。
その朝のシェリルはウーモスを出発してからこっち、ずっとふさぎ込んでいたシェリルとは違い、それ以前……ランダールからウーモスへ向かう旅でのシェリルに近かった。エイルは久しぶりにシェリルの笑い声を聞いた気がしていた。ルネやエルネスティーネ達と交わす、エイルにとってはあまり意味があるとも思えない他愛の無い会話も以前のように耳にした。
『なんか、ちょっと拍子抜けだ』
【お前が望んでた状態なんやろ?】
『いや、納得して貰えたのかどうかがわからないからちょっと釈然としないんだよ』
【まあ、「ご理解いただけましたか?」とか聞きに行きにくいのは確かやな】
『今になって見ると、夕べのことは後悔してる』
【全くお前さんはやってもうた事をいつもズルズル引きずりすぎや】
『人間なんてそんなもんだろ。だから『後悔』なんて便利な言葉ができるんだ』
【まったく人間って奴は】
『お前も人間だろ』
【そやな。あははは】
「ちょっといいか?」
人が近付いてきたのに気付かなかったエイルは、声に驚いて顔を上げた。そこには白い髪を無造作に後ろでまとめた女アルヴが立っていた。
彼女はエイルと目が合うと、その視線をすっと逸らしてバツが悪そうにうつむいた。
「ティアナさんか。何だい?」
「その……今は、エイルか? それとも」
ティアナは顔を背けたままでそう尋ねた。
「は? ああ、うん」
そう。ティアナは今どちらが表に出ているのかを尋ねたのだ。ただし、ティアナは少々思い違いをしていた。エイルとエルデには表や裏は基本的にない。体の支配権は変化するが、どちらかが表に出ているときに片方は眠っているわけではなく、眼と耳と口は共用できている。つまり、両方に意識があればそれは両方に対して語っていることになる。
「基本はオレだと思ってくれていいよ。これはオレの体だし」
「そうか。改めて意識すると、相手がどちらかわからないと喋りにくいものだな。簡単な見分け方はないのか?」
「そうだな。しっぽが出てるときはエルデだ」
「なんと! しっぽまで生えるのか?」
ティアナの反応に、エイルはがっくりと肩を落とした。
『しまった。そうだった』
【踏んでもうたな】
「しっぽは生えない」
さかんに後ろ側を気にしているティアナに、エイルは気の毒そうにそう声をかけた。
「今のはウソだ。ごめん」
「なんだと? ウソをついたのか?」
「うん。だからごめん」
「お前はひどいヤツだな」
ティアナは少し残念そうに批難した。
「本当の見分け方だけど、オレは古語で喋れないから、古語の時はエルデだ」
「だが、エルデは古語だけじゃなくて普通の言葉も喋るじゃないか」
「うーん、オレ達と居るときは出来るだけ古語で喋るようにしてもらうさ。もともと地の言葉が古語らしいからな。あと、『オレ』の時はオレで、『俺』だとエルデだ」
「それはどう違うんだ?」
「いや、ホラ、カタカナのオレがオレで漢字の俺だとエルデなんだけど?」
「言っている意味が全くわからん」
「そうか? まあいいや」
「まあ、リリアさんは雰囲気が違うからすぐ解ると言っていたが……」
【さすがに能力高いな、リリア姉さん。幼児の時から近衛軍に目え付けられてたのもうなずけるわ】
『オレ達ってそんなに雰囲気変わるのか? 本人は気づいてないけど』
【目つきが悪いのがお前で、やんごとない雰囲気が俺やな】
『そいつは、さぞわかりやすいこって』
「そんなことより、何か話があるんだろ?」
エイルがそううながすと、ティアナは頷いた。
「ちょっと長くなるかもしれない。隣、いいか?」
相変わらずエイルとは面と向かって視線を合わせようとはせずにティアナはそう言った。エイルは座っていた倒木から腰を上げると、少しずれてティアナの場所を空けてやった。
「珍しいよね、ティアナさんからオレに話があるなんて」
「その、ティアナさんっていうのは止めてくれ。ティアナでいい」
「ああ、うん」
「その、まずは夕べのことだが……」
「夕べ?」
「完全に誤解していた。すまん」
「あ……」
エイルは夕べの窟での一件を思い出して一気に顔が上気した。
『ヤな事思い出させてくれるね、このヒト』
【ティアナ姉さんの空気の読めなさは向かうところ敵無しやからな。俺は王女さまを超えてると見てる】
『確かに』
「いや、あれはマジで忘れて欲しいというか、おなかいっぱいですというか」
「王国軍ではたまにある事のようだが、近衛軍は基本的に内勤になるので私はその、偶然ああいった行為を目撃した事は初めてで、気が動転してしまった」
「いや、だからもういいって」
「そうは言うが謝るべきところは謝らないとこちらの気が済まないのだ。謝罪する」
「そうか。じゃあ謝罪が終わったってことでその件はこれまでにしよう。うん、そうしよう」
「そうだな。でも、シェリルがあれほど豊満な胸をしているとは予想外だった。普段はみんなゆったりした上着を羽織っているからわからないしな」
「ウーモスで確か一緒に風呂に入ったんじゃなかったっけ?」
『って、オレは何を言ってるんだああああ』
【アホ】
「いや、あの時は……その……」
ティアナは口ごもるとうつむいた。みるみる顔が上気していった。
【スカタン。そこは突っ込んだらアカンやろ。ほら、あの時はファルも何処かに消えてしばらくおらへんかったやろ?】
『ああ……。って、ええっ? もしかして二人だけで一緒の風呂に?』
【アホっ! 混浴は混浴でも岩の蒸し風呂に決まってるやろ? あそこは全員タオル巻いて入る事になってたやないか】
『ああ! なるほどぉ!』
【「なるほどぉ」、やないわ】
「あ、いや、だからそういう話はもう止めようよ」
「うむ。そうだな。ただ、アルヴはデュナンに比べると乳房があまり発達しないから、ああいう大きな乳房を見ると珍しくてつい見とれてしまった」
『オレはこの人、リリア姉さんとは別な意味でものすごく苦手だ……』
【いわゆる「天然」やな、こいつ】
『天然というより、アホだろ』
【あのファルといったいどんな会話しているんやろな】
『聞いてみたいような、聞くのが怖いような……』
「いやいやいや、本当にもういいから」
「そうか。謝罪を受け入れてくれるのだな。感謝する」
「感謝してくれなくてもいいって」
「それで話は変わるが、お前の方はあれで平均くらいなのか?」
「は?」
『えええええええっ???』
【る、ルーンで黙らせたろか?】
『いっそ殺してもいいぞ』
【そんなことしたらファルに寝首かかれるけど、ええんか?】
『いや、勿論冗談だから』
「この通り、こっちが謝るから、その話はもう止めて下さい」
「そうか。じゃあこれからが本題なんだが」
『今のは前振りかよ。こっちはもう精神的にヘトヘトだ』
【素で危険物やな、この姉さん】
『実は俺達の中だとティアナが最強なんじゃ?』
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