第四十三話 旅の音楽家 1/7
「困ったことになったな」
一難去ってまた一難とはまさにこのことであった。
「どうだった?」
お帰りの挨拶もそこそこに、アトラックは部屋に入ってきたエイルに質問を浴びせた。
「ダメだな。ベックの言うとおりウーモスの外壁は内も外も警備がある。警備はまあ問題ないんだけど、予想通り外壁全てに感知ルーンがかけられているな」
アルヴスパイアのマントを脱ぎながら、エイルは答えた。それを見て、シェリルがそっと立ち上がった。お茶を淹れに行くのだろう。視線の隅でシェリルを見送りながら、エイルはそう思った。
シェリルはこう言うところによく気がまわる娘だった。それもこれ見よがしでなく、目立たず行動するところにエイルは好感をもっていたが、相手が相手だけに言葉を交わす事は避けるようにしていた。
だが、エイルのそういうそぶりはシェリルにも伝わっていたであろう。エイルの目に映ったシェリルの後ろ姿は、心なしか寂しそうに見えた。
「そうですか、困りましたね」
エイルの詳細な報告を受けてそう言ったアプリリアージェだが、いつものように実のところどこが困っているのか解らないような微笑をエイルに向けた。
「夜陰に紛れてなんとか出来るようなものではないのか?」
そうティアナがエイルに尋ねたが、エイルは即座に首を横に振った。
「いや、夜の方が警備は厳重になるだろうな。まあ、連中を振り切ってウーモスから出るだけでいいなら力業でどうとでもなるけど?」
「いや、それは困る」
「だろ? さすがにここまで本気かつ徹底的にやられると、気付かれずに脱出するっていう今回の主旨にはルーナーとしてはお手上げだ」
「ベックの情報だとスプリガンには本来の隊長が合流しているそうだけど、こうなるとソイツはそれなりの頭を持っているという事だな」
アトラックが肩をすくめてそういうと、ファルケンハインが珍しくそれに答えた。
「腐ってもスプリガンだ。滅多な奴が司令官であるものか」
「腐ってるんですかね?」
「腐って無いことは身をもって知っただろう?」
「ですよねえ。まともな上官がいればたちまち噂通りの猛者っぷりでしたからね」
アトラックはそういうと肩をすくめて見せた。
出来ればもうスプリガンとやり合うのはゴメンだといわんばかりであったが、ファルケンハインとしてもそれは同意見だった。少なくともル=キリア以外の仲間をかばいながら戦える相手ではないことは暗黙の了解事項のようなものだった。
「で、どうする、リリアさん?」
エイルはリリアに水を向けた。
「ほとぼりが冷めるまで長期滞在もいいかもしれませんね。幸いなことにここは温泉の街。長期滞在をしていても怪しまれませんからね」
アプリリアージェはのんびりとした口調でそう言ったが、もちろん誰もその言葉を本気にしているわけではなかった。
「陽動を起こして警備の一部を手薄にして、その隙を狙うというのはどうなんだ?」
すでに当たり前のように一行に混ざっているベックがアプリリアージェの方を見て提案した。だがアプリリアージェはそれには無言で、表情も変えなかった。代わりにファルケンハインが口を開いた。
「感知ルーンは警備する兵の有無とは関係なく消えないだろうし、そもそもその陽動を逆手に取られる可能性がある、ということだ」
腕組みをしたファルケンハインはそう言って、シェリルが淹れなおした熱い紅茶をすすった。
「敵の戦術がグッと高度になってるってことだよ、ベック」
エイルはファルケンハインの言葉に補足をした。
「向こうはそんな事はもう織り込み済みだという事さ」
ベックが考えている事など、お互いに想定の範囲内なのだという事をファルケンハインは軍人的な言い回しで、エイルは敵を持ち上げることでベックに分からせようとしたわけだが、当のベックは不満そうに口をとがらせてそっぽを向いた。
もちろんファルケンハインもエイルもバカにした訳ではないのだろうが、少なくともベックは素人扱いされたことで多少なりとも不機嫌になってしまったようだった。
一行が頭を抱えているのは、予想以上に敵が用心深い存在であることに気付くのが遅れた事に端を発していた。ル=キリア死亡を相手に解らせた段階で作戦は終了したものだとタカをくくっていたのだが、それが間違いだったのだ。
彼らのウーモス帰還を待っていたかのように敷かれた街ぐるみの監視包囲網が極めて緻密で効果的だったことをみても、スプリガンの本来の司令官の能力がわかる。それだけにうかつな事で動くわけにはいかなかった。
アプリリアージェの当初の予定では帰還後に二日ほどウーモスに滞在して、エルデとハロウィンを交え今後の事をじっくりと相談した上で次の行動に移るつもりでいた。
まさか街の出入りをドライアド軍、いやサラマンダ委嘱軍がその管轄下に置くとは思ってもいなかったのだ。
もちろんエルデもそこまで読み切れてはいなかった。彼らはつまり、自分達の偽の遺体が荼毘に付されたことを確認した時点で「してやったり」と思い込んでいたのだ。
アロゲリクの渓から急ぎ戻ったところまでは順調だった。
打ち合わせ通りまずベックと合流したル=キリアとエイルは、用意されていた着替えを受けとり、スプリガンの死体からはぎ取って身につけていた軍装をエルデのルーンで文字通り灰にして証拠を消した。
その後何食わぬ顔で同じくベックが手配していた規模の大きな賑やかな宿に落ち着いた後、町の様子を念のために確認した上でエルデのルーンを使って誰にも見つからないようにエルネスティーネ達が待っている宿で合流したという訳である。
無事とはいえ、一行の帰還は作戦開始からまるまる二日たっていた事もあり、エルネスティーネとシェリルの心配は相当のものだった。
その間ハロウィンは「スプリガンが戻って来ないうちは絶対大丈夫だ」と慰めていたし、ティアナもその意見をもっともだと本気で支持していた。とはいえ「こういう事」になれている人間の言葉だからと頭では理解できても、エルネスティーネは眠れぬ夜を過ごしていた。
無事に再会を果たした一行は、少年のように短く刈り込まれた髪型のエルネスティーネを見て、まずは度肝を抜かれた。絶句した後、とりあえず説明を求めようと一斉にハロウィンの方を見たが、その態度に当のエルネスティーネはいきなりお冠だった。
「ハロウ先生は関係ありません。私が決めたのです。だから何とか言って下さいな」
『えっと……誰だっけ? 』
【元王女様……やな】
『元? 』
【そういう事、なんやろ。思い切ったんやな。ここはムリヤリでも褒めたらなアカンな】
『褒めるって? 』
【髪型に決まってるやろっ、このスカタン】
『いやいやいや、変だろ? さすがに短すぎるだろ? オレの世界にはああいう髪型のサル型人形があってだな……』
【黙れ! ええか? 一言でもそんなこと口に出してみ? 俺が許さへんで】
『なぜ? 』
【ほら、グダグダ言うてんと早よ褒めるっ! 】
「そ、その髪……す、すごく似合うよ、ネスティ」
【棒読み過ぎやろっ! おまけに顔が引きつってるって】
「本当に?」
だが、一行では最初に口を開いたエイルに対し、エルネスティーネは心底嬉しそうに反応した。
「エイルがそう言ってくれると、素晴らしく嬉しいです」
エルネスティーネはそういうとアルヴィン特有の緑の瞳を輝かせて、唐突にエイルに抱きついてきた。
「え? いや、ちょっと、その?」
「ありがとう、エイル」
エルネスティーネのあまりの感激振りにエイルは狼狽(うろた)えて助けを求めるべく廻りを見やった。その時はからずもティーポットを手に持つシェリルと眼があった。栗色の長い髪をした鳶色の瞳の娘は、エイルを見て寂しそうに笑うと目を逸らした。
『なんか、元気がないな』
【そやな。でも】
『わかってる。関わらないようにするさ』
結果としてエルネスティーネの髪型は概ね評判が良かった。
実のところ本音のエイルにはかなり不評だったのだが、その事を知るものはエルデだけだった。
特にアプリリアージェは普段見せないような感情を見せた。エルネスティーネがエイルにしたように、悲鳴が上がるまでエルネスティーネを抱きしめ続けたのだ。その時、アプリリアージェの目尻に涙がにじんでいたのを、エイルは見逃さなかった。
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