第四十二話 アキラ・アモウル・エウテルペ 1/6

 剣豪としても「軍師」としても名高い「レナンス」のアキラ・アモウル・エウテルペ。

 彼は歴史書や小説などでもアキラ・アモウルと紹介される事が多く、アモウルが族名であると勘違いされていることが多いが「アモウル」とは附名であり、ファランドールの一般的な呼称としては、アキラ・エウテルペが正しい。


 彼の故郷であるツゥレフ島はサラマンダ大陸の南部の東、ドライアド大陸の中央部西に位置し、かつては独立した国家であった。

 その国では貴族の子は誕生に際し名を二つもらう。すなわち一つは父親からもらう「一つの名」であり、もう一つは母親からもらう「死後の名」いわゆる附名(ふめい)である。

 これはツゥレフでは黄泉の国の入り口には門番がいて生前の罪を吟味すると言われている言い伝えに端を発する対処法であるという。

 伝説のこの門番は生前の善行には一切触れず、ただ罪のみを吟味して、罪多きものにはその扉を開くことをしないという。黄泉の扉をくぐれなかった魂は混沌に飲み込まれ、やがて化け物となり、二度と人として生まれ変わることはないとされる。現在ではその化け物とはスカルモールドのことだと言われているが、念のために書き添えておくと、ツゥレフの古い伝承にはスカルモールドという表現はない。

 ツゥレフの人々は輪廻信仰をもっていたから、人として生まれ変わる為には門番にぜひ黄泉の扉を開いてもらわねばならなかった。しかし人とは大なり小なり罪をおかすものである。そこで考えたのが罪をごまかすことだった。

 門番は門の前にやって来た魂に問う。「汝の名を名乗れ」と。

 そこで人の魂は二つ目の名、すなわち死後の名を名乗る。門番には嘘は通じないから適当な名前は名乗れない。しかし二つめの名は真実の名ではあるが生前使っていた名前ではないので、その名前を門番がファランドールの精霊に照会しても罪の記録はないと回答される。門番は恭しく門を開け、魂は正しく黄泉に旅立つという寸法である。

 都合のいい話だが、人間の知恵は自らに困難を課した後、同時に逃げ道を作るものなのだろう。

 また別の説もある。

 ツゥレフを開いた最初の王と后が自分たちに最初の子供が生まれた際、お互いが自分の考えた名前を主張して大げんかをおこし、国政を顧みずに何年も争いつつけた為に国が滅びかけた。そこでようやく二人はお互いに自分達の愚行を恥じ、既に長じていたその子の提案を受け入れた。すなわち父も母も一つずつ我が子に名前を付けることになったのだ。以後は貴族達も王家のしきたりに倣った為、ツゥレフの民は二つの名前を持つことになったのだと言うのだが、おそらくは両方が正解なのであろう。

ツゥレフは古来より女性の地位が高いことがそのことを裏付けているように思える。


 二つの名前のうち、通常父親が付けた名を名乗り、公式な文書や行事などでは死後の名を含めた完全な呼び名を用いる風習がある。ツゥレフ島は本来少数民族の国家であった。ドライアドに併合された後もしばらくの間はドライアドの国家様式を取り入れつつ、とはいいながらもそのころはまだ独自の風習が残っていたのであろう。


 アキラは、その少数民族のツゥレフ族の末裔なのである。

 彼はドライアドに併合された後に爵位を与えられツゥレフ島の領主に任命されたエウテルペ子爵家の第一子として生まれた。しかし、ドライアドの貴族法により第四妻の子であったアキラには家督の継承権はなく、現在の第一継承権は子爵と第二妻との間に生まれた三男のユーリ・ファウル・エウテルペにある。


 そのツゥレフ島のレナン城にてアキラは星歴四〇〇二年、つまりエスカ・ペトルウシュカと同じ年に生を受けた。父は当時のツゥレフ領主ケイジュ・エウテルペ子爵。母の名は三番目の側室、つまり第四妻マリィであった。母親のマリィは市井の出身で旅の吟遊詩人として生計を立てていたという。年老いた父と娘の二人連れで各地を訪れていたようだが、ケイジュがミュゼから自領に帰る途中で見初めて夢中になり側室にしたとある。身元がはっきりとしないマリィを妻に迎える事について、子爵家はかなりもめたそうだが、「たとえ子が生まれてもその子には継承権を与えない」という条件で周囲に納得をさせたのであろう。そうでなければ、順番としては最初の妻のはずであったマリィが第四妻になっていることは極めて不自然である。


 アキラ・アモウル・エウテルペの剣の才能はさておき、彼はまた優れた横笛の奏者でもあった。もちろんその音楽の才能はマリィの影響と考えるのが自然であろう。

 アキラは忍びで全国を旅することが多く、各地で笛の名手「アモウル」の名が知れ渡っており、武人としてのアキラとは別人として扱われていることも多いようである。

 若くして将軍職に就いたエスカの下で、アキラは通常の軍を率いる事をやめ、主に諜報役として活躍をしたようである。

 ドライアド国王であるエラン五世、いや正確には五大老直轄と言われる秘密部隊、「スプリガン」の指揮を執るようになったのもその頃からのようである。

 大佐となり、スプリガンの総司令を拝命してからもなお、彼は単身で様々な諜報活動を行っていたようである。実質的な権力は総司令として掴みながらも、自分の父親よりもまだ年かさの副司令を事務的な顔として前面に出し軍内での折衝を任せるなど、弾力的な政治手腕はそれなりに評価されていたようである。出世の速さはいらぬ敵を作るものだが、それをやんわりと受け止める術を知っていたと言うことであろう。

 だが「摂政」的な手法は政治的な駆け引きだけではなく、むしろ実質的な物を生み出すために必要な手段だと現在では考えられている。それはもちろん自らが野に出て様々な諜報活動をする時間を捻出するための方策だった。

 その自由時間とも言える諜報活動時の仮の姿が、笛の名手としての名、アモウルである。金褐色の髪と、澄んだ青い目をしていたと伝えられるアキラは、白鳥のクレストが刻まれた横笛を吹く眉目秀麗な美しい青年音楽家として描かれている事が多い。

 「白鳥の君」という後世の呼称から、エウテルペ家のクレストが白鳥であったという説が当たり前のように流布しているが、これは完全な間違いである。

 エウテルペ家のクレストは熊をあしらったものである。つまり、白鳥のクレストとエウテルペ家とは何の関係もない。

 ただ、アキラは白鳥のクレストの刻まれた横笛を愛用していたことは多くの記述から間違いのないところで、持っていた剣の柄にも同じクレストを使用していたと言う話も事実であろう。

 だが、紳士録(リスト)には、アキラ・アモウル・エウテルペのクレストは掲載されていない事もまた事実である。


 今日では、ミリア・ペトルウシュカの手に依る「遠き夢のレナンス」という肖像画の人物がアキラ・アモウル・エウテルペの肖像として最も古く、かつ信憑性のある姿形をあらわした絵であるという事で各方面の見解は定着している。レナンスとは「レナンっ子」と言ったような意味で、ツゥレフの首都レナンで生まれ育ち、武に篤く儀を重んじ、それでいて血気盛んな誇り高き男達に与えられる称号のようなものである。

 エスタリア大吟遊会にも何度か顔を出していたであろうアキラとその主催者であるミリアが出会っていた可能性は極めて高い。いや、出会っていなければ不自然であろう。

「多くの女性を虜にした」と言われる美男音楽家にミリアが興味を示さないはずもなく、記述に残るアキラの多くの特徴と一致するその肖像画の音楽家こそがアキラ・アモウル・エウテルペであろうという説に異論を唱えることは困難と言っていいだろう。


 それまでのドライアドの歴史をひもといても、エスカとアキラという稀代の才能が手を取り合っていたような時代はない。神が本当にいるとすれば、激動の予感をはらむファランドールにあって、このような配役を行ったその周到な演出には本当に恐れ入るばかりである。

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