第三十七話 賢者の弟子 3/4
アトラックがここでごくんと生唾を飲み込んだ。もちろんファルケンハインはちらりと睨み付けたが、ファルケンハインとて同じ気持ちだった。二人ともすっかりエルデの話に引き込まれていたのだ。
「目の前が真っ赤になって、気が遠くなって意識がなくなってもうた。その時に悲鳴が聞こえた様な気がしたけど、気のせいやったかも知れへん。なんせもう十年くらい前の話やしな」
「で、どうなったんだ?」
ファルケンハインは思わず尋ねた。言った後でアトラックに対してバツが悪いとは思ったが、聞かずにはおれなかったのだ。
「俺が目を覚ましたのはその試験があった日から三日後やったそうや。ベッドの傍には師匠ともう一人の弟子がいて、試験で残ったのは二人だけで、あとは全部失格になったんやと言われた。その時はああそうか、と思ったんやけど、ずっと後で残りの弟子は全部死んだって言うことを知らされた」
「まさか?」
エルデはうなずいた。
「ご想像通り、ってやつや。俺がその時、あの低位ルーンで全部焼き殺してもうたわけやな。俺は力を出し尽くした反動で生死の境をさまよって、師匠の看病のおかげでなんとか生き延びたっちゅうわけや。もっとも俺はその命の恩人である師匠にも酷いやけどを負わしたんやけどな。「真赭の頤(まそほのおとがい)」の顔にある火傷痕はその時のもんや。さらに言うと、普通は制御無しにルーンを放出すると廃人になるっちゅう話や。俺が助かったのはまあ、さっき言うたようたように俺が特別やから、やろな」
それだけ言うとエルデはぷっつりと黙り込んだ。
『よくそんな話をする気になったな』
それまで沈黙を守っていたエイルの意識がつぶやいた。
エイルはエルデとのつきあいの中でポツポツと話される身の上話をいくつか聞いてはいたがその話については聞かされていなかった。こうして聞かされると胸の奥に疼くような痛みが走った。
自分の体験ではないが、それでも言葉に出来ない複雑な悲しみをエルデと共有しているような気になるのだ。
【っちゅう話をしたっけ? お前さんに】
『はあ?』
【違ったっけ?】
『おいおい、ひょっとして作り話なのかよ?』
【ちゃうちゃう。思いっきり脚色はしたけど】
『まったく』
【フン。まあみんな昔の話や】
『でもそんな話をするって事はお前はル=キリアの連中に心を許したって事か? 『誰も信じるな』、じゃないのか?』
【信じてるわけやない。こういう話をしたらこっちが心を開いたんやと向こうが油断するやろ?それを狙っての事や】
『はいはい。そうかよ』
だが、エイルはその言葉とは裏腹なエルデの気持ちを感じていた。血も涙もない殺戮集団という噂とは裏腹に、ル=キリアのメンバーはあまりに友好的でうち解けた雰囲気の連中だった。噂がとうてい真実とは思えなくなってくるほどに。
もちろん噂を否定しているわけではない。だが、エイルには彼らの態度には偽りも裏の思惑もないと思えて仕方がないのだ。エルデはその雰囲気に釣られるかのように思わず心の内を吐露してしまったと言うことだろう。おそらくエルデは語った記憶の重さにいつも心がつぶされそうになっているのに違いない。だから人に自分の罪を話すことで、自分で自分を少しだけ許したいと思っているのだろう……。
エイルはそう思った。
「興味本位で申し訳ないんだが」
長い沈黙の後で、ファルケンハインが低い声で呟いた。
「何や?」
エルデは自然体で答えた。それは問いかけを拒否するような雰囲気の声ではなかった。
「その時、仲間というのかわからないが、同じ試験を受けている子供のうち一人だけが生き残っていたと言ったが?」
エルデはファルケンハインの質問の意図を理解した。
「相当なルーンの使い手やったんか?と言う質問に対する答えは『否』や」
「ではなぜ一人生き延びられたんだ?《真赭の頤》でさえ癒やせぬ火傷を負うほどの……その、「事故」だったのだろう?」
エルデは顔の片方だけで笑っているような引きつったぎこちない笑みを浮かべた。
「ソイツは、たまたま師匠の後ろ側にいて炎を直接浴びひんかったみたいやな。あと、これは確かな記憶やないんやけど、とっさに師匠はそいつをかばったようにも見えたな。どっちにしろそいつは実はその時、唯一ルーンを失敗したヤツやったんや」
「と言うと、落第生じゃないのか?」
「まあ、結果だけで判断するとそうなるな。でも実はシグの爺さんにとってあの試験はルーンの正否を見る試験やのうて、おのおのの特性を見極める初期の検査の一つとしてしか考えてへんかったみたいやな。弟子同士が勝手に重要な試験やと決めつけてただけの話やった……というのもずっと後でわかったことやけどな」
「俺も聞きたいことがあるんだけど」
アトラックが、これはエルデにではなくファルケンハインの方を気にしながら声をかけた。エルデはいいぞ、と言うかわりに軽く手を挙げて見せた。
「その、おまえさんと違う方の生き残ったもう一人の弟子っていうのは、賢者にはなれたのか?」
エルデはアトラックの質問に、今度はいつもの不敵な笑いを浮かべて見せた。
「なれたみたいやな」
「ほう」
「と言うか、や。その生き残ったヤツには、おまえさん達全員、一度は会ってるはずやで」
「え?」
ファルケンハインとアトラックはまたもや顔を見合わせた。
「それって、まさか?」
エルデはうなずいた。
「賢者「二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)」。現名はラウ・ラ=レイ。ランダールでアルヴの女吟遊詩人のかっこをしてたやろ?」
「ちょっと待ってくれ……」
ファルケンハインは眉間に左手の人差し指を当てて目閉じて、まるで難題で知られるパズルを解くような難しい顔をしながら尋ねた。
「そのラウ・ラ=レイという弟子がなぜお前の事を知らないって言ったんだ?」
「まあ、言ったのはカレンですがね」
ファルケンハインはアトラックの軽口を咎めるように睨んだ。アトラックはいつものように肩を竦めて見せた。
「知らない振りなどではなく、全く心当たりがないという風だったが?」
【そらそうやろなあ】
『そりゃそうだな』
「エイル・エイミイは本名ではなく、その時とは顔形も違う、という風にしか考えられないんだが、そういう解釈でいいのか?」
エイル、いやエルデはその質問に直接答えることはせずに、逆にファルケンハインに訊ねた。
「ル=キリアの兵士ともなればルーナーについての基本的な知識はあると思うんやけど」
「そうだな」
「俺がウーモスの宿でリリア姉さんにルーンをかけたときのことを覚えてへんか?」
「と、言うと?」
ファルケンハインとアトラックは顔を見合わせた。
「ルーンの基本的な決まり事や」
アトラックは合点したという風に手を打った。
「『契約の前文』、いわゆる前文か」
アトラックの言葉にファルケンハインもエルデの言う意味がわかった。
「なるほど。エイル・エイミイという名で前文を唱えていた」
「そう言うことや」
「前文ではまず自分の本名を名乗らないといけないんだよな。だからエイル・エイミイは本名か。だったらなぜ賢者ラウ・ラ=レイはその名前は知らないなどと言ったんだ?」
「まあ、その辺の詳しい話はいろいろあるんやけど、今はちょっとアレで話されへんのは勘弁してくれへんかな。それより、要するにラウは血反吐を吐くような修行を何年も一緒にやってきた俺の事は認知できていない、っちゅうわけや。もっとも会うのはホンマに久しぶりやから俺も最初は全然気ぃ付かへんかったけどな。それにしても女は結構化けるなあ」
「わかった。その件についてはもう何も言うまい。では質問を変えるが、お前が《真赭の頤》に弟子入りしたのは何歳の頃なんだ?」
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