第三十二話 脱出 3/3
エイルは後ろ手で少し離れろと合図をした。一行がそれに従い距離をとったのを見ると満足そうにうなずいて無造作に城壁の門へ歩き出し、堂々とした態度で普通にそれをくぐり抜けた。
だが、そこには予想通りルーンを使った罠が仕掛けられていた。
エルデが門の外に一歩踏み出した瞬間に、地面から十数本の槍が突きだし、その内の一本がエイルの体を見事に下から貫いた。
……かのように見えた。
月明かりの中ではあったが、少なくとも一行の目にはそう見えた。だが実際は槍ではなく、鋭く尖った岩だった。ちょうど細い筍のような形状の物体が地面から鋭く突き出たと言えば分かりやすいだろう。その石の槍に貫かれたはずのエイルはしかし、そのまま何事も無かったかのように走り出した。
「あれは蒸気亭で見た強化ルーンですよね」
「あの時も思ったが、実際に刺さって見えてしまうところがどうにも心臓に悪いな」
「確かに」
石槍地帯を抜けたところへ、今度は頭上から真っ赤な炎の固まりが小柄なエイルめがけて正確に降り落ちて来た。その燃えさかる炎が辺りを真っ赤に染め上げると、何もかもを一瞬で灰にしてしまうような熱気が遅れてやってきた。かなり離れているはずのル=キリア一行にも熱波が届くほどだった。
アプリリアージェはエイルの能力に疑いは持ってはいなかったが、闇の中に突然現れた炎の固まりにはさすがに息を呑んだ。「俺には物理的な攻撃は効かない」と言っていたエルデだが、これはいわゆる物理攻撃ではない。高位の攻撃ルーンに対してはエイルは何も言及していなかったのだ。
【うっひょー!】
『派手な出迎えだな』
【これは敵さんあなどれんな。俺の予想以上の使い手が居(お)る】
『油断するなよ』
【おいおい、俺を誰やと思てんねん】
『はいはい。天才ルーナー様でございましたね』
【言い方が気に入らんけど、わかってたらええねん】
ルーンで練り上げられた炎は目標物であるエイルにぶつかったとたん、一瞬で消えた。アプリリアージェ達は、一体何が起こったのかはわからなかったが、そこにはまるで何事も無かったかのような様子で、エイルが月明かりを受けて静かに佇んでいた。
エイル……いや、エルデはその体勢のままで再度何かを唱えながら歩を進めた。すると今度はそこに一陣の風が吹きつけ、エルデの体の一点に強い風圧が集中した。
その後にル=キリア一行が見たのは、エルデの体が二重になり、そのうちの一つだけが上下二つに切り裂かれた様だった。だが、切り裂かれた方のエルデの体は空中でかき消えるように霧散した。
もう一つの体、エルデの本体はその場で振り返ると、一行に向かってニヤリと笑って見せた。
【おっし、これでしばらくオッケーやろ】
『さすがだな』
【この程度の突破は朝飯前やな】
『今は夕食後だけどな』
【それ、絶対言うと思た】
エルデは門の中側にいるアプリリアージェ達に向かって手招きすると、きびすを返して全速力で街道を走り始めた。エイルにとっては精一杯の速度で走ったつもりだったのだが、数秒もかからず横にル=キリアの仲間の気配を四人分感じた。
(うわっ)
そうと思った次の瞬間には、彼はファルケンハインに抱きかかえられて、顔に当たる風のいきおいで、その速度差を思い知っていた。
「お前はすごいな。あれで何ともないのか」
ファルケンハインは感心しきりと言った表情でエルデに言った。
「あの強化ルーンを全員にかけられたらええんやけど、あれほど強力なんはどれも詠唱者専用やからな」
「うむ。あれがあればまさに無敵だな」
「いや」
エルデは答えかけて言いよどんだ。
「まあ、しょせんルーンや。契約で都度能力を得るしかないから、手順が狂えば終わりやしな。先天的にエーテルを纏えるフェアリーと違うてやっぱりルーンにはいろいろ制限が多いんや」
「そうか」
ファルケンハインはその話題にはそれ以上突っ込まなかった。エルデの強化ルーンの弱点を聞く事になるからだ。
エイルはファルケンハインのそう言うところが好きだった。ぶっきらぼうな風でいて、相手の事をかなり気遣ってくれるのがファルケンハインなのだと言う事がわかってきていた。多くは語らないが、つきあってみればその優しさが理解できた。それがたとえほんの短いつきあいであったとしても。
ファルケンハインといい意味で対極にあるのがアトラックだろう。彼は言葉での意思疎通を殊(こと)の外(ほか)大事にしていた。ともすれば傍若無人と思えるほどズケズケと人の心の中に入り込んでくる彼の言葉にはしかし、エイル達は悪意を感じなかった。「一言多い」とファルケンハインにいつも言われながらも、その実間違いなくファルケンハインにも嫌われてはいない。それどころかファルケンハインの言動を注意深く観察していれば、アトラックへの信頼はかなり厚いと言うことがわかる。
エイルが見たところ、ル=キリアの中でアトラックが場の雰囲気を作る役を負っているのは間違いないところであり、彼のそういった社交的な雰囲気がいい意味で場の緊張をほぐすのだ。言葉数が多いと軽薄な人間ととらえかねないが、アトラックの態度にはいつも自信と信念が宿っているようにエイルには見えた。
問題は、アトラックと話しているとついつい話さなくてもいいことまで話してしまう、言ってみれば相手に油断を作らせるような存在でもあることだろう。
エイルは隣を走るアトラックを見て、心の中で首を振った。
(いいや、油断というのとは少し違うかな)
例えるならば、門や囲いのない庭の向こうに開け放たれた明るい居間が見える家のような、そんな気持ちにさせてくれる懐深い人間なのだと思った。
「すぐに追っ手が来る。側面および後方の監視を怠るな」
アプリリアージェが短く叫ぶ。それなりに距離が離れているにもかかわらず、彼女の声は鮮明に耳に届いた。それが風のフェアリーの持つ特殊な能力の一つだと知らされたのはかなり後になってからだった。
前方の目はエルデとファルケンハインの役目である。エルデはもちろんルーンの探索役だ。後方はどうやらテンリーゼンが索敵役を果たしているようだった。今まで見聞きした話から、テンリーゼンにはエルデほどではないにしろ簡単な防御結界を張る能力がある事はエイル達にもわかっていた。
「防御の能力があるんだが、副司令はフェアリーだからエイルとはおそらくは全く違う論理のものだろうな。とにかくテンリーゼンには適当な攻撃は当たらないよ」
アトラックがそう漏らしてくれた事をエイルは思い出していた。
左をアトラック、右をアプリリアージェがそれぞれ警戒しながら、一行は文字通り風のように夜の街道を駆けた。
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