第三十二話 脱出 2/3

 アプリリアージェはエイルにうなずいた後、ファルケンハインとアトラックに向かって短く告げた。

「これより我が小隊はウーモスを脱出して、半時以内に当面の安全圏を確保。その後体勢を立て直し、アロゲリクの渓にある庵とやらを目指す。詳細は打ち合わせの通りだ」

「了解」

「聞いての通り半時以内に安全圏を確保出来なかった場合は、私の行動不能が推測される。その場合は、別途指示がない限り自動的に指揮権を副官のクラルヴァイン少将に移譲する。指揮権変更時の合図は私ではなくクラルヴァイン少将が出す。なお、私が自ら指揮権の回復を告げない限り、クラルヴァイン少将の指揮権は無期限で継続されるものとする。皆、いいな?」

 テンリーゼンとアトラックはうなずいたが、ファルケンハインはたまらず声をかけた。

「司令……」

 だが、アプリリアージェはファルケンハインが皆まで話すことを許さなかった。

「この件についての質問は許可しない。そしてこの命令は絶対だ」

「はっ」

 ファルケンハインが言いたかったことはアトラックにもわかった。アプリリアージェの体調が思わしくない事を懸念したのだろうと。そして今まで何度かあったアプリリアージェのエーテルの暴走は今日と同じようにアプリリアージェ自身の体調がかなり悪い時に起こった事なのだと確信していた。普段であれば感情の起伏があってもそれにエーテルが過剰呼応するのを普通に制御できるものなのだが、体調が悪いとそれがままならないのはどんなフェアリーであろうと同様だった。だが、本当に気を入れて制御しようとしても不可能なほどエーテルが暴走していくなど、よほどの事がない限りはありえない。言い換えると、そこまでの体調不良がアプリリアージェには時々発生し、それは慢性的に彼女が持っているものだと言うことなのだ。纏うエーテルが強力なだけに、その反動もまた比例して大きくなっていくのである。

 ファルケンハインはそれについての懸念を口にしようとしたのだろう。アプリリアージェはもちろん、ファルケンハインの意図を察知してあえて制止したに違いない。


『さっきの話の続きだけど重ねがけが危険な呪法って二回までは問題ないのか?』

【そやな……】

 エルデはエイルの問いかけに、少し間を空けて答えた。

【それでもたぶん、どんな豪傑でもルーンが切れたときには失神するやろな】

『おい、それって』

【かけてくれ言うたんはリリア姉さんやで】

『しかし、それじゃ』

【ああ、戦闘不能や。どっちみち半時以内に安全が確保できる所まで逃げられへんかったら体調不良の姉さんは足手まといになるわけやろ? なに、大丈夫や】

『大丈夫なのか……』

【いざとなったら敵さんは俺が皆殺しにしたる】

『おい!』

【俺たちはここで死ぬわけにはいかへんやろ?】

『……』

【それとも俺たちだけ逃げて、リリア姉さん、いやル=キリアはスプリガンに殺された方がええのか? ま、その方がいらん心配はなくなるけどな】

『意地が悪いヤツだな、お前』

【ふん。どっちにしろリリア姉さんは重ね掛けがヤバいって言うのは俺が説明するまでもなく理解してるやん。せやからあらかじめ副官に条件付きの司令官任命をしたんやから】

『あ、そうか』


 一同を見渡したアプリリアージェは最後にテンリーゼンを見つめた。テンリーゼンは何も言わずにただ、小さくうなずいて見せた。

「いくぞ」

 アプリリアージェの合図を受けてファルケンハインがエイルに声をかけた。

「よし。いくぞ、エイル」

 その言葉を聞いたエイルは無言でファルケンハインの傍に立った。ファルケンハインはかがむとエイルに背中を向けた。エイルはファルケンハインの大きな両肩に手をかけると広い背中に体重を預けた。すなわち、エイルはファルケンハインに負ぶさる格好になった。


【まあ、わかってはいるんやけど、なんというか……格好悪いなあ】

『言うなよ』

【本気で移動する風のフェアリーには、俺らみたいな普通の人間はまずついて行かれへんねんからしゃあないわな】

『あの、高速移動できるルーンとかで何とかならなかったのかよ』

【ああ、あれは緊急用やもん。効果はほんの数十秒やから、こういう場合は全然役に立たへんな。一度詠唱してもうたら、再発動までかなり時間かかるルーンやし。時間が関係ないヤツもあるけど、そっちは肉体負担がハンパや無いから、下手すると全身の筋肉がズタボロになるしな。そうなったらさすがに修復に相当時間かかるで】

『やれやれ』


「しっかり捕まらないと振り落とすぞ」

 そう言うとファルケンハインは開かれた窓から軽々と飛び降りた。

「うわ」

 エイルは思わず小さく声を上げると、あわててファルケンハインの肩にしがみついた。



**********************



 町の城壁が近づいてきていた。

 一行の警戒にもかかわらず、スプリガンの姿らしい影は見えない。まるで出て行って下さいと言わんばかりだ。アプリリアージェはそれがかえって気がかりだった。

 警戒しつつ城壁までたどり着いたところでエルデは手を挙げて一行を止めた。

 城壁を前にして、一行は手招きをするエルデを中心に集まった。

 エルデは白面のアプリリアージェに小さくうなずくと、精杖を取り出して短く何かを唱えた後で小声で全員に告げた。

「俺が通り抜けた後、合図をしたら続いてくれ。ただし俺と同じ道をブレなく、や。少し道がズレたら命の保証はでけへんで」

 エルデのその警告に再び一同が小さくうなずいた。

「ほな、行ってくるわ」


 エルデは城壁を守備する警護兵を見つけると、精杖を取り出して、再び何かを唱えた。すると程なく、二人いた警護兵は崩れるようにその場に倒れ込んだ。ルーンで眠らせたのだ。


「お見事」

「うむ」

「でもあいつ、やっぱり走りながらルーン使ってますけど、本当にルーナーなんですよね?」

「もう言うな。あいつに俺達の常識など通用せん。見たとおりに受け入れるしかないだろう? そう考えた方がスッキリとした気分になれるぞ」

「レイン副司令はスッキリしてるんですか?」

「聞くな」

「はいはい」

 アトラックはそう低く呟き、隣にいたファルケンハインにうなずいた。

 二人のやりとりをよそにアプリリアージェはテンリーゼンをチラリと見た。アルヴィンの無口な副司令はそれに反応して小さく首を横に振った。

 テンリーゼンにはある程度の範囲の気配を感知する能力が備わっており、敵が近くにはいないと答えたのだ。

 残る問題は敵が仕掛けたルーンだが、その解除役がエイルだった。

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