第三十一話 キャンセラ 2/8

 場には沈黙が流れていた。

 ややあってアプリリアージェは口を開いた。

「さすがですね。私達のあの反応だけで即座にキャンセラにたどり着くんですから」

「近衛軍の大元帥直属で、王女の護衛についてた精鋭って言うから、普通の剣士やないとは思てたけど、キャンセラとはホンマ、流石の俺も恐れ入ったわ」

 ティアナは改めて詫びた。

「すまない。非常時に味方の戦力を殺ぐような愚かな行為を犯してしまった。償えるものではないがエイルが望むそれ相当の罰は甘んじて受けたい」

 そう言うとティアナは深く目を伏せて唇を噛んでみせた。守備隊であるという責任を自らに課している彼女にとっては、あまりに大きな失策であり、誰よりも自分を責めていたのである。

「それについては責任は私にありますね。ティアナの特性については隠しておくつもりは全くなかったのですが、機を失ってそのままにしていました。いえ、正直に言うと今、ティアナがエイル君を触るまですっかりその事を忘れていました。こうなる前に予めエイル君には情報として与えておくべきでした。至らなさ、お詫びします」

 そう言って目を伏せるアプリリアージェにエルデは両手を広げてうんざりだという意思表示をした。

「まったくや。今の直情的で愚かな行為がこの局面を大きく左右する事態にならへんかったらええけどな」

 アプリリアージェはその皮肉たっぷりのエルデの言葉には答えずにティアナに尋ねた。

「あなたは、シルフィード随一と言われるルーナー、ミドオーバ大元帥のルーンをどれくらい封じられるのですか?」

「大元帥はバード長でもありますから、さすがに別格です。ざっと四時間ほどで回復されました」

 ティアナの答えを聞くと、アプリリアージェはエルデに向かって屈託のない笑顔を向けた。だが、その笑顔にエルデはふと違和感を覚えた。いつものような覇気が感じられないのだ。アプリリアージェの笑顔には周りに及ぼす一定の力があった。場を明るくするというと陳腐な表現に過ぎるやもしれないが、少なくとも見る者の心をいやす力が彼女の笑顔には確かにあったのだ。だが、今見るアプリリアージェに限ってはその微笑が苦しそうに見える。いや、実際によく見ると顔色もかなり悪い。


【姉さん、なんや体調が悪そうやな】

『え?』

【顔色が悪いで】


「ですって、エイル君」

「は?」

「ティアナは我が国のルーナーの頂点に立つ人を四時間封じられるそうですよ。ふふ」

「ふふ、って」

 そこでようやくエイル、いやエルデの顔色が変わった。


【えっと……あー、このオバハン、大っ嫌いやあああああああ】

『どうした?落ち着けよ』

【これが落ち着いていられるか!可愛い顔して、あんな笑顔で、お前の能力はシルフィードのバード長、ミドオーバ大元帥と比べてどんなもんや?って言うてんねんぞ。今俺に謝った口で、即座に今度は挑発やで??顔色が悪いからちょっと心配してもうたけど、思いっきり損したわ。ああああっ!ホンマになんつー憎たらしいオバハンやねん!!】

『落ち着けって』


「おそらく、ですが、向こうからしばらく襲ってくることはないでしょう。スプリガンは急襲・奇襲を得意とする特殊部隊です。こちらが少人数だとはいえ、一度失敗して警戒しているに違いないであろう相手に対して面と向かって派手に攻撃してくることはないでしょう。こちらに高位のルーナーが居ることももう情報として知っているでしょうし」

 アプリリアージェは自分をにらみ付けているエルデにそう言って微笑んだ。

「少なくとも、私がスプリガンの隊長なら高位ルーンを使うルーナーが居る事がわかっている敵部隊に下手な手出しはしません。いったん全隊を引いて、作戦撤回をするか、圧倒的に有利な状況を模索して作戦を立て直すでしょう。さらに言えば、我々の名前すら知っているのであれば、その戦力の噂くらい、スプリガンにも伝わっているでしょう。まともな軍人であれば、不用意に手出しなどできません。もっとも」

「もっとも?」

 エルデは挑むように訊ねた。

「味方の損失の多寡など一切意に介さないというなら話は別でしょうが」

「フン、妥当な分析やな」

 エルデはそう言うと唇を噛むのをやめて、何かを呟き、ニヤリと笑った。そして微笑んでいるアプリリアージェに向かって左の掌を突き出した。

「四時間やったな」

「え?」

「試してみるか?ティアナ姉さんの俺に対するキャンセラとしての相対能力っちゅうヤツを」

 そう言うと、エルデは今度はつぶやきではなく辺りに充分聞こえる程の声でルーンを詠唱しだした。それは一行が初めて見るエイル……いやエルデの平文によるルーン全文の詠唱だった。


「我が名はエイル・エイミイ。ファランドールの大地にウンディーネの加護を受け生を得す者なり。我は精霊の主にして僕(しもべ)、家族にして友、父にして子でありそれら永遠に続く絆を尊ぶ者なり。我は創造者マーリンの名の下で古の契約を受け継ぐ権利を有し……今まさに一つの力を欲する。汝らは疾(と)く我が呼びかけに答えよ。ここに詠じるはマーリンの子サラマンダの名において古に契約されし一つの約定なり。父サラマンダが答えぬ今、子であり孫でありサラマンダ自身である汝らこそが義務を正しく履行せよ。我が手にその力を。生きとし生けるものすべてを空に帰す大いなる炎を今まさに我に与えよ」

 履行の前文を終え、契約文の詠唱が始まると、ファルケンハインとアトラックが立ち上がった。攻撃系ルーンだと読んだのだ。だが、掌を向けられたアプリリアージェはそれを制した。


「フレイル!」

 エルデが短い契約文につづいて、少し間を置き、認証文を唱えた。その場の緊張がピークに達した次の瞬間、エルデの左手から一条の炎が吹き出してダーク・アルヴに襲いかかった。

「司令!」

 ファルケンハインとアトラックは悲鳴に近い声を上げた。

「動くなっ!」

 アプリリアージェは短くそう怒鳴ってそれをも制し、平然と迫り来る炎を待ち受けた。


 炎はアプリリアージェに襲いかかり、体全体を覆ったかと思うと、一瞬で消え去った。炎に包まれて燃え上がったアプリリアージェは、しかし何事も無かったかのようにさっきと同じ微笑を浮かべて座っていた。

「四分も経ってませんね」

 そして落ち着いた声でそう言ってティアナに微笑んで見せた。

「どういう事です?」

 ティアナはアプリリアージェとエルデを見比べて見せた。

「ええっと……いや、さすがにさっきのはけっこうハラが立ったんで、お遊びでちょっぴり驚かせてみようと思ったんやけど、リリア姉さんは俺がやろうとした事は全部お見通しやったみたいやな……っちゅうことや」

「いえ、正直に言って大変驚きました。キャンセラと接触して四分も経たないのにルーンを使えるだなんて。我が国が誇る大ルーナーのミドオーバ大元帥は四時間ですからね」


【フン、実際はもっと早く回復しとったんやけど、ここはグッと堪えて秘密にしといたる】

『お前、本当に大したルーナーなんだなあ』

【や、やめてんか。お前に褒められるとなんか気持ち悪いわ】

『オレはすごいものはすごいと思うだけさ。お前はすごいよ』

【キャー、もっと言うて、もっと言うて】

『いや、前言撤回。お前が基本的にはバカだって事を忘れてた』

【なんやて!】

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