第二十話 メッダの鐘 1/8

 精霊祭に合わせた秋の大市は長い船と馬車の旅で疲れがたまっていた少女達にとって格好の気分転換になったようだった。

 町の中心部にある広場のほぼ全体を使って多くの店が軒を並べていて町の人間にとってはもちろんのこと、彼女たちにとっては各地方・各国から持ち寄られた特産品や食べ物など、見たことのない物が一堂に会する賑やかなランダールの精霊祭の市は驚きの連続だったのだ。エイルの都合もあって滞在が延びて後から合流したハロウィン組は大市の最終日までたっぷり楽しんでいた。

 中でもネスティ……エルネスティーネの興奮は夜になって宿に戻っても冷めやらなかった。


「明日は早朝の出発なのです。後生ですからそろそろお休み下さい」

 興奮してしゃべり続けるネスティが市の話題をあらかた終えて帰り道で気付いた靴の底についた小石の組成の話にまで及んだ時、さすがのティアナもたまりかねてそう懇願したが、それはすでに日付が変わってしばらく経ってからであった。

 かく言うティアナ自身も旅行者として自国……いやエッダで暮らし始めてからは首都を出ることすら殆どなかった事もあって、外国の大市は密かに楽しんでいたようである。


 その証拠は翌朝、ランダールを徒歩で出立したあと、道中でエルネスティーネによって発見されることになった。

 もっともそれはその時初めて発見されたというよりは例のエルデが気を利かせた?ルーンに包まれた彼女達によって目撃されていた出来事の答え合わせのようなものであったのだが……。


「あら、ティアナ。その耳飾りステキね」

 ランダールの城門を出てしばらくしてからだった。左耳に付けた耳飾りをめざとく見つけたエルネスティーネが、ティアナに声をかけた。

「ええ……その……大市で」

 ティアナはいつもの歯切れのよい受け答えとは違い、口ごもるようにしてそう言うと、エルネスティーネから視線をそらした。


 ティアナの左耳にぶら下がっている耳飾りは細長いねじれた籠のような形をしていて、その中に小さな赤いスフィアが抱きかかえられるようにして入れられているものだった。籠の細工は実に緻密で朝の光を反射して時折キラキラとした光を放ち、ともすれば厳しい表情になりがちなティアナをいつもの何倍も明るく感じさせた。


「リリス製かしら。大胆なデザインが繊細な巧緻で見事に仕上げられています。とても可憐ですね。なによりその耳飾りはティアナにとっても似合っていてよ」

 エルネスティーネは耳飾りに言及したあたりからティアナが少し落ち着きをなくしてほのかに顔を上気させているのに気づいて、内心ニヤリとしていた。つまりティアナが耳飾りについては何か事情が……それもティアナにとってはきまりの悪い事情があって出来ればあまり触れて欲しくないという風情をわかった上であえて意地悪く追求してみせたわけである。

 それは、そもそも自分を飾るという事がティアナにとっては事件とも言える出来事だからであり、ティアナに何らかの変化が起こったことが容易に理解できたからであった。

 からかう・からかわないという悪戯心を別にしても、エルネスティーネにとっては殆ど軍服の姿でしか会うことのないティアナが耳飾りという装飾品を付けたという行為自体がちょっとうれしくもあったのだ。

「いえ、リリスなどと……市の骨董屋で売られていたものですから、おそらくは銀の合金でしょう」

「ふふ。そんなことはどちらでもいいではないですか。ティアナは気に入っているのでしょう?」

「ええ……まあ」

 ティアナの顔がさらに赤くなったのがわかった。エルネスティーネはそんなティアナの様子を見て笑いを堪えるのに苦労した。


 ティアナはできるだけ平静を装いながら前を歩くファルケンハインの背中をチラリと見やった。ファルケンハインと言えば、さっきからハロウィンとアトラックの三人で並んで、ランダール周辺でとれる葡萄の種類とそれから作られるワインの話ばかりをしていた。

 ファルケンハインのその様子を見たティアナは心の中で小さなため息をつくと、無意識に左耳につけたその耳飾りを左の人差し指でちょっと揺らした。すると耳元にルルル……という涼しげな優しい音が聞こえてきた。どうやら、その耳飾りは、揺らすと中のスフィアが微妙に籠の中で動いて小さな音がなる仕掛けになっているようだった。だが、その音は本当に小さく、装着した本人にしか聞こえない程度であるようだ。それが証拠に横を歩いている耳のいいエルネスティーネがそれについては何も言及しなかったのだから。

 

「覗き組」からは背中しか見えなかった為に耳飾りから音が鳴る事を発見した時のティアナの表情まではエルネスティーネも知る由はなかったが、実はあの時居合わせた……いや、ティアナの正面に居たファルケンハインはもちろん目撃していたのである。


 ……まるでおもちゃ箱をひっくり返したような、鮮やかででたらめで賑やかな市が開かれている広場の中を幼い少女の様に気まぐれに走り回るエルネスティーネを追いかけ回した結果、その横にいつも居ることは事実上不可能だという結論を導き出した。おてんばな姫の行動力と底知れぬ体力を目の当たりにした彼女は、事前に申し出があったように広場の中でのティアナの護衛をエルネスティーネ以上に小回りのいいルネに任せる事にし、自らもしばし大市を見て回る事に決めた。

 ぶらぶらとあてもなく歩いていて、ふと目に入ったのが大小様々な雑貨を売っている老婆の店先だった。ティアナ自身は多くのシルフィードの女性軍人がそうであるように特別に服や装飾品などに興味があるわけでもなく、またティアナの場合その禁欲的な性格が災いして見たこともないような珍しい食べ物にチャレンジしようという欲求もなかったので、彼女の興味は実用品だけであった。つまり今後の旅に役立ちそうな旅行用品でもあればと思って足を止めた店だったのだが、そこでファルケンハイン・レインとばったり出会うことは全くの想定外であった。


 ファルケンハインの姿を認めた瞬間にはきびすを返してよそへ行こうとも思ったのだが、火事の時の事もある。それでは相手のことをあからさまに意識している事を宣言しているようで抵抗があった。いや、それよりもファルケンハイン・レインの彫りの深い顔を見つけ、その切れ長の思慮深そうな瞳を見つめて思わず顔を赤く染めた姿をすでに見られてしまっていては、いきなりその場を離れると誤解されかねないと考えた。いや、そもそも自分の方が遠慮する必要などないわけで、ここは普通に接しようと、ティアナはあえてその場にとどまり、ファルケンハインに簡単な黙礼をした。

 最低限の義務は果たした、と自分に言い聞かせた後、ティアナはファルケンハインをこれ以上ないくらい意識しながら無視を決め込み、何か声をかけようとした長身のファルケンハインの脇をすり抜けると店の奥に向かい、簡易な陳列棚に所狭しと並んだ雑貨を色々と吟味してまわった。

 その多少屈折したティアナの心の動きを知ってか知らずか、ファルケンハインは実にフランクにティアナに声をかけた。低く、太い声がティアナの耳に深く染み込んだ。


「さっきネスティに聞いたが、今日が誕生日だそうだな」

 ティアナは思わず顔を上げた。

 思いがけない言葉だった。

 いや、思いがけないのは今日が誕生日だと自分自身がすでに忘れていた事に対する驚きも含めたものかもしれなかった。

 もう何年も自分の誕生日などを気にしたこともなかったが、そう言えばいつもエルネスティーネだけは誕生日を祝う言葉をかけてくれていた。

 シルフィードの王宮の不文律で、特定の人物に贈答品や下賜品を与えることは禁じられていたこともあり、エルネスティーネから誕生日の贈り物と言ったものは一切もらったことがなかったが、ティアナにとってはエルネスティーネが笑顔で祝ってくれるその言葉が何よりの贈り物だと思っていた。

(我が姫……)

 こんな状況でも単なる一軍人の誕生日を覚えていてくれたことに対して、神に感謝した。

 だが……。

 なぜ今そんな話題をファルケンハインが私にする必要があるのだろう?

 精霊祭だからと言って浮かれているのか?だとしたらやはりル=キリアなどという人殺し部隊にいる人間は軽蔑すべき存在だ……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る