第十四話 シェリル・ダゲット 3/6
『えーっと』
エイルは初期の混乱をようやく脱し、現状把握の為に脳神経を総動員して事態の収拾を検討し始めた。
[びっくりやな]
『猫と間違えたのかな』
[あほ。いっぺん医者に診てもらえ]
『冗談に決まってるだろ』
[冗談言うて余裕ぶっこいている場合か?]
『そう言うなら、何か打開策をくれ』
[自分の事は自分でやりなさいって習わへんかったか?]
『お前、いつか絶対ぶっ飛ばす』
[はいはーい。頑張ってー]
「いや……あの……その……オレ、そのルルとかいう猫……じゃなくて人? じゃないんだけど」
そしてようやく口を出た言葉がこれであった。
エイルの言葉は確かに事実を述べていた。
「え?」
シェリルは顔を上げて自分が下敷きにしているエイルの顔を見下ろした。
「あちゃ」
「うーむ」
その時、エイルの背後で聞き覚えのある男達の声がした。
「どうやら俺達、ちょっとばかり遅かったみたいですね」
「うむ」
「というか、一番間の悪い時に来ちゃった気がしますね」
「今は状況がよくない。ほとぼりが冷めるのを待って出直すか」
「いやいやいや、さすがにそれはマズいでしょ。人として。というか、俺達がなんとかしないとほとぼりなんて冷めませんよ」
頭上でやりとりする暗い声の主を確認する為に無理な体勢で振り返ったエイルの目に映ったのは、自分を見下ろすように立っているファルケンハイン・レインとアトラック・スリーズの長身の二人組だった。
「シェリル、しっかりしなさい。その子はルルデ・フィリスティアードじゃないんだよ」
「シェリルのその様子を見ると、リリアお嬢さんがこだわるのも無理のない話なのだな。そこまでそっくりだということか」
二人はシェリルをいたわるように、交互にそう声をかけた。
[なんや、やっぱり知り合いか]
『今日合流する予定だって言ってたのはこの人たちだったのか』
[っちゅーか、ルルってルルデ・フィリスティアードの略かいな]
『またルルデか』
[さすがに略しすぎやろ]
『いや、名前は一文字しか略してないだろ。というか、突っ込むのはそこじゃない』
「アトルさん……それにファルさん?」
シェリルは流れる涙と鼻水を袖でぬぐいながら、不思議そうな顔で眼下のエイルと頭上に現れた二人とを見比べた。
「何を言っているの? この子はどこからどう見てもルルデです。私のルルデ・フィリスティアードです。だいたい私がルルデを見間違えるわけありません」
『「この子」って言うなっ!』
[いや、お返しするわけやないけど、突っ込むのはソコやないやろ。というか、この子はどう見てもお前より年上やからその呼び方はアリや]
『ないよ』
アトラックは顔を曇らせて頭を掻くと、ファルケンハインの方を見やった。ファルケンハインはアトラックの視線からあからさまに目をそらすとため息をついた。
「こういう最悪の場面はまったく想定してなかったんだがな」
「副司令。言っておきますが立場上逃げられませんよ。司令はこの場に居ないんですから、この状況における全責任は副司令にあります」
「アトル、お前にはこの後色々と『簡単な』任務を考えておくことにした」
「えええ?悪いのは俺ですか?」
「運命を呪え」
「いや、そんなとんでもない即答をしないでくださいよ。どう考えてもこれはリリアお嬢様のせいでしょ?」
「往生際が悪いぞ」
小声のやりとりの後、ファルケンハインは食い下がるアトルを振り切り、隠しからハンカチを出してシェリルに渡した。シェリルは首を振ると、自分の隠しから小さなハンカチを取り出してみせた。しかしファルケンハインはその大きめのハンカチを差し出したまま首を振った。
「そんな小さなハンカチでは拭いきれないだろう?」
「どういう、ことですか?」
大柄なファルケンハインはかがむと、シェリルの栗色の頭を優しく撫でた。
「ルルデ・フィリスティアードはもういない。この少年の名はエイル・エイミイ。サラマンダ人ではなくウンディーネ人で、我々のこれからの旅の仲間なんだ」
その時、落ち着いた顔で成り行きを見守っていたハロウィンの顔色が変わった。それはファルケンハインがエイルの名前を告げた直後であったが、その変化にはその場の誰も気づかなかった。
シェリルはエイルを見つめなおした。
困惑……いや、シェリルを哀れむように見つめるエイルに、シェリルはおそるおそるという感じで声をかけた。
「ルルよね? 私のルルデだよね?」
[幼なじみか]
『辛いよな』
[まあ、俺たちが辛がる必要はないやろ]
『だけど』
[まあ、気持ちはわかる]
『どうする』
[さっきも言うたけど、お前さんが考えろ。そもそも夕べから話がややこしくなってるのは、お前さんがそのルルデ・フィリスティアードにそっくりで瓜二つで双子みたいで本人同然っちゅうのが原因なんやからな]
『おいおい、無茶言うなよ……って、それ全部同じ意味だろ』
[あんないじらしい娘さんを泣かしたらアカンで]
『いや。あの人、泣きながら突進してきたんだぞ! 健気な感じで抱きついてくるとかじゃなくて、こう、イノシシみたいな突進だったからな? そこ、大事な事だと思うんだ』
エイルはため息をつくと、シェリルに首を振った。
「のっぽのレインさんが言ったようにオレの名前はエイル。ウンディーネのエイル・エイミイだ。生まれた時からずっとね」
「うそ」
「嘘じゃない。よく見てくれ。そのルル、いやルルデ・フィリスティアードという人じゃない。言っておくけど生き別れた双子とか親戚とかそういうのでもないからな」
エイルは一気にそこまで言うと、ふうっと大きく深呼吸をしてみせた。その上でシェリルの様子をうかがうと、くしゃくしゃになった泣き顔が見えた。その白い顎からポタポタと落ちる涙を認めると、エイルは顔を背けて続けた。
「君には悪いけど、昨日からそこの二人を始め、そのルルデっていうヤツに間違えられてこっちは結構、いやかなり迷惑してるんだ。だからもうこういうのはうんざりなんだけど」
そう言った後で、今度はファルケンハインとアトラックの方を睨んで続けた。
「あんた達、こういう事になるって昨日のうちに解ってたはずだろ? だったら何で言ってくれないんだよ」
「いや、こういう微妙な問題は司令……じゃなくてリリアお嬢様の預かりだから」
アトラックはすまなそうにそう言って肩を竦めて見せた。
ファルケンハインは暗い顔をエイルに向けると正直に告げた。
「いや、正直に言うとこういう事は俺たちもどうしたらいいのか解らなくてな。つまり」
「うやむやになっていたって事か?」
「うむ。実はまあ、簡単に言ってしまえばそう言う訳だ。そもそもその……リリアお嬢様がこの件からは逃げ腰でな。いや、むしろ積極的に先延ばしにしていた」
「おいおい、そりゃないだろ?」
[まったく。こっちは本当にいい迷惑やな。まあ、不幸中の幸いなんは、そのルルデってやつがどうしようもないお尋ね者とかやなかった事やろな]
『おい、いくらなんでもそれは言っちゃマズいだろ』
[ここだけの話や。どちらにせよ、ソイツは死人のくせに生きている俺等に迷惑かけすぎやな]
シェリルはそれでもエイルをじっと見つめていた。
「ウソよ。見れば見るほどルルにしか見えないわ」
「確かに。私の目で見ても他人のそら似と言うにはあまりに似すぎている。たとえ双子であってもここまでそっくりなのも珍しいと言っていいだろう」
シェリルの声に呼応したのはハロウィン・リューヴアークだった。
「え? 先生はルルデの事をご存じなのですか?」
ファルケンハインの質問に、ハロウィンは小さくうなずいた。
「少しの間だが、請われて医者としてシエナ隊に同行していた事があるんだ」
「そうでしたか」
ハロウィンはシェリルに向き直ると続けた。
「でもね、シェリル。辛いだろうが、本人じゃないのは確かなようだ」
「ですが、先生」
シェリルの白い顔はすでにぐちゃぐちゃになっていた。それはファルケンハインの予言通りにすでに自分の小さなハンカチでは役に立たない状態といえた。そんなシェリルの、すがるような眼差しを受けとめる事ができず、ハロウィンは気の毒そうに顔を伏せ、ヒゲを撫でた。
「シェリル。世の中には自分に似ている人間は三人いると言われている。だが殆どの人は互いに出会う事がなく一生を終えるものだ。他にも納得できないような不思議な事だってたくさんある。つまりこの人は本当に偶然にルルデにそっくりに生まれたんだろうね」
「ルルはデュナンじゃないのよ? 先生は瞳髪黒色の人間が何人もいるって言うの? しかも同じ顔なのよ?」
シェリルはハロウィンにそう言い聞かされても、なお何かにすがるようにエイルの顔に自分の顔を近づけた。そして思い出したように髪をとめていた薄茶色の髪飾りを外すと、それを両手で包んでエイルに差し出した。
「これ、覚えているでしょう? あなたが私に結婚を申し込んだ時にくれたものよ」
エイルは目の前に差し出された薄茶色の緻密な木目の髪飾りを見つめた。そこには八重に咲いた百合の花が丁寧に浮き彫りにされていた。凝った造りのものだという事は、エイルにもよくわかった。
「ずっと私に隠れて彫ってくれていたでしょう? 私の大好きな、八重山百合の髪飾り」
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