第七話 暗珠の呪法 2/4
「で、この後どうするつもりだ? 食いしん坊の旦那。まさか俺たちにこいつら全員始末しろってんじゃねえだろうな?」
口々にひそひそ声で話し合っていた客達の声がだんだん大きくなってきた頃に、ルドルフが店に戻ってくると、後ろ手に縛り上げられた兵士達を眺めながらゆっくりエイルに詰め寄った。
店の客達はルドルフの再登場を知ると口を閉ざし、遠巻きにエイルと兵士とを交互に見比べてながら二人の会話に注目した。
「あれ? そうするんじゃないの?」
「バカな事をいうな。俺たちゃ反政府ゲリラじゃないんだぞ」
「正規軍の連中にこんなことをしたとあっちゃ、俺たちはタダでは済まないだろうよ」
ルドルフに次いで、兵達の武器をひとまとめにしていた自警団の一人が言った。
「ふーん。じゃあ聞くけど、あいつらの言いなりになっていた方がよかったって言うのか? カレンが死んでもよかったのか?」
「そうは言っちゃいない」
「だよねー。まあ、悪いようにはしないさ」
「悪いようにはしない、だと?」
「ああ。今日は出血大サービス」
子供とは思えないエイル、いやエルデの不貞不貞しい態度に、ルドルフは眉をひそめた。
[しもた。血はアカンかった]
『はいはい』
「あの坊や、まさかとは思いますが、反政府ゲリラ……じゃないですよね?」
アトラックがどちらにともなく問いかけた。
「この後始末をどうするつもりかが問題だが。まさか……」
アプリリアージェはそう言うファルケンハインにうなずいて見せた。
「私も今、おそらくファルケンハインと同じ事を考えていました」
「というと?」
アトラックの問いにファルケンハインが答えた。
「ドライアド軍にぶつけるのはシルフィード軍だという事だ」
「条約違反している軍同士の小競り合いにするつもりってことですか?」
「この町に被害が及ばないようにするにはそれしかないだろう。そうでなければそれこそ本格的にこの町は反政府ゲリラの疑いをかけられて、軍隊が駐留・占拠することになるだろうな」
「でもそんなことをされちゃ……」
「万が一、そういうそぶりを見せたら、かわいそうですが私が始末します」
アプリリアージェは短くそう告げた。
「さっき見たとおりあの子はただのフェアリーではないようなので、私がもしも一撃でしとめられなかった時は援護をお願いします。最初に最大の力を投じて一瞬で事を終わらせてください。その後、速やかにこの場から離脱して予備の宿の方へ移ります」
「了解」
「俺たちの正体を明かされる前に、ですね」
アプリリアージェの命に、アトラックとファルケンハインはうなずいた。
その間、エイルの指示により、兵士達は全員手足を縛りあげられたまま店の外にある馬車に放り込まれていた。唯一隊長格の男だけがその場に残された。
エイルはルドルフから水の入ったヤカンを受け取ると、意識を失ったままの男の頭にヤカンの水を盛大にかけた。隊長格の男はそれで簡単に正気に戻った。
「何しやがる! 貴様ら、やっぱり反政府ゲリラだったんだな?」
「元気そうだな」
「てめえっ。いいか、このままで済むと思うなよ。俺たちに手を出すと、この町は終わりだぞ。俺たちが単独で行動していると思うなよ」
「反政府ゲリラなんかじゃないって言っているのに、ホントしつこいな、アンタ」
エルデはやれやれと言った表情を見せると、薬罐の残りの水をさらに顔にかけた。
「ぶはっ! やめろ、クソガキ! 俺たちを放せ。放せば今度だけは多めに見てやる」
「あのさ、オジサン」
「なんだ、ガキ」
「オジサン達がたとえドライアド軍であろうと委嘱軍であろうと、今回の行動はそもそもトリムト条約違反でしょ?」
「聞いてなかったのか? はじめに準戒厳令下だと言ったはずだ」
エルデは男の言葉に腕を組んで考え事をするかのような態度をとった。
「準戒厳令下ねえ。それってトリムト講和条約の何条に書かれてるんだっけ? 俺、立場上、一応条約は隅から隅まで全部読んだんだけど「準戒厳令」なんていう条項はないんだよね。戒厳令についての条項は確かに七条に渡って色々と既述されてるけど、その戒厳令自体はそもそも今発令されてないよね?」
「素人が知った風な事を言うな。新しい条項ができたんだよ。辺境には伝わってないだけだ」
「今度は『シロウト』と来たか」
エルデはそう言うと大きく息を吸い、今度はいきなり精杖の先を隊長の鼻面に突きつけた。そして態度を豹変させると大声で威嚇した。
「恥を知れ! この腐れタコ助っ!」
それはその場の空気を見事に一瞬で凍り付かせた。
「な……」
隊長はエルデのその恫喝に思わずひるんだ。
「やれやれ。ああいえばこういう、かいな。十年も前に締結された講和条約に前触れもなく今更新しい条項が追加されるわけないやろ、このすっとこどっこい」
「あ、また古語に変わった」
「南方語もしゃべれるけど、どうやら古語が地みたいですね」
「それよりも立場上ってなんでしょうかね?」
アトラックが小声で矢継ぎ早にファルケンハインに声をかけたが、ファルケンハインはそれをいつものように無視した。アトラックはそのファルケンハインのいつもの態度に別段腹を立てたり落ち込んだりという風もなく、エルデの方を興味深く探っていた。ただ、ファルケンハイン同様にその右手は懐に入れられたままだった。
「仕方あらへんな。オッサンみたいな糞虫なんかに見せるのはめっちゃもったいないねんけど、ええもん見せたるわ」
エルデはそこでいったん言葉を句切ると、精杖を顔の前で水平に持ち直した。
「コレが何かわかるか?」
エルデはそう言った後、小さく何かを呟いた。
するとエルデが手にした木製の杖の頭頂部に埋められたいくつかのスフィアのうち、目立つ大きなスフィアの一つがまばゆい光を発し、店内を明るく照らし出した。そしてそのスフィアの光を受けたカウンター横の白いしっくいの壁に、幻灯のように赤い文様をくっきりと浮かび上がらせた。それは蛇が絡まった杖とツルバラが巻き付いた剣が交差した、特徴的な紋章だった。
店内がざわめきに包まれた。
それはファランドールの住民ならば誰もが知っている紋章だったのだ。それだけではない。スフィアからその紋章を出す事ができる人間がいったい誰なのかも、彼らはファランドール人の常識として知っていた。
「おい、あれは」
「まさか、まだ子供だぞ」
「いや、子供も何人かいるという噂を聞いたことがある」
「だいたい、あれは年齢と関係ないだろ?」
「そういや、そうだ……」
「おい、そんなことより、ひ、額を見ろ、本物の賢者さまだ」
一人の男がそう叫んでエルデの方を指さすと、悲鳴とも歓声ともとれる声が蒸気亭の店内に一気に轟いた。
「あれは!」
「おお!生きているウチにお目にかかれるとは」
「ありがたや」
「ありがたい……」
蒸気亭の人々はエルデの額に突如現れた第三の目を見て、紋章を掲げた瞳髪黒色の人間が賢者であることを確信した。
中にはエルデに跪くもの、座り込んで額を床にすりつける者さえあった。
「し、司令!」
「なんてこと」
「まさか」
アプリリアージェ一行もエルデの額にある第三の目とスフィアの紋章を見て驚きに包まれていた。彼らも噂だけは知っていたが、賢者の額にあると言われている第三の眼を見るのは生まれて初めてのことだった。
しかし、一番驚いた表情をしていたのは誰あろう、事が起こってからずっと、カウンターの片隅にあって目立たずに座っていたアルヴの女吟遊詩人であることには誰も気づいていなかった。彼女はこの一連の騒ぎを、店の隅からずっと冷静に眺めていたのだ。
(賢者の徴……マーリンの瞳だと? いったい誰?)
「こんなガキが、まさかマーリンの賢者!」
隊長格の男は、惚けたようにエイルの額にある真っ赤に見開かれた第三の目を見つめていた。
「ほお。不良軍人でもさすがにこの紋章とこの目の意味は知っているようやな」
「なぜ賢者がこんなところに」
「賢者様といえ、この下衆め」
「は、はい、け、賢者様」
「余がこんなところにいる訳を知りたいか?」
「は、はいいっ」
「うふふ。それはひ・み・つ」
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