第十話 ルルデ・フィリスティアード 5/5

『キリキリキリキリ』という独特の高音を発するシルフィード海軍の「調べ矢」の音がルルデの耳に届くのとほぼ同時に、背後にそれなりの重さを持った物体が地面に激突する鈍い音が左手、すなわちアプリリアージェの後方に聞こえた。

 目の前の少年が空に向かって矢を射るのを見ていたルルデは、それが調べ矢であろうと想像がついていた。だが、もう一つの音は想定外のものである。むしろその音は警鐘だった。異常事態だと直感した。そして同時に、その直感は嫌な予感と二人連れであることも。

 ダーク・アルヴの後ろに倒れているのは、ルルデがよく知っている人間だった。

 その人間は倒れたままピクリとも動かなかった。落下時につぶれた目は何も映すことなく、開いた口は言葉を発することはなかった。


「うぉぉぉぉぉぉぉ」

 喉と頭部、二本の矢が深く刺さったままの状態で落下した無惨な兵士が兄だと認識した瞬間に、ルルデは激昂した。それまで抑えていた感情がそれに呼応し体中の血液を沸騰させた。それは理性の軛を溶かし、言葉にならない獣のような咆哮を生むにいたった。

 ルルデは地面に捨てた剣に飛びつくと、その柄を強く握りしめるてと剣先を空に掲げた。

 彼の前に立っているのは、それでも相変わらず顔色一つ変えず、傍目には柔らかに微笑しているかのような少女である。しかし正体は『白面の悪魔』と呼ばれる敵の兵士であった。

 ルルデにとっては相手が子供だろうが中将だろうが、デュナンだろうがダーク・アルヴだろうが、ましてやドライアド軍だろうがシルフィード軍だろうが、もはやそんなことは問題ではなかった。目の前にいる弓を持つ兵士をただ敵と認めると、憎しみと怒りが混然一体となった激情が頂点を極め、自分の内側から何かが大きな固まりのようなものが渦音を轟かせてわき上がり、鳩尾を通って咽から噴出するかのような錯覚に囚われた。


「貴様あっ! 俺たちは降伏しただろうが!!」

「冷静になれ。そして理性を持って判断しろ。これは事故だ」

 尋常でない形相で吠えるように問いかけるルルデに対し、アプリリアージェは今まで通りの落ち着いた声でそう答えた。だがその言葉は相手にはもう届かぬだろうと確信していた。

 そう判断したアプリリアージェの、今度の対応は早かった。構えを解いていた弓を改めて引くと、剣を上段に構え向かってくる目の前の敵兵の眉間に狙いを定め、躊躇なく矢を放った。

 だが、より行動が早かったのはここでも『ドール』だった。

 最初に一矢、間髪を容れずに二矢、立て続けに都合三本の矢をアプリリアージェより速くルルデに打ち込んでいたのだ。

「ぐぅ」

 テンリーゼンの放った三本の矢に続いてアプリリアージェの放った一本、それら合計四本の矢が全て体に突き刺さると、ルルデは片膝を突いた。

 その場に居た二人、すなわちアプリリアージェと『ドール』が突然赤い発光を目撃したのはその時であった。

 光の元はすぐにわかった。今まさに地面に崩れ落ちようとしているルルデが、赤い光に包まれていたのだ。


 その光は熱を帯びており、膨張を始めていた。

 アプリリアージェは本能的に危険を察し、すぐさま異常な状態のルルデに向かってもう一本矢を放ったが、その矢はルルデが纏った赤い光に触れると形を失った。アプリリアージェにはそれは蒸発したように見えた。

(まずいな)

 すぐにその場を離脱しようとしたアプリリアージェだったが、場所が悪かった。後方に崖を背負ってルルデに対峙していたアプリリアージェには、逃げ場は側方しかない。だが時既に遅く、ルルデの放つ光の膨張で逃げ場は存在していなかった。


『ドール』は味方の危機と見て続けざまにルルデに向けて矢を放ったが、すべてが赤い光のベールに触れて蒸発するように消失した。

 絶命したかに見えたルルデだが、声にならない咆哮とともに手を突いて上体を起こそうともがきはじめた。だが思うように体は動かず、人のものとは思えない叫び声だけがあたりに響いた。

 唇を噛んだアプリリアージェが直観的に死を悟ったその時、ルルデの背後にいた『ドール』がその光球を突き抜けて跳躍しルルデを飛び越え、アプリリアージェの前に躍り出た。そして反転しすると両腕を広げてアプリリアージェをかばうように立ちはだかった。それはまるでルルデの赤い爆発球を抱え込もうとするように。

 長く感じたが、実の所赤い光が膨張し、テンリーゼンがアプリリアージェの眼前に立つまでは、ほぼ一瞬の出来事であった。


「だめです、リーゼ!」

 アプリリアージェの叫び声が合図であるかのように、今度は両手を広げた『ドール』に異変が起こった。リーゼと呼ばれたアルヴィンの少年の身体が白い光に包まれたのだ。そして必然として、それは膨張し迫り来るルルデの赤い光と衝突する事になった。

 それは赤い光と白い光、つまり二つの光の陣取り合戦の様であった。

 アプリリアージェには、当初は二つの光球の力は全く互角に見えた。だが徐々に『ドール』が放つ白い光が優位にたち始めた。赤い光球の広がりを白い光球が包み込むように受け止めると、今度は徐々にそれを押し返しながらさらに逆に白い光球を取り囲んだ。

 行き場を制限されたルルデの赤い光は、『ドール』の白い光と混ざり合うかのような動きを見せた後、二色の光は絡まり合って渦状に回転を始め、広がる方向を上方、すなわち空に求めるた。そしてそのまま光球から柱状に形を変えると、共に天空へ昇って行った。しばらくの間は天と地を結ぶ巨大な柱を形成していたが、それもやがて空中に飲み込まれたように霧散して程なく消えた。


 窪地を覆った光が消え、ようやく地面に倒れたルルデに意識を戻したアプリリアージェは我が目を疑った。

 ルルデの体全体がボウッと紫色に光っており、そしてそれはぼんやりとした状態になっていた。

 アプリリアージェはとっさに駆け寄ると、その光る体に手を触れようとした。

 しかし彼女の手はルルデの体に触れることはできなかった。そこには何もないかのようで、伸ばした手は空間をただ掴むだけだったのだ。そしてその数秒後には、ルルデの体は見えなくなった。

 

 理解不能のまま、アプリリアージェは伸ばしたままの右手の指先を見つめた。もちろんそこには何もない。思いついて今度は振り返った。『ドール』の様子が気になったからだ。しかし白い光球の主である銀髪の少年は目を伏せると首を左右に振るだけだった。

 

 もう一人の副官であるファルケンハイン・レインがメビウスが倒れている崖の上にたどり着き、停戦の合図の調べ矢が放たれたであろう窪地をのぞき込んだ時には、全てが終わっていた。

 ファルケンハインがそこで目撃したのは、アプリリアージェとテンリーゼンがシエナの死体の側で立ち尽くしている光景であった。

 それが自分が下ろしたあげた悲劇の結末である事を、彼はまだ知らなかった。

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