第十六話 笑う死に神 1/3

 アプリリアージェは星歴(せいれき)三九九八年黒の二月、現在はファルンガ州と呼ばれるシルフィード北方に位置するユグセル公爵の公領ファルンガの首都ユーゲンにあるファルンガ城にて産声を上げた。

 ユグセル公爵家はいわゆる北のアルヴィンと言われるダークアルヴの血統である。その歴史は古く、王家であるカラティア家とは本家と分家の関係であり、皇継承権も有する。それゆえ、当然ながら他の貴族からは一目置かれている。

 ユグセル家の一番の特徴はダークアルヴの血統にこだわる点であろう。それによる弊害は大きく、過去に何度も断絶の危機を迎えていたようである。

 アプリリアージェの時代には、とうとうユグセル家の血族がアプリリアージェ唯一人となった。母ニーナはもともと体が弱かったと伝えられているが、アプリリアージェを産み落とした後は床に伏したままで、結局公務に戻ることなく二年年後に他界した。父王クラカもアプリリアージェが幼少の頃に滞在先の首都で他界した。アプリリアージェは弱冠八歳でユグセルの家督を継ぎ、ユグセル公爵の地位についたことになる。

 なお、八歳というのは当時のシルフィード王国においては「爵位のある貴族が家督を継ぐことの出来る最低年齢」と定められていた年齢である。

 アプリリアージェが類い希な能力を有するフェアリーであることは彼女がまだ幼い頃よりシルフィードの軍首脳部に認知されていた。だが、シルフィード上層部の人間にとって、幼い彼女は強力な力を持つフェアリーとしてではなく、むしろ「本の虫」としての姿が印象的であったという。

 未成年であるという理由で首都への出仕義務を猶予されていたアプリリアージェだが、十歳になったのを機会に領土経営の全権を臣下マキーナ・ワルドに託して、単身で首都エッダに上京した。

 ただし住居はユグセル公爵邸に置かず、彼女の後見人でもあった軍務大臣で王国軍大元帥の地位にあったガルフ・キャンタビレイの屋敷に滞在していたと言われている。

 キャンタビレイ邸には王立図書館に次ぐ蔵書数を誇る「キャンタビレイ文庫」という図書館がある。本好きのアプリリアージェはそれが目当てだったようである。

 成人したアプリリアージェは王国軍籍を得る。その際国王アプサラス三世に対して自領であるファルンガ公領の移譲を申し出たとされているが、定かではない。少なくとも公式な発表は一切なく、公領の経営に関しては何も変化はなく、マキーナ・ワルドが現在も一切を取り仕切っている。

 軍籍を得たアプリリアージェだが、実際に軍に入ったのは一年後の一六歳の時、すなわち四〇一四年白の三月である。軍籍を得てから実際に配属されるまでの一年間は軍人ではなく公爵として国王の側仕え役の任に当たっていた。その間は住居も王宮内に置き、多くの時間は王立図書館通いに費やしていたようである。

 そんな少女時代を送った事もあり、必然としてアプリリアージェは多方面に渡り知識・造詣が深くなった。もともと聡明であった彼女は得た知識により海軍に配属されてからは多くの若い戦士が武器とする「武」ではなく、「文」いや、老獪ともいえる策士として名を馳せていった。

 もっとも「武」に関しても抜きんでた能力を有しており、文武両道に突出していた彼女は、国王を除きシルフィード軍史で最年少の「提督」となった。

 ユグセル提督には様々な逸話があるが、中でもこの格言が有名であろう。

「たとえ百の優れた戦術があろうと、たった一つの間違いのない戦略の前には為す術はない」

 これからもアプリリアージェ・ユグセルという軍人がいかに戦略を重要視していたかがわかる。

 もっとも皮肉な事に、戦略を練る立場になってからのアプリリアージェは、むしろ戦術を優先する組織を率いる事になった。

 すなわち特殊部隊であるル=キリアの司令である。

 ル=キリアとは目的に対して投入される遊撃部隊だ。対局を見据えた戦略ではなく、限られた時間の中で目的を達成するの為の戦術こそを求められる組織と言える。

 しかし、彼女をよく知る軍人は、畏敬の念を込めてアプリリアージェをこう評価する。

「戦略のユグセル」と。

 アプリリアージェの人となりについては、多くの人々が実に多くの感想を述べるだろう。そしてそれは必ずしも肯定的・礼賛的なものばかりではない。興味深いのは否定的な感想の多くがアプリリアージェ・ユグセルの能力や戦い方に関するものではなく、彼女の容姿や服装、立ち居振る舞いに関するものであることだろう。アプリリアージェ・ユグセル公爵が、対外的には「白面の悪魔」で通っている事は周知の事実だが、内輪では「笑う死に神」と呼ばれている事も有名な話である。これはアプリリアージェの「いつも笑っているような顔」が否定派にとっては格好の標的となっている証左であろう。


 一部から「ユグセル流」と揶揄されているものもあるが、そのうちの一つアプリリアージェが軍隊で普段使っている「言葉遣い」がある。

 そもそもシルフィード軍では職務に対する男女の区別はまったくなく、もちろん特別扱いも一切ない。そんな風土だから、軍では女性も男性と同じ言葉を使うのが通例である。平たく言えば、軍では女でも通常は男言葉を使うものというのがシルフィード軍の……いや、ファランドールのすべての国の軍隊でも同様であろうが……一般的な常識であったのだ。

 だが、アプリリアージェは作戦状況下以外では、すべて普通の女性言葉で通している。

 その理由としては、

「女性があえて男言葉を使う必要を感じない」と言ったとか、

「ハレとケ、つまり有事と日常との差を自らで切り替える為」

 など諸説あるが、アプリリアージェ自身が本当にそう言ったかどうかは謎である。


 いつも笑顔で優しい女性の言葉で軍を闊歩する、公爵の地位をもつ数多の武功で彩られたダークアルヴの美少女に、いかな公明正大で礼を第一とする気風のシルフィード軍といえど、内部に敵が居なかったと言えば嘘になるだろう。ただし、当然ながら表だってアプリリアージェ・ユグセルを排除する動きは一切ない。つまりは単純に「なんとなく気にくわない奴」という程度の感情なのであろう。

 また一部には「ユグセル流」とはアプリリアージェが自ら言い出した言葉だと主張する者もいる。曰く「意図的に自らを派手に目立つように演出していた」ということである。

 理由はアプリリアージェの最年少提督の記録をすぐに破ることになるテンリーゼン・クラルヴァインの存在をできるだけ目立たせなくする為だという事なのだが、主張としてはもう一つ説得力に欠けると言わざるを得ない。

 少なくとも彼女以上に注目されるべき早さで提督と呼ばれる地位まで上り詰めた謎だらけの少年提督であるテンリーゼン・クラルヴァイン男爵の存在が内外にそれほど大きく取り上げられていないのは、アプリリアージェ・ユグセルという存在感があまりに大きいからであろう。事実、アプリリアージェは、テンリーゼンが軍に入ってからずっと、彼の上司であり続けている。


 アプリリアージェの有名な二つ名「白面の悪魔」の由来は、一般的にはその容赦のない戦いぶりに依るものだと言われている。

 戦闘時には必ず白い仮面を付け、海賊の村を蹂躙する。その際女子供であろうが老いた者であろうが誰一人容赦することなく切り裂き皆殺しにする。挙げ句に村に火を放って全てを焼き尽くす、等の話はアプリリアージェやル=キリアを語るときに必ずついて回る逸話であるが、本人もル=キリアも自分達が関わった作戦については一切何も口にしない。


 アプリリアージェ・ユグセルが最も得意としている武器は剣ではなく短弓のようである。こと弓の腕前では「戦闘の申し子」とさえ言われるテンリーゼン・クラルヴァインを上回るとされている。すなわち白兵戦では中距離からの遠隔攻撃を主体とした戦法を得意としていると考えていいだろう。一般的な常識に照らしてもそれは彼女にとって妥当な得物と言えるだろう。そもそも小柄で膂力のないダークアルヴである。剣を得意としても、力に勝る相手の方が多いわけであるから、敢えてそれを得意として専門化するわけはないはずである。

 もっとも、軍の内部で行われる試闘と呼ばれる試合では、アプリリアージェは風のフェアリーとしての身軽さと素早さを生かして短剣を自在に使用することも可能であったようだが。


 記述のとおり士官になって自らの部隊を率いるようになったアプリリアージェ・ユグセルは白兵で目覚ましい活躍を見せるテンリーゼン・クラルヴァインを常に副官として隣に置き作戦行動を供にしていた。そしてル=キリアに入りテンリーゼンが少将となった事で、ル=キリアは提督が二人居る部隊となっただけでなく、提督の副官が提督という前代未聞の部隊編成を持つに至った。通常では考えられない組織であるが、それを通していたという事から見ても軍におけるアプリリアージェの発言力がいかに強いかがわかる。もっとも後天性の障害で言葉を発する事ができないテンリーゼン・クラルヴァインがアプリリアージェよりも速いペースで出世し、あっという間に少将と言う地位まで上り詰めることができたのはほぼ全面的に彼女の後押しがあってこそ、というのが軍事に詳しい者の統一した見解でもある。

 程度の差こそあれル=キリアの一員だったと伝えられる軍人の略歴をたどれば、アプリリアージェの部下とされる者が相当なはみ出しものばかりであったかがわかる。

 上官より義を重んじ、たびたび命令に従わない事件を起こすため、優秀ではあるが半ば干されていたとされるファルケンハイン、飛び抜けた記憶力で事あるごとに上官をけむに巻き、文字通りどこからも煙たがられていたアトラックなどもその例の一つなのである。

 だが、アプリリアージェはそういう曰く付きの部下を見事にまとめ上げ、その能力を最大限に生かした戦術を編み出していたのだから、人を見る目の高さこそがアプリリアージェのもっとも評価されるべき能力なのかもしれない。


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