駄文2018/03/08

・朝のブレスト


 自己評価を最低にすることで覆い隠していた欠乏感が、露わになってきた。ここからしばらく苦しい気持ちで過ごすことになるのだろうけど、別にそれでも大差ない。変化があるだけ良い。


 昨日から何かをしようという気持ちが起きない。快楽が足りないという感じがする。ゲームもつまらない。外に出ようという気も起きず、逆に最近までが躁だったのだと気付かされる。


 ふさぎ込んだ時はふさぎ込んだ文章を作ることができる。何かについて殊更に嘆いてみたり、憤ったりすること抜きに、物事を考えていく。


 午後から嫌な用事があるということで、その条件反射もあるのだろう。であれば、なおさら一過性のものであるし、ここでいったん色んなものを振り返ってみるのもいいのかもしれない。


 去年末で仕事をやめて、好き勝手に過ごしてみたけれど、これといった成果が出ない。3ヶ月で成果を求めるということが浅はかであるという気もするけれど、その萌芽を見出そうとする程度であれば、これは認められはしないだろうか。


 あるいは、判断する機能のほうが狂っているのであれば、これにはまだ救いがある。自分では気づいていない何らかの成果があって、それに気づいていないか、過小評価している可能性がある。ただ、こういう上振れについても、考慮しなければいけないということに、まだどこか恥ずかしさを覚える。


 冷静に考えれば、萌芽はある。それを枯らさないようにするために、段取りも組んだ。しかし今はできることがないので、通常通りの日課を進めるべきなのだけど、それができない。


 そういえば、やる気がないと感じる時は、何らかの抑制がかかっているという仮説を立てたのだった。たとえば、長期的に「このまま行くとマズい」という予感がある場合。これはやっていることの内容に限らず、健康面や経済面についての予感であることもある。


 確かに経済面では、もうどうしてこんなことばかりしているのか、というくらい、赤信号が点灯しっぱなしではある。ただそれは今に始まったことではない。ということは、新たに別の赤信号が灯ったということかもしれない。



・昼のブレスト


 とはいえ、思いつくものもないので、買い物用事を済ませた。外食をやめてその分で本を買う。それを昼食をとりながらちょっと読んで、またブレストを再開する。


 例えば、日課の組み立て直しは必要かもしれない。朝一番の日課が「日記」だと、文章を思いつくのに20分以上かかってしまう。これならデッサンに回してスケッチを済ませてから出勤し、職場が暖まるまでの時間を使って文章を考えた方がいいだろう。


 他にも、語学勉強へのモチベーションが下がっているのだった。読む限りにおいては、結局語彙の問題じゃないか、という気がしてきたので、英語でやるゲームをもっと増やしてみよう。安価なゲームをSteamで買って英語でやろう。


 なるほど、今月に入ってから、漠然とした退屈さが強くなってきている。無気力の原因はその辺りにあるのかもしれない。それは危機的状況からの脱出を意味するのでもあるけれど、そこからどうやって自分の興奮を作っていくのがいいだろうかと思う。


 自分の興奮というか、感情の高ぶりを求めているということか。消費行動はそのために効果的な手段ではあるけれど、限界がある。他者との関わりは、これは偶発的なもの以外を認めない。作品鑑賞はアリかもしれない。ただ、自分に合わない内容だと傷ついて進捗はさらに下がる。


 あるいは、既に「傷ついた」後なのかもしれない。ただし、それは誰かの作品にではなくて、自分の作品に対してではないだろうか?


 心当たりがある。有料マガジン用のイラストだ。今までは完成したものはすぐさま公開して、SNSなどでリアクションを拝していたものを、今回は有料・限定公開とするために、投稿していないのだ。それで脳が、「まだ発表していないがために、リアクションがない」という新たな事態を、ただ単に「リアクションがない(スベった)」と同等に扱っているのではないだろうか。


 そうでなくても、本当に喜ばれるのかどうかについての不安が、その作品が公開されるまで募る。その不安というものは本来あってしかるべきのものだったのが、SNSの発達により、とりあえずのリアクションを得られるようになったことで、回避できていたに過ぎない。


 もしそうだとすると、取るべき二つの対策を思いつく。一つは、有料版とは別の作品を作って公開すること。もう一つは、速やかに有料版の作品を完成させることだ。しかし・・・無気力の原因が判明したところで、無気力そのものが解消されるわけではない。解消のために別途手段を講じて、それから対策に着手しなければならない。


 自分が面倒臭い。屁理屈なんざどうでもいいと、とにかくやることがやれるだけの気力がないのが恨めしい。しかし、思考停止は婉曲的な自傷である。間違っても無駄でもいいので、なにか気力が回復する手立てを考えたい。それで失敗して傷つくとしても、そちらの自傷のほうが性に合う。



 気力の回復法として最も良いものは、ただ寝ることと音楽漁りだ。それを実現させることができるスケジュールが求められるが、あいにく今日明日は夜遅くまで作業しなくてはならないので、週末に気絶するようなつもりではいる。かえって、その作業のために、気力を温存しておく意味での、最近の無気力なのだろうか。だとしたら、随分気の利く無意識である。


 用事が気になってきて仕方ないので、先にそちらを済ませよう。



・夜のブレスト


 用事は夜遅くまでかかるので、いったん帰宅し夕食をとった。気分の塞ぎ込みは無くなって、今はただ戻って作業をするのが嫌だなあと思うばかりである。良い気晴らしになっているということか。


 気力の回復のためになにをするか、これはただ休息するだけでなく、何らかの変化を起こすことも選択肢に含まれる。問題はその「変化」をどの程度にするかということだ。いきなり遠方に出かけることはできないし、部屋を歩き回っても仕方ない。


 他人と会うということの効能を、認めなくてはならないかもしれない。他人と会い、いくつか言葉を交わすことは、大き過ぎず小さ過ぎない、都合のいい「変化」になりうる。安全な場所で、安全な相手とであれば、これは避ける必要がない。相手がどう思っているかは不明ではあるけれど。


 そうすると、家族のみならず、自分が会うことによる悪影響がお互いに限定的な相手との関わりは、これを認めるとすると、少し自分のできることの可能性が広がるのではないか?いや、しかし、そうやっていくつもの関係性を反故にしてきたことを考えると、何らかの注意が必要なはずだ。


 一つは、物理的に会う頻度を少なくする。打ち解けた相手であれば、会うのは月に1度程度にとどめる。これは自分が他人と一緒にいることに耐えられる限界でもある。


 もう一つは、約束をしない。守れた試しがないからだ。どうしても約束が必要な場合は、かなり余裕を持たせる。期限であれば1ヶ月、量であれば半分以下で見積もること。


 これでもすんなりと上手くいくはずはないので、ではどのような失敗をするかを観察していこう。自分が一人でやっていたフィードバックに、身近な他人を巻き込むことには恐怖がある。今目の前にある作業は一人個室で延々とやるものであるからいいとして、そこから半歩ずつでも協働に向けて行動することができればとは思う。


 もちろん、そうした試みが、今まで招いた失敗や厄災のうち一つをも無かったことにできるものではないことは重々承知している。むしろ罪を重ねることになりかねない。ただ、そういう方向でものを考える時、朝から重くのしかかっていたものが、多少軽くなるのを感じる。


 自分に対する評価を最低値から僅かに上昇させただけで、直ちに「他人と関わりたい」という欲求が起こるのはどうも虫が良すぎるけれど、思えばそういった流れは今回が初めてでもなかったような気がする。同じ失敗をしないように、新しい失敗ができればいい。その後は、いつも通り深く落ちこんで、何もできず、誰ともまともに関わることのできない自分の性質を呪って暮らしていけばよろしい。

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