駄文2018/02/11

・予定の消化を失敗した


今日は午後からAccessをいじくり回してみた。実際のソフトを十分な知識もない状態で操作するのは、暴力を振るっているような感覚に近い。当然うまくいかなくなって、それから座学を再開する。自分はデータベースの「器作り」と「内部操作」と「UI」でいうと、「器作り」に一番興味があって、「UI」に一番興味がないようだ。



実践と座学では、頭の使う部分が全然違うように思う。不明な挙動が出た瞬間に検索して説明を見ても、その内容が「文字で書いてある」こと自体に腹が立って読み込むことができない。少し時間を空けると、さっきの苛立ちはいったい何だったのか、という気持ちになりつつ読めるようにはなるが、理解はいまいちである。



夕方の用事までずっとそんな調子だったので楽器の練習ができなかった。明日は実家に行く時間が取れないので、水曜日の本番前に楽器を触れるのが前日のみになったということに気が付いて、完全に失敗したと分かる。エフェクターの電池は買ってきてもらったのでOK。なんとかしよう。



・習慣オアダイ


忙しいというよりは、一日に生じる気力の総量が異常に少ないと感じる。有効に時間を過ごせないし、有効に時間を「過ごさないといけない」ということに強い怒りを抱いており、その発露のために消耗する。なるほど、時間を止めて不老不死で好きなだけ過ごせれば、体感時間で100年後くらいからは真面目にやろうとするのかもしれない。



あるいは、どのように生きても、「やらなくてはいけないこと」があるということが気にくわない。可能ならば何も食べたくないし、眠りたくもない。それか、ずっと眠り続けて、思い出したように起きてまた寝たい。



だけど、うつ状態にしては活動的である。ものを考えるだけなら苦ではない。人との会話も、メールやメッセージであればむしろ喋りすぎるし、音楽を聴きながら、デスクバイクを漕ぎながら、この文章を作っているくらいであるから、無気力かというとちょっと違う。



一つには習慣の力があるのかもしれない。気力の残量に頼らず、単に「やらないと、いずい(変な感じがする)」という快・不快のレベルになっている日課は、かろうじて継続できている。Accessの勉強はまだそこまで定着していない。すると今の段階を越えれば、気力の無さなどを憂いたりせずに、体が求めるかのように、あらゆる日課を消化できるようになるのだろうか。



そのためには、全ての日課を一つずつでも、継続できるようにしていくことが必要だ。一日空くと取り戻すのに少なくとも一日かかる。それはやり直しのはじめの一日で、何よりも気の重い一日である。



すると、今度は単発の予定が入ることが気に入らない。習慣付けを目指して継続する日課だけで一日が埋め尽くされてしまう以上、外出用事や他人とのやり取りは、その進捗を阻害するものでしかない。その度にリセットがかかってしまって、いつまで経っても気力まかせでしか作業ができない。



冷静に考えれば、元々の日課の設計に無理があるということだと分かる。急な用事が入っても大丈夫なように、日課(「一日分の仕事」でもいい)の総量をダウンサイズしなくてはいけない。



しかし、そんなペースでは一生何もできない人間のままではないか。何もできない人間のまま生きていくなんてことは、かなりの条件が揃わない限り不可能なので、少なくとも現在は条件が揃う見込みのない自分は、そう長く生きていけそうもない。



・どこかに間違いがある


どんなにゴタクを並べても、自分も一介のワナビーでしかないのだけれど、なりたいものがあるわけではなく、ただ生きていきたい(wanna BE)というタイプのワナビーであって、そのための手段が自分にマッチするものであれば、それがどんな職業でも立場でも構わない。



逆に、生き方に課している制限があり過ぎるとも言える。あまり人と関わらず、出歩かず、一人で何かをしていたい。そしてそのワガママが通らないことを許せない。でもその実現のための努力が、一切というわけではないけれど、あんまりできない。



ということは、自分の理屈のどこかが間違っているということに、うっすらと気が付いているのではないか?それが無気力の原因で、方向転換の予感があるから、自分の力を出し切ることができないのではないか?一方で前職場にいた頃よりは、格段に元気になっているので、今の状況のほうが「正解に近い」ということが言えるのではなかろうか。



「正解」という言葉を使うと、そんなものがあるように錯覚してしまうけれど、少なくとも、もっと気力の出るやり方が別にあるのかもしれない。または、やり方の問題でもなくて、何らかの星の巡り合わせみたいなものを、今はただ待つことしかできないのかもしれない。



もしも待つことしかできないのだとしたら、その間はずっと好きなことだけをして過ごしていたいし、同じことをするのにも、自分に合ったやり方を見つけたい。



義務感でも欲求でもなく「そうである(ずっと好きなことだけを自分に合ったやり方でして過ごす)に違いない」というおかしな確信だけはあるので、それを実現に近づけること、これについては多少気力を差し向けることができる。能書きも垂れることができる。

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