駄文2018/02/10

・昼寝してしまった


昨日のうちに図書館に寄って、C#の本と適当な本を借りて来た。外出用事を済ませてから、それを読んでいるうちに眠くなってきて、コーヒーを3杯も飲んだにも関わらず1時間半眠る。前日25時から朝の9時まで寝たのに、まだ眠いのだから世話ない。



その結果、予定していた日課群を消化する時間がなくなってしまってつらい。こういうことがあると、もう嫌で嫌でたまらない。しかし、自由な時間が多い日のほうが、かえってこういったアクシデントに見舞われる割合が高いような気がする。



本来は時間の許す限り、自分の技術を向上させるための作業に打ち込まなくてはいけないのに、どうもそういうことができない。そもそも「追求」という概念が自分に備わっておらず、あるところまでやると「今日はこれ以上無理」ということになってしまう。



どんなことも満足にできず、何をしてもうまくいかない人間は、死んでしまったほうがいいのだろうか。しかし人間の能力は決して平等ではないし、自分以外に、同様の条件において同程度の能力しかもたない人間が、万が一存在するのだとしたら、その人間が死んだほうがいいとは思えない。したがってこれは自暴自棄になっているだけである。感情の発露に生半可な論理を紐付けするべきではない。



もう少し発展的なことを考えていこう。日記やスケッチを終わらせて、最低限の日課はこのブレストのみという状況で、しかも読書までができたのだから、進捗はむしろ良いほうである。にも関わらず強い不満を覚える原因の一つは、カフェインの取り過ぎ。もう一つは、休日の進捗に対する期待感の高まりであると推測される。



しかし昨日は前職場で根詰めて作業をしたのだった。ドデカミンを深夜にあおりながらやっていたのだから、カフェインが抜ける前に寝ても睡眠効果は浅い。その不足分の清算が、今日の午後に発生したと考えれば合点がいく。いくらコーヒーを飲んでも眠ければ眠る。



・期待感の裏返し


だいたい仮眠をとらなくても、それと同じだけの時間、何らかの脱線をしてしまっていただろう。分かりやすい(責めやすい)形で進捗が遅れたというだけで、特別なことが起きたわけではない。夜に出かける用事の後にできなかったことをやればいい。しかしもうその頃には、今日一日分の気力は完全に消失している可能性が大きい。仮眠は前日の過労分なので、今日の気力の回復にはつながっていない。



そうしたら、今日はそういう一日だったのだから、明日をよりよく過ごすにはどうしたらいいのかを考えればいい。外出用事は今日だけなので、自由時間も少しは増えるだろう。あとは脱線を防いで進捗を上げることができれば、一日分の遅れは取り戻せなくても、緩和させることができる。



誰にも頼まれもしないことで、進捗がどうとか言い続けているのは、もうそういうこと自体が趣味になっているのだと思う。無意味なことでも、何もしないで過ごすよりはいいと思ってやっているけれど、語学やプログラミングについては、正直、将来的に何かの足しになってほしいという欲が出てきてしまった。



するとその期待感の裏返しで、過剰に機会損失を恐れる心が生じてくる。いざ実際に時間を割いたところで集中できるかは別問題にも関わらず、何かのアクシデントが生じると「なんてことだ、このアクシデントのせいで自分がやるべきだった(時間がありさえすればやれた)ことが、できなくなってしまった!」と大げさに騒ぎ立てるクセがあり、これは非常に良くない。



その解決策というか、一つの線引きということで、「日記・スケッチ・ブレストを最低限の日課とし、その他は努力目標とする」というルールを設けたのではなかったか。どうせ些細な進捗の喪失を嘆くより、その「嘆き」による感情的消耗をこそ忌避するべきであるはずだ。したがって、アクシデントがあれば対応し、眠ければ寝る。



・できる限りのことをやる


これから楽器を触って、そのまま外出用事に出向き、23時には帰宅。そうしたらもう何もできずに寝てしまうかな、と思う。どちらかというと、明日の体調に悪影響を及ぼさないようにしたい。



気力の絶対量が圧倒的に少ないにも関わらず、感情の起伏が激しいと、ほとんどを無駄に消耗してしまう。明鏡止水の心を持つことができればと思うけれど、宝くじが当たればいいな、というレベルの願望に過ぎない。



色々と環境は(制限付きではあるけれど)良くなってきていて、すると結局自分の性質がボトルネックになってくる。どれだけ恵まれても何もできないのであれば、その「恵まれ」は、もっと別の人にこそ与えられるべきなのではないか、などと思ってしまう。



でもそれは恵まれているものの奢りで、せっかくのアドバンテージを活かそうとしないでいるのは、全方位的に失礼である。逆に、頑張っていさえすればそれが免罪符になるかというと、そんなこともない。苦しんだからといって結果が約束されるものでもないし、苦労なく得られた結果は、有り難みに欠けて疎かにしてしまう。



考えるほど具合が悪くなってくる時は、いったん中断するのが良いだろう。思考と供述の旅を続けるにしても、自由に途中下車できないのであれば、移動するだけの監獄に過ぎない。それも、収監され続けることで罪が晴れるわけでもないのだ。体を動かそう。

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