駄文2018/01/24
・風邪だったが治った
風邪を引いたと分かったので、半日寝たら調子が良くなった。今日からまた平常運転でやっていけたらと思う。目下進んでいないのはプログラムについての勉強なので、これを少しでも進めていこう。
作業の種類をまとめることで、切り替え時の負荷が軽くなったような気がする。もう少し起床時間を早めることができれば、まともな作業量になるかもしれない。
作業でも、携帯ゲームのような脱線でも、10分程度続けていると、つらくなってくる。その時に代替しうる別の作業がないと、惰性でやり続けるか、Twitterを眺めるかのどちらかになってしまい、いずれもあまり望ましいものではない。
特にTwitterについては、何らかの不快感が発生すると反射的に操作してしまうようで、尿意を催したことでTwitterをやり始めたことに気がついた時は驚いた。トイレに行けばいいだけなので、これはその不快感を解消させることよりも、不快感から気を逸らすことを優先したということになる。
同じような誤作動が、他の分野にも発生していないだろうか。と考えてみると、対人関係においてその傾向があるように思われる。問題を解消しようとせず、逃避しようとしていると言われれば、反論はできない。
なるほど、他人が目の前に延々と実在することを許容して、さらにコミュニケーションの齟齬を取り除くことができれば、一般的な就労が可能であるかもしれない。しかしそれは、10年以上かけて自他共に認められた「やりたくないことは全くできない」という異常性によって、何ら価値を生み出すことができないでいても、継続可能な就労であればの話である(が、それは就労なのか?)。
現在はほぼその条件を満たすような、奇跡のような境遇に置かれているけれど、長く続くものではないし十分な収入を得られるものでもない。したがって、何とかして別のところに価値を創出できなければいけないのだけれど、いかんせん、そのために頑張ろうとか、何かを犠牲にしようというような気持ちが湧いてこない。
それで仕方なく、やっていても苦ではないことをし続けて一日が終わる。本来なら新たな就労のために資格勉強の一つでもすればいいところを、まだ見ぬ勤め先や取引先などという外部からの要求に先んじることには、憎しみにも似た拒絶感がある。
それは今まで関わってきた他人や何らかの不幸によって、ひどく傷つけられたためというよりは、元々の性質に従って生きていけばいいものの、まるでまともな人間であろうとするような、分不相応な望みを持ったことによる罰で、同じような徒労と受傷を決して繰り返したくないという「学習」によって生じた拒絶感である。自分を傷つけた他人たちはむしろ、この場違いな人間未満の登場による被害者であって、彼らに申し訳なく思うことはあっても恨む道理はない。
しかし特別な才覚も鍛錬もない、ただ単に欠如のある人間に生き延びる術はあるのだろうか?というと、実はこの問いについては、さほど悲観的になっていない。生き延びる術はあると思っている。それはおそらく、「誰でもいい何か」になることである。
・何もしないよりは気が晴れる
「誰でもいい何か」とは、誰にでもできることをする何者かである。というとあまり説明になっていない気がする。
そこには存在していること以上の存在意義はなく、その存在を自分が担うことの独自性もない。
その代わり、「誰でもいい何か」は「まだ誰もそれになっていない何か」である可能性がある。もちろん、ここでも「やりたくないことが全くできない」という性質が邪魔になるのだけれど、それであれば「やりたくないことが全くできなくてもいい、まだ誰もそれになっていない、誰でもいい何か」になればいい。
そして、そこに後天的に発生する可能性がある「価値」に賭ければいいというわけだ。
もちろん、こんなことは他の人におすすめできるものではない。自分でも相当おかしなことを言っているのは分かる。ただ、もうそれくらいしか、やろうと思えることがない。
それに、単に一つの可能性に賭けるようなつもりもない。いくつかの「何か」にコストを分散して、持続不可能になったものは別のものに切り替える。そこには相乗効果もあるのかもしれないが、あまり都合の良いことは考えないようにしている。
お気付きのようにこの駄文が、誰にも頼まれもせず続いているのも、その一環である(のか、理屈は後付けだったかもしれない)。しかしこれだけを例に挙げてみても、昼夜泣きながら床に伏しているよりは精神衛生に良い。
・なりそこないとして生きる
ツギハギだらけで歪んだ、直視に堪えない姿をしながらでも、腐った手足を振り回してでも、やれることをやって過ごしていると、まるで自分が一端の生き物であるような錯覚にとらわれることができる。ただ、悪臭や醜形のために、人里離れているほうが良さそうだ。
そのうち何かが起きて、呪いが解けるかして、人と関わることができる姿になれるかもしれない。その時に、局所的に他の誰かができないことができるのであれば、そこで初めて、自分が価値と対価を授かることができるかもしれない。
それまでは有象無象として、人ならぬうめき声を上げたり、穴を掘っては埋めたりしながら暮らしていこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます