プレア 下

「プレア。俺の声が聞こえるか?」

「ぐすっ………」


 プレアは泣いていた。一人寂しく。だが、彼女の背後には大きな火の玉が無数に浮いていた。彼女の感情を表しているのか、青かった。


「泣いてるのか。遅くなってすまなかった」

「どうして……」

「なんだ?」

「お父さまはお母さまを……」

「みたいだな。理解できないが」


 知ってしまったのか。しかし、まだチャンスはあるはず。そう思っていたために、この時、俺の見積もりが甘かったことに気付かなかった。


「お母さま……」

「プレア。もう君を縛るモノはない」

「でも、まだいる。あの人たちがいる限り、私はまた縛られる……」

「大丈夫。俺と一緒にこの場所から離れられるから」

「あの人達がいる……お母さま……また縛られる………」

「もう大丈夫だから。彼らは手出しできない」


 プレアを説得しつつ一歩、また一歩と近付き、あと一歩で触れられる所まで来たところで変化が訪れた。最悪の事態への変化だった。


「あの人達を殺さないと……」

「その必要は――」

「お母さまの仇!!」


 プレアの中で悲しみが恐怖に変わり、恐怖が憎悪に変化してしまった。憎悪によってプレアの炎に変化が訪れ、赤だった炎が黒になった。周囲に浮いていた火の玉も黒くなっていて、今にも爆ぜようかというくらい揺らめいていた。

 そして、火に気を取られているうちに、プレアの体が浮いていることに気付くのに遅れてしまった。


「待て!」


 静止したが遅かった。プレアは俺が張った結界を焼いて飛び出し、外にいた自分の身内を次々に焼き殺し始めた。火の槍で頭から腰に向けて串刺しにしたり、化身を生み出して襲わせたりと、村は阿鼻叫喚の地獄と化してしまった。


「くそっ! ここまで感情の振れ幅が大きいとは……」

「クロ! どうなっている!?」

「今のプレアは憎悪に染まっている。俺が思っていた以上にこの村の住人に対して思うことがあったようだ」

「そうか………山の鎮火は我々がする。なんとか、なんとかプレアを鎮めてやってくれ。憎悪の炎で身を滅ぼす前に!」

「任せろ。後は頼んだ」


 ゴードンはすぐに周囲にいた手の空いている者達を呼び集めて燃えている木々の鎮火作業に取り掛かった。俺はそれを見届けると、逃げ出した父親を殺しに向かったプレアの後を追いかけた。



「――プレア!!」

「がああああああああっ!!!!!!!!」

「ねえ父様。この程度、痛くないよね?ね?だって、お母様が味わった苦しみはこの程度じゃなかったはずだもの。私が味わった苦痛はこの程度じゃなかったものっ!!!!」


 俺が到着した時には既に右足が切り落とされたらしく、彼の近くに黒炎に焼かれた膝より下の部分の足が転がっていた。


「うぐっ……ぷ、プレア、許してくれ。わ、私が悪かった。だから……」

「お母様を殺したくせに何でそんなことが言えるのっ!!!!」

「ああああああ!!!!!!! ひ、左あ、足がああああ!!!!!!」


 そしてとうとう、左足まで喪ってしまった。どういうわけか、残った体の方には黒炎が燃え移っておらず、傷口は焼かれていたため出血していなかった。


「プレアっ!! もういいんだ。それ以上そいつを苦しめても何も解決しない。意味が無いんだ」

「まだだよ。この人にはお母様と私、それにこれまで私と同じことをさせられてた人達の分まで苦しみながら死んでもらわないと……」

「そんな事をして、誰が救われる!!」

「この人を殺さないと! またお母様や私みたいな人が出てくる!!」

「ゴードン達が動いてくれている。二度と同じ事が起きないようにすると約束してくれた。だから、もういいんだ」

「も、もう二度と、同じことはしない。だから……」

「ならせめて、この人だけでもっ!!」


 憎悪に憑りつかれているから自分を制御出来なくなってる。俺は直感でそう判断した。だから、プレアを強引に掴んでその場から離れた。


 五分くらい移動した時かな。とうとう俺にまで攻撃を仕掛けてきたのは。プレアの黒炎で、襟元を掴んでいた右手が焼けちまったよ。さすがにヤバいと思ってプレアを地面に置いた。


「何で邪魔ヲッ!!」

「それ以上は駄目だ。戻って来れなくなるぞ」

「あなたに私の何が分かルッ!!」

「駄々っ子は諭しても無駄だな。その怒り、俺にぶつけろ。俺が受け止めてやる」

「ドケエエエエエエ!!!!!!!!!!」


 プレアは父親の足を切り落とした黒炎の剣を持って突っ込んできた。武器の扱い方を知らず、ましてや闘いの基本を知らないプレアの攻撃は、御世辞にも鋭いとは言えなかった。だが、その部分を補って余りあるほどに強力な黒炎が、容易に近付かせてくれなかった。


「……仕方ないか」

「イヤアアアアアアアア!!!!!!!」

「『灰水』」

「!?」


 俺は耐火性に優れた水魔法で体を覆った状態で、諭しながら近付いて行った。両掌をプレアに見せるようにして、攻撃の意思はないと示したが、果たして役に立ったのか……。


「落ち着け。俺は敵じゃない」

「そんな言葉…っ!」


 プレアの背後に移動して抱き締めたんだが、状況によってはただの変態にしか見えないな。今度からは気を付けるとしよう。


「ほら、プレアは一人じゃない。俺がいる」

「こんな……」

「悲しかったら泣けばいい。俺がここで傍にいてやるから。だから、もう憎しみに囚われるのはやめろ。な?」


 プレアの、剣を持っている右手に俺の右手を添えて、剣を落とさせた。その後、向き合うような体勢で、ゆっくりと、目線を合わせてなるべく穏やかな口調で話し掛けた。


「うぅぅぅ………」

「よしよし。今までよく頑張った。これからは何をしてもいいんだ。もう、プレアを縛るモノは存在しない」

「あああああああああ!!!!!!!!!!」


 向き合ううちに冷静になれたんだと思う。だんだんと表情が柔らかくなってたからな。泣き始めたら炎が、荒々しかった黒から弱弱しい蒼に変わっていった。背中をさすり始めた時にはもう、炎は完全に消えてたな。


 プレアが泣き止んだ後は、疲れて寝たのを確認してから抱っこをしてゴードンの所に戻った。報告するためだ。


「治まったようだな」

「まあな。今はこの通り、泣き疲れて寝てる」

「そうか……。これからしばらくはワシらが頑張ってみようと思う。困ったらまた、力を貸してくれるか?」

「次はもう少し簡単なモノにしてくれよ?」

「それはその時になってみんと分からんな」

「さて、見たところ問題なさそうだから、俺はそろそろ――」

「待て、貴様! その子をどうするつもりだ! その子は私の子だ! 私の許可なく勝手に連れて行くことは、この私が許さん!! 欲しければ相応の対価を払え!!」


 一件落着と思って緊張の糸が切れかけたタイミングで、あの時に最も聞きたくなかった声を聞いてな。それはもう、瞬間的に怒りが湧いたよ。あと、プレアが起きたらどうしてくれるんだってな。


「…………」

「この、愚か者がっ!!!!」


 俺が剣呑な空気を纏い始めた時、隣にいたゴードンから怒気を感じたんですぐにプレアに防音の魔法をかけたよ。好々爺のゴードンが珍しく怒ったんで俺はちょっとビックリしたけどな。


「貴様は一体何をしていた! 今回の事で何も学ばなんだか!?その態度、その言動、その腐った性根が! 此度の騒動を引き起こしたのだぞ!! 実の娘を物同然に扱いおって!! さらには妻をその手で殺したそうではないか!!」

「だ、大長老!? こ、これにはわけが………」

「言い訳など聞きたくない! 衛兵、こやつを牢に連れて行け。ワシが許すまで出すことを許さん。いいな!!」

「そんな………」


 ゴードンに怒られて意気消沈したランドールを、近くにいた衛兵が連れて行った。ゴードンの怒りを買った以上、当分は出て来れないだろう。


「本当にすまなかった。あの馬鹿者のせいで村を失うところだった」

「これからが大変だろう。頑張れよ」

「ああ、分かっているとも。世話になった。その子には一切関わらせないように努力する。本当に……ありがとう!!」





「ゴードンに見送られる形で、俺とプレアは村を離れた。プレアを背負ってるのもあって、キャラバンに戻るのにそれなりに時間が掛かったよ。途中からプレアが目を覚ましてな。見るもの全てに興味を持ってたから、キャラバンに着くまでの間は寝るまでずっと質問攻めだったよ」


 今日も今日とてクリスに語り聞かせているところだ。

 時刻は午後九時。良い子は寝る時間だ。


「それで、その後はどうなったんですか?」

「その後?ああ、確かプレアをどっかの学校に入れたんだけど……」

「だけど?」

「どうやってかは知らんが、俺達の居場所を突き止めてやって来たんだよ。当時は驚きと共に感心したな。まあ、手助けした奴がいたんだろうがな……」


 未知の世界に飛び込んだばかりの少女がアテも無く俺達の所に来れるはずも無いから、学園長のクソジジイが手引きしたんだろうな。思い出しついでに抗議文送っておこう。


「へー、普通に凄いですね。それで、どうしたんですか?」

「そのまま居座ったんだよ。プレアは確か……二番目だったかな?最初はシャルネだった気がする。まあ、特に入れない理由はなかったし。あと、抱き着いたまま離れなかったのもあるな」

「へえ~。プレアにもそんな可愛い時があったんですね~」

「本人には言ってやるなよ。顔を真っ赤にして、ついでに尻尾も真紅にして掴みかかって来るだろうからな」

「気を付けておきま~す。それはそれとして、黒炎に触れたのに団長は無傷だったんですか?」

「いや、無傷じゃなかった。プレアと直接触れた右手は肘まで焼け爛れたし、抱き寄せた時にも上半身が焼けたさ」

「え?じゃ、じゃあ、今はどうなって…?」

「完治してる。黒炎はただの炎ではないからな。水魔法で防御はしたが、それでも防ぎきれなかった。まあ、焼け爛れる程度で済んだのは、ひとえに俺の技量によるところだな」


 自画自賛したのだがクリスはスルーしてきた。さ、寂しい……


「黒炎……確か、〈 触れた物全てを焼き尽くす炎。その炎は如何なる手段でも消すことは叶わず。ただ自然と消えるのを待たなければならない。人に触れればその部位を切り落とさなくてはならない。また、火は遅々としか進まないため、まるで拷問のように、焼ける痛みはその命を焼き尽くすまで続く 〉って言いますよね?」

「対処方法は一応ある。だが、それが出来るのはごく一部の人間だけだ。ウチなら俺とドロシーくらいだな」

「その……言いづらいんですけど、プレアは気付いていたのでは?」

「いや、プレアが気付かないように配慮はした」

「たとえば?」

「焼けた部分から修復したんだよ。まあ、焼けた事実には変わりないんだけどな。黒炎に焼かれたのはあの時限りだったが、もう二度と御免だ。痛いどころじゃない。表面だけじゃなくて、骨まで焼き尽くさんばかりの貪欲さだったからな。存在を焼き尽くす炎、って表現が正しいな、あれは」

「……プレアの中にはそれが眠ってるってこと?」


 クリスの瞳には、怯えにも似た感情が見え隠れしている。先程の俺の体験を聞いて楽観できないと思ったのだろう。


「感情を制御出来ている今の彼女には、アレを引き出すのは無理だろう。心配することはないさ」

「分かりました。そろそろ寝ますね。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 感情に直結していることはこれまでの話で分かっていることだから、今の俺の言葉で安心したのだろう。さっきまで少し震えていた手が、部屋を出ていく時には治まっていた。



「……悪いな、クリス。プレアの炎は、まだなんだ。強火だと、あの程度での被害では到底済まなかった。それこそ、ウチのメンバーで対処出来るのは、俺とドロシーとルーナの三人が揃ってようやくだろう。それも命がけで」

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