アカネ 上

 一人の少女が崖の上に立っていた。断崖絶壁。落ちれば死は免れないほどに高く険しい。その淵でくるくると回りながら、少女は隣に立っている黒外套の男に話し掛ける。


「う~ん……あそこの村が今回の目的地?」

「ああ、あそこを襲う魔物がいるんだと。なんでも、世にも珍しいアラクネが現れるんだとか 」

「アラクネってことは、男でも拐われた?」

「男が数人ほど行方不明らしい 」

「見た目に惑わされたのかな?あれはどれだけ美人に見えても本性は怪物だからね」

「もしくは魔眼を使われたか……」

「魅了するんだっけ。男にしか効かない代わりにかなり強力だったよね。あなたにも効くのかな?」

「試してみるか?」

「それはダメ! もし万が一にも魅了されたらどうするの!? 私の優位性が失われるじゃない!」


 優位性ってなんだよ……。


「さて、ここで時間を潰していては、獲物に逃げられてしまう。行くぞ」

「はいはーい!」


 二人はゆうに高さ200m以上の崖から飛び降りて散策を開始した。アラクネが多数目撃された場所を目的地に、のんびりとお喋りしながらの移動。途中ザコ魔物が現れたが、少女の炎魔法で原形を留めず消し炭なってしまった。


「ここが目撃された場所だが……何かあったか?」

「ううん、何も。痕跡を残さないくらいには賢いみたいだよ」

「まあ、人間の胴体を頭に乗っけているだけはあるな」

「あははー、人間に見えなくても普通に知恵ある魔物もいるけどね」


 例えばガーゴイルは、明らかに人ではないが、組織的に行動できるくらいには賢かったりする。ただ、やはり基本は獣なだけあって、腹が減ったら無差別に襲う。たとえ力量差があっても。


「そうだな―――おい、聞こえるか?」

「金属同士がぶつかり合う音かな」

「武器を持ってるヤツが闘っているみたいだな。アラクネが武器を?」

「もしくは拐われた人間が操られてるかもしれないよ?」

「可能性はいくらでもあるか。今は現場に向かうぞ」

「あいあ~い」


 二人は先程までののんびりとした雰囲気は消し、臨戦態勢へと移った。少女は杖を、男は槍を。


 二人が向かった先は平原だった。視界が開けており、隠れる場所はどこにもない。そんな場所の中心で、刀を持った少女と大剣を握った男が斬り結んでいる。少女の左側にはアラクネが、歪な剣を右手に持って隙を伺いながら少し距離を置いて睨みつけている。少女対男とアラクネの二対一の様相だ。



「これはなかなかに驚いた。アラクネが武器を持っていることもだが、二対一でも引けをとらない彼女も凄いな」

「敵との距離や立ち回りで得物を換えてる。近距離なら刀、中距離なら薙刀、遠距離なら弓、というふうにして不利な状況でも立ち回れてるんだ」


 見物している少女が言うように、男が距離を取り、アラクネが接近してきた時に、戦っている少女は刀を腰の鞘に戻し、左手のブレスレットから出現させた薙刀で迎撃していた。


 アラクネが咄嗟の判断で後退した時には無理に接近せず、今度は右手のブレスレットから大弓を取り出して追撃していた。


 先程からこのような感じで一進一退の攻防が繰り広げられている――のを二人は木陰から見物している。



「彼女の身に付けている物は基本的に魔道具のようだな。腰に差した刀以外は両手首のブレスレットから出しているようだ」

「持ち運びが面倒だからね。合理的だよ。あの首飾りと髪留めもかな?あと指輪も」

「どうだろうな。ただ、可能性は十分ある。そうなると、まだ隠し玉を持っていることになる。アラクネはそれを察して思い切った攻撃に出れていないのか」


 そう。アラクネは牽制するような行動はしても、一度も少女を攻撃していないのだ。少女と直接戦っているのは男だけなのだ。


「そろそろ助太刀しに行く?」

「罠の可能性もある。もう少し様子を見よう」


 見物する男は、そうは言いつつ槍を握り直したのを隣にいる少女は見逃さなかった。


「にししっ……見極めたいって気持ちと今すぐ助太刀したいって気持ちがせめぎ合ってるね?」

「……なんのことだ?」


 男はとぼけるが、少女は全てを理解したかのように満面の笑みを浮かべて話し掛ける。


「も~、さっさと助けて後で見極めればいいでしょ?」

「それもそうか。アラクネは俺がやる。お前は周囲の警戒を頼む」

「りょうか~いっ!」


 少女は杖に腰掛けて空へと飛んだ。地上に残った男は、槍を握ってアラクネに向かって駆けた。


「アラクネよ、少しは愉しませろよ」

「キサマ、コイツのミカタか!?」

「味方ではない。同業者だ」

「助太刀してくれるのか?」

「仕事をするだけだ。お前は目の前の相手に集中しろ」

「ああ、そっちは任せた。」


 疾走した状態から跳びかかって来た男を、アラクネはギリギリ右手の剣一本で受け止めた。しかし、受け止めたとは言っても勢いは殺しきれなかったため、十mほど後退させられた。

 男の右手の槍を剣で弾いたものの、即座に払われた左の槍を屈んで回避するので精一杯だったアラクネは、すぐにその場を後退して新たな闖入者を睥睨した。


「クソッ! こんなはずではなかったノニ!!」

「攫った他の男たちはどうした?」

「奴らには苗床ニなってもらっタ。あの男モそのために連れて帰るところだったノニ!!」


 やはり、攫われた男たちはもうダメなようだ。

 しかし、男は特に気にすることもなく、二槍を構えていつでも攻撃出来るように体勢を整えている。


「キサマ……男だな?ならばワタシの魔眼で!!」


 アラクネの、本体である下部分の蜘蛛の眼が赤く輝いた。


 アラクネの魔眼は実は二段構えだ。上の女性の体にも魔眼は備わっている。初見であれば有効ではあるが、ある程度知っている者にはそちらの魔眼は通じない。しかし、それを見越したのか、下の蜘蛛にも魔眼が備わっているのだ。

 つまり、上の魔眼を回避したと油断して下の眼を瞬きの間でも見てしまうと魅了されてしまう、という意外と用心深い魔物なのだ。



「残念ながら、俺には魔眼は通じんぞ」

「ナニ!?バカなッ!!?」

「アラクネ相手に油断するのは馬鹿のすることだ。当然、俺達は対策をしているさ」


 そう言いつつ、男は瞬時にアラクネとの距離を詰め、再び二槍で猛攻を仕掛けた。


 右で突き、左で切り上げる。それで終わりかと思いきや、即座に返す刃で切り下ろす。全ての斬撃が風の刃を纏っていることを瞬時に察したアラクネは、必死に斬線から身を退かせる。その判断は的確で、男の槍によって数m近くの斬撃痕が地面にくっきりと残されていた。


「なかなか致命傷が入らんな」

「クッ! キサマ、本当に人間カッ!?」

「このくらい、そこそこ魔法に長けて武術を修めていれば誰だって出来るものだ」


 アラクネと言葉を交わしながらも、男は攻撃の手を緩めない。突き、払い、時に投擲して徹底的にアラクネを攻め続ける。アラクネも捌きながら隙を見出そうとするが、一切見出せずに守ることに専念している。


「足の一本でも落とせれば状況は一気に傾くんだろうが、さすがにそこは警戒してくるよな」

「クソッ! ナゼ、こうも上手くいかないノダッ!!」

「知らねえよ。お前の詰めの甘さだろ」

「グウッ……来たカ!!」


 アラクネが顔を向けた方を見ると、多種多様な魔物がやって来た。ざっと見ただけでも二十は超えるだろう。魔眼によって魅了され、苗床を集めるために駆り出されている働きアリのようなモノだろう。


「コレでキサマらも終わ…り……」

「所詮はその辺の雑魚の集団だ。特に気にすることもないわな」

「倒したの私なんですけど~!」


 アラクネと男の間に突如、空から声が割って入る。男が戦闘に介入する直前に空へと飛んで行った少女のものだ。


「あれで全部か?」

「上空から確認した限りは全て殲滅したよ~」

「な、なんだとッ!?そんなバカな!!」 


 男と少女が来た方角と正反対の位置にある森から現れた総勢五十体の魔物は、少女が放った魔法によって絶命した。

 少女が捕捉した対象に、光速で飛翔する光の槍を放つ魔法。一度捕捉されたが最後、少女が照準を解除しない限り延々と魔法陣から槍が降り注ぐのだ。槍は太陽を模しているため触れれば一瞬で灰どころか塵一つ残さない凶悪な代物。


「さて、それじゃあ俺達の方も終わらせるか」

「ま、待て! ワタシを殺せばなえど――男たちの居場所は分からなくなるぞ!! それでもいいのか!!?」

「探索魔法はこいつが出来る。わざわざお前を生かしておく必要はない」

「まっかせて!!」


 この言葉を受け、アラクネは再度臨戦態勢へと移行した。


「わかった。ならば、もう命乞いハしない。この剣で殺してヤル。」

「そうか。なら、こっちも必殺の一撃で終わらせるとしよう。もう一方も終わるが近いようだしな」

「行くゾ!!」


 両者は瞬きの内に交錯。数秒遅れて大きなモノが倒れる音が聞こえてくる。アラクネが敗北したのだ。上部の人間の体の心臓と、下部の蜘蛛の頭部を二本の槍が貫いていた。上部は項垂れ、下部の蜘蛛の目から光が失われていた。


 少女の方もまた、相対した男が倒れたことで決着がついた。アラクネが死んだことにより、魅了が解かれたのだろう。

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