第389話 邪神ロメリア ~アルキエルの敗北~

 邪神ロメリアの高笑いが響く。

 その声を聞いて、その姿を見て、意識を保っていられる人間は皆無であろう。

 

 空の強固な結界が、邪神ロメリアを封じている。それをクラウスが補助をし、更に頑強にしている。更にブルが、仲間達を守る様に結界を張っている。

 そんな幾重にも張られた結界をもってしても、邪神ロメリアから放たれる邪気は、仲間達の意識を奪おうとする。


 霊感の強いエリーや陰陽師達は、顔を青ざめさせ、ガタガタと全身を震わせている。霊感の無い林や安西、佐藤ら警察チームでさえ、死人の様に蒼白になっている。

 雄二の体からは、纏った炎が消えている。美咲の作り出したシールドは、完全に失われた。かつて、邪神ロメリアと対峙した空や翔一でさえも、歯をガチガチと鳴らしている。


 それは、戦う力を備えた異界の住人達も、同様であった。

 レイピアとソニアは、神を除けばロイスマリアの中でも最強の部類に入るだろう。その二人が、怯えた様に体を縮こませている。ゼルは全身の肌を粟立て、恐怖に耐えている。

 空達と同様に、旧メルドマリューネの地で邪神ロメリアを目にし、兄であるクロノスを倒したクラウスでさえ、全身を震わせている。


 その力は、かつての比ではない。当然だ。どれだけの悪意を集めたと思っている。

 人間、亜人、魔獣とロイスマリアの住人を全て合わせても、地球で暮らす人口の半分にも満たない。その地球全土で戦争を起こし、星を包む程に広がった悪意を全て取り込んだのだ。それは、比べるまでも無い事だ。

 しかも、これが上限ではない。戦争は未だに続いている、言わば更に力を増すのだ。


 かつて数多の神を消滅させたアルキエル。そのアルキエルを倒した冬也。そして冬也の眷属であり、多くの信仰を集めて神へと至ったブル。

 三柱の神でさえ、言葉を失っていた。


 間近で結界を張っていた空は、賢明に意識を保ち結界を張り続ける。しかし、結界には大きな罅が入り、今にも壊れようとしている。

 罅から漏れ出た邪気は、冬也の神気に染まった大地を、侵食しようと広がっていく。


 そんな状況下で、アルキエルは冬也に目配せをすると、単独で飛び出した。

 さもありなん。旧高尾一帯は、冬也の神域になっている。冬也が大地に力を注ぐのを止めれば、数秒で邪気が日本中に広がり、死の国へ変えるだろう。そして数分と経たずに、邪気は世界中へ広がり、人類の歴史は終わりを告げる。

 ましてや、佐藤ら一般人がこの場に居るのだ。ブルが結界を張り続けていなければ、邪気に食われて死に絶える。更には、かつて神であった遼太郎からは、完全に神気が失われている。

 今、戦えるのは自分しかいない。アルキエルは、そう考えたのだ。


 アルキエルの判断は、間違いではない。ただ、相手が強くなり過ぎた。


 アルキエルが大剣を振りかぶり、邪神ロメリアに目がけて振り下ろすまで、コンマ数秒も経っていない。剣を極めたレイピアとソニアでさえ、アルキエルの動きを目で追う事が出来ていない。

 しかし、大剣は邪神ロメリアに届く事は無かった。そして気がついた時には、アルキエルの胴が、邪神ロメリアの片腕によって貫かれていた。 


「がぁっ。かっ」


 アルキエルの全身に激痛が走る。もがく様な声が、口から漏れ出る。

 そして神気のパスを通じて、痛みが冬也とブルへ伝わる。二柱の神は、その苦痛に顔を歪めた。

 その姿を見て、瞬間的にアルキエルは、神気のパスを切ろうとする。しかし、冬也はそれを許さない。


 アルキエルの攻撃が届かない相手なのだ。力の供給を止めれば、それこそ勝つ事は不可能になる。


「この馬鹿が。てめぇの力なんざ必要ねぇんだ」

「馬鹿はてめぇだアルキエル! てめぇだけで、戦おうとしてんじゃねぇ」


 神気を通して、感覚を共有し、力を分け与える。眷属とは、血を分けた肉親以上の存在である。そして眷属を失えば、大きく力を削がれるのも必然である。

 かつてドラグスメリア大陸で、邪神ロメリアの残り滓が暴れた際。女神ミュールが直接対処出来なかったのは、山の神ゼフィロス達が痛手を負ったからに他ならない。

 

 それは、深い絆で繋がっていると言っても、過言ではない。

 そんな光景を笑い飛ばすとすれば、目の前にいる邪神ロメリアしか存在しない。


「痛いかい? 痛いよね? 僕が受けた痛みは、こんなもんじゃないよ。アルキエル、君の神格をここで粉々にしてもいいだけどね。それじゃあ僕の気がすまないだ。混血のガキが苦しむ顔を、もっと見たいんだ。わかるかい? 君はあのガキを苦しめるだけの存在なんだ」

「てめぇ!」

「アルキエル。吠えても、結果は変わらないよ。それと糞ガキ! こんな出来損ないを、眷属にした事を後悔するんだね」

「雑魚野郎が、ほざくんじゃねぇ!」

「ハハハ。体を貫かれてる奴が、よく言うよねぇ。痛いなら、素直に痛いって言いなよ。でも、止めないけどさぁ。言ったろ? 苦しむ顔が見たいんだよぉ!」


 邪神ロメリアは、醜く顔を歪ませながら、アルキエルを挑発する。その口元は、横に割かれた様に広がり、歪んだ笑みを湛える。幾度も辛酸を舐めさせられた意趣返しなのだろう。

 同時にそれは、絶対的な力の差を疑って止まない、自信の現われでもある。


 アルキエルは、邪神ロメリアの挑発を真正面から受け止めた。そして、大剣を持たない方の手で、邪神ロメリアの腕を掴む。握りつぶす程に力を籠めて、ゆっくりと体から腕を引き抜いていく。激痛が走ろうとも、無視をする。


 邪神ロメリアは、アルキエルのプライドを大きく傷つけた。

 戦いの神なのだ、戦いに置いて負ける事は許されない。しかも、主を侮辱されたのだ。敗北よりも、遥かに屈辱である。


 邪神ロメリアの腕を、完全に体から引き抜くと、アルキエルは腕を掴んだまま、片方の手で大剣を振りかぶる。邪神ロメリアの動きを止め、至近距離で大剣を勢いよく振り下ろす。


 絶対に外す事の無い渾身の一撃が、邪神ロメリアに迫る。しかし、邪神ロメリアは、微動だにしない。

 もしここが冬也の神域でなければ、日本はおろかユーラシア大陸、果ては南北アメリカ大陸まで水底に沈める、そんな破壊力を持った一撃である。

 しかし邪神ロメリアは、掴まれていない方の手で、大剣を軽々と受け止めた。それは、アルキエルだけでなく、冬也やブルにも衝撃を与えた。


 有り得ない。

 

 冬也の頭に過ったのは、その一言である。

 冬也でさえ、アルキエルの全力を受け止める事はしない。受け止めれば、全身が粉々になる事がわかっているから、必ず躱すのだ。

 その一撃を、簡単に受け止める。そんな事が有ってたまるか。冬也とブルは唖然とし、声を出す事が出来なかった。

 

 邪神ロメリアは、大剣を掴んで振り回すと、アルキエルごと放り投げる。一方で冬也とブルの体は、動いていた。


 アルキエルの実力を、信じていない訳では無い。だが最善を尽くすなら、三柱で一気に叩くべきだ。

 冬也の選択は、間違っていない。しかしそれは、アルキエルが求める選択ではない。放り投げられたアルキエルから、神気を通じて意志が伝わって来る。


 まだ負けてねぇ。俺が冬也以外に負けるはずがねぇ。だから信じろ。冬也、お前は神域を維持しろ。ブル、お前はみんなを守れ。

 俺は切り札じゃねぇ。まだペスカの奴が居やがる。あいつの企みが終わるまで、時間は俺が稼いでやる。その為には、ここが奴の領域になっちゃいけねぇんだ。

 わかるだろ、冬也、ブル。  

 

 確かに奴は俺だけじゃ倒せねぇ。だけど時間稼ぎには、お前達の協力が必要なんだ。

 冬也、力の使い所を間違えるなよ、お前の出番はまだ先だ。露払い位は、俺にさせてくれ。頼む、冬也。

 

 常に居丈高な態度を取るアルキエルが、殊勝な願いを伝えて来たのだ。聞き入れない訳がない。

 冬也とブルは立ち止まる。そして、それぞれの役割を果たすべく、神気を高めた。少しでも、アルキエルが楽に戦える様に。


 アルキエルは、空中で体勢を整える。そして、着地するや否や、大剣を構える。そんなアルキエルを見下す様に、邪神ロメリアは言い放った。


「まだわかってないのかい? 流石に君は強いからね、消滅させない様に戦うのは、難しいんだよ。だって簡単に消滅させちゃあ、クソガキの苦しむ顔が見られないだろ? いい加減、足掻くのは止めて、嬲られなよ! 疲れちゃうじゃないか」


 酷く舐めた口振りである。事実、勝つ見込みが無いのだから、反論のしようがない。そして、この相手に対してだけは、虚勢を張るだけ無駄なのだ。

 アルキエルは、邪神ロメリアの言葉を意に介さず、戦う姿勢を崩さない。邪神ロメリアは、少し溜息をつく様な仕草をした後、邪気で剣を作り出した。


「君みたいなのは、心が折れるって事を知らないからね。仕方ないから、君の土俵で戦ってあげるよ。まぁ戦いの神と言っても、そこに転がってる人間に成り下がった馬鹿も居る位だしね。手段を問わずに、勝ちに執着する所だけは、認めてあげてもいいけどさぁ。ただそれだけなんだよ、実際はさぁ」


 長ったらしく続く、邪神ロメリアの言葉を遮るかの様に、アルキエルは再び駆けだす。

 そして、目にも止まらない速さで、大剣が降り下ろされる。しかし邪神ロメリアは、軽々と大剣を受け流すとアルキエルの体に傷を作る。


 アルキエルが大剣を振り下ろす度に、体に傷が増えていく。それでもアルキエルは、戦う事を止めない。時間を稼ぐと言ったから? いや、譲れない想いがあるから。

 その時、アルキエルの頭には、かつて倒した勇者の姿が浮かんでいた。

 

「そうか、てめぇもこんな気持ちだったのかも知れねぇな。圧倒的な力を前にして、臆する事無く立ち向かう。確かにてめぇは勇者だ、シグルド。てめぇを殺した俺が、負ける訳にはいかねぇよな。てめぇともう一度戦うまで、消滅する訳にはいかねぇよな」


 既にアルキエルは、全力を使い果たしていた。

 体に大穴を開けられ、全力の一撃は止められ、何度も繰り出す攻撃は尽く往なされ、そして大量の傷を受けた。


 神気はもう、使い果たしている。その上、冬也から送られてくる、神気の供給を拒んでいた。冬也は切り札だ、神気を食い潰す訳にはいかない。そんな理由で、供給を断っていた。


 そんな空っぽの状態では、顕現する事さえ難しい。だがアルキエルを支えていたのは、意志の力であった。

 絶対に負けない。その意思が、アルキエルの足を踏み出させる。動かせない体を使い、大剣を振り下ろさせる。


 いつ倒れてもおかしくない、いつ消滅してもおかしくない、だが決して倒れない、攻撃の手は緩めない。そんなアルキエルに対し、邪神ロメリアが焦れ始める。


 見たかったのは、そんな光景じゃない。地べたに這いつくばって逃げ惑う姿なのだ。だが、アルキエルは勇敢に戦い続ける。真逆の光景を見せられても、面白いはずがない。


 邪神ロメリアは、初めて理解したのだろう。どれだけ嬲っても、無駄だという事に。どれだけ傷をつけても、アルキエルが戦いを止めない事に。

 そして、狙いを変える。神格を破壊して、この下らない戦いを終わらせようと。


 だが、狙いを変えた瞬間に、隙が生まれる。

 これまで後の線で、応じ技に徹していた邪神ロメリアが、攻撃を仕掛ける。その出端を狙い、アルキエルは最後の力を振り絞って、大剣を振るった。


 アルキエルの大剣は、邪神ロメリアの剣を打ち払い、体に僅かな傷を作る。決して消える事の無い、破邪の意志を籠めた傷である。

 そして、アルキエルは前のめりになって、倒れ伏した。


 アルキエルは敗北した。ペスカが到着するまでの時間を、稼ぐ事は出来なかった。しかし、ほんの僅かでも、邪神ロメリアの体に傷を付けた。

 それは、勝つ見込みが無い戦いに差し込んだ、一条の光となる。


 それでもまだ、邪神ロメリアの優位は揺るがない。

 過酷な戦いは、始まったばかりであった。

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