第387話 邪神ロメリア ~誤った選択肢~

 銃弾に倒れた母親に縋り付き、泣きじゃくる子供がいる。

 そんな幼い子供でさえも、簡単に踏みつけていく。

 妻を守る為に盾となった夫は、無数の銃弾を浴びた。

 愛する夫を目の前で失った妻は、悲痛のあまり割れたガラスで喉を突いた。

 老いた母を背負って歩く男性は、無惨に頭を撃ち抜かれた。

 男性の背で運ばれていた母は、既に息を引き取っていた。

 飢えで死んだ幼子を抱える母が、たった一発の銃弾で命を失う。


 逃げ惑う人を、無感情な爆撃機が追い回す。

 巨大な旅客機を、戦闘機が弄ぶ。

 民間人詰め込んだコンテナの船体に、機雷が大きな穴を開ける。

 鋼鉄の箱は巨大な砲弾を打ち合う。

 飛来するミサイルは、都市の姿を変える。

 禁じられた爆弾は、自然を破壊し尽くす。


 加速度的に戦火は広がる。

 人が死んでいく。

 文明が破壊されていく。

 自然が消えていく。

  

 邪悪な企みを、阻止しようと試みた者達がいた。

 彼らの思いは、無慈悲に踏み潰された。


 法の下、正義を順守しようとする者達がいる。

 彼らは世界を敵に回しても、全てを救おうと戦っている。


 しかし無情にも、悪意は星を包む。

 そして、全てが死を迎える終末の時が訪れる。

 それは誰も止められない。

 例え神だとしても、例え世界を救った英雄だとしても。


 ☆ ☆ ☆ 


「クラウスさん。空ちゃんの結界を手伝ってくれ。それと悪いがブル。みんなを守る様に結界を張ってくれ」

「冬也殿、お任せ下さい」

「直ぐに行くんだな」


 空が結界を張ろうと、一歩を踏み出した時、冬也は大声でクラウスとブルに声をかけた。直ぐに理解を示したブルは、皆を守る様に結界を張る。そしてクラウスは空の結界を補助した。


 そして、冬也は指示を続ける。本来それは、ペスカの役目であろう。しかし、この場にペスカはいない。

 代わりのリーダーならば、遼太郎が適任だ。その遼太郎も、瘴気が集まり続ける深山の対処に、命を賭けて臨もうと集中している。

 また、冬也の指示は的確であった。危機に際し、いつになく頭脳が冴えわたっていたのかもしれない。


「アルキエル、準備はいいな!」

「あたりめぇだ、冬也」

「レイピア、ソニア、ゼル、お前らはみんなを守りながら、俺とアルキエルの補助をしてくれ」

「畏まりました、冬也様」

「仰せのままに、冬也様」

「必ずお役に立ちます、冬也様」


 そして、冬也は皆に告げる。


「これから親父がやろうとしている事は、かなり危険なんだ。だから、みんなはブルの後ろにいてくれ。後は、俺達に任せろ」


 冬也の言葉は尤もである。これまでの戦いを目の当たりにし、目の前に渦巻く瘴気を感じ、首を横に振る者はいるはずが無い。

 警察チームは元より、陰陽士達、特霊局の面々も顔を青ざめさせ、ガタガタと足を震わせている。この場に居合わせて、気絶しないだけ優秀なのだ。


 この場でまともに行動出来るのは、神以外であれば、恐怖を乗り越えた者だけ。かつて、空と翔一が勇気を持って立ち向かった時の様に。だが、それを皆に求める方が間違っている。怖くて当然なのだから。

 だから冬也は、皆に退避する事を指示した。しかし、それを容易に受け入れられない者もいた。

 

「冬也君。それは認められない。危険なら尚更だ。我々は免職覚悟でここにいる。だが我々がやれることは、せいぜい米兵や自衛隊員を捕縛する事だ。我々も戦える、山中さんが作ってくれたのは、そういう武器なんだろ? 新宿で見た沈静効果が、ここで通用しないとは思えないんだが」


 頭が良く勇敢で、行動力が有る。そして仲間の為、他人の為に力を振るえる。そんな人間だから、多くの警察官が佐藤を支持してきた。

 それは例え謹慎処分を受けても、それは変わらない。同様に謹慎処分を受けた者達も、佐藤を信じてついてきた。

 そして佐藤は、相手側の兵士を捕縛する際に、的確な指示を仲間達に飛ばしていた。そのおかげで、迅速な捕縛が出来た。

 

 佐藤が優秀なのは、今更言うまでもない事だ。その仲間達も。

 怖いのだろう。数多の修羅場を潜った佐藤をして、足を震わせる。それでも佐藤は、声が上擦りそうになりながらも必死に堪え、冷静を保ち言葉を紡ぐ。


「佐藤さん。必要なのは、誇りじゃねぇんだ、力なんだよ。俺達は神だ。親父は神と同じ力を持ってる。俺達と同じ位の力が無ければ、役に立たねぇ」

「佐藤、わりぃが冬也の言う通りだ。大人しく言う事を聞いて、守られちゃくれねぇか?」

「東郷さん。申し訳ないが、引けません。我々は、いや、この国は東郷遼太郎を失う訳にはいかない! あなたが、どれだけの危険を侵そうとしているのか、それ位は私にだってわかりますよ。我々は免職になっても、心は警察官だ! 警察官は、市民を守る為に在る! だから、守らせろよ! 東郷遼太郎!」


 佐藤の言葉は、遼太郎の心を大きく震わせた。

 それもそうだろう。佐藤とは長い付き合いだ。能力者対策局が出来る前から、難事件を共に解決して来た。戦友と呼んでも過言ではない。

 その佐藤から、投げかけられた言葉に、心を動かされない訳がない。


 だが事が事だけに、その要求を呑む訳にはいかない。佐藤の行為は蛮勇に過ぎない。知らないのだ、どれだけ危険な事をしようとしているかを。

 時間が無い、直ぐに逃がさなければならない。ちゃんと、わからせなければならない。


 そして遼太郎は口を開く。しかし言葉が出ない。まるで心が拒否しているかの様に。

 そんな遼太郎の葛藤を見透かしたかの様に、冬也が両者の間に入ろうとする。しかし、その冬也を片腕で制したのは、アルキエルであった。

 

「良い覚悟じゃねぇか佐藤。わかってると思うが、冬也の言う事を聞けねぇなら、てめぇらみんなここで死ぬぜ! だがよ、そんなつまんねぇ事は、言うまでもねぇんだよな? 糞みじけぇ人生とやらより、大切なもんが有るって事だろ? なら仕方ねぇよなぁ。てめぇらの魂魄は、まとめて俺が回収してやる。そんで、まともな場所に生まれ変わらせてやる。佐藤、その時は問答無用で、てめぇは俺の弟子だ!」


 アルキエルの言葉で、冬也は口を噤んだ。納得した訳ではない、眉を顰めた表情からも、容易に推測出来るだろう。

 しかし、冬也は両者の気持ちを汲んだ。


 そして遼太郎の心は、温かいもので充ちていた。親友達が、ここまで言ってくれたのだ。その言葉は、遼太郎に勇気を与える。

 その勇気は、不可能を可能にする力となる。


 遼太郎が行おうとしているのは、単純な事である。深山の中に有る災厄の種子を取り出す、それだけだ。

 しかしそれは、がん手術の様に簡単ではない。否、がんの手術が簡単だと言っているのではない。それを遥かに凌駕する程、難しいのだ。


 がん細胞が、全身に転移しているから、手術が不可能。これは、そんなレベルではない。

 災厄の種子は、深山の魂魄と融合している。完全に混ざり合った物を、分離させようと言うのだ。それは道具すら使わず、コーヒーに混ざった砂糖とミルクを取り出せと言っている様なものだ。


 しかも分離させるのは、今にも花を咲かせ様ようとしている災厄の種子。空が深山を結界で囲ってなければ、瞬く間に邪気が周囲に拡散し、日本全土を死者の国へ変える。

 そんなものを、深山から取り出すのだ。二柱の神が、撤退勧告するのは当然の事であろう。


 はっきりと断言しよう。

 空が封じている間に、深山共々災厄の種子を消滅させる。それが一番安全に、解決する可能性が高い。

 しかし、冬也と遼太郎を始め、誰もそれを口にしない。


 皆、知っているのだ。温厚な深山が何故、犯罪を犯してまで、騒動を起こしたのか。その原因を。

 決して褒められる事ではない。ここまで問題が大きくなった原因は、深山に有るのだから。だが、そうならざるを得なかった事情も理解出来る。


 だから、深山を犠牲にしようとは、誰も思わない。過ちは法の下で裁くべきだから。命を犠牲に成り立つ平和など、有ってはならないから。

 例えそれが、過ちであったとしても。誰もを危険に晒す行為だとしても。


 遼太郎は周囲を見渡す。

 空が膨大な汗を流して、結界を維持している。クラウスが、必死の形相で空のサポートをする。その周囲を警察チームが囲み、揃って美咲の作った銃を構えている。

 雄二は全身に炎を纏い、いつでも戦える準備を整えている。エリーは集中力を高め、全力のサイコキネシスを発動させようとしている。

 林は世界の状況を、冷静に皆へ伝えている。陰陽師達は祝詞を唱えて、深山に集まる悪意を少しでも散らそうとしている。美咲は、陰陽師達を囲む様に、透明なシールドを作り出す。

 安西は仲間達を冷静に見つめて、適宜指示を送っている。


 ブルの結界は、邪気から皆を守る。アルキエルは大剣を取り出して、いつでも飛び出せる様な姿勢を取っている。レイピア、ソニア、ゼルがそれぞれ剣を構え、万事に対応しようと、感覚を研ぎ澄ませている。

 そして冬也は、大地に神気を流し、神域を維持する。

 

 ここまでの道のりは、決して楽なものではなかった。救援が無ければ、遼太郎でさえ命を落としていたかもしれない。

 それでも皆が戦う意思を示す。抗う覚悟を示す。それは何物にも代え難い、至宝であろう。

  

 そして遼太郎は深山に近づくと、残り僅かの神気を高めて、体にそっと手を触れる。

 道を間違えた英雄を救う為、遼太郎の命を賭けた戦いが始まる。

 皆の想いを背に受けて、皆の勇気を力にかえて。

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