第310話 インビジブルサイト その3

 ひた走る二台のパトカー、搭乗する異界からの旅人。何故、こんな事態になっているのかは、時を少し遡る必要がある。


 正午の鐘が鳴るより少し前の事、三柱の神と一人の人間がゲートを潜り、ロイスマリアから日本へと降り立った。遼太郎にとっては数週間ぶりの日本。ただ、ペスカと冬也にとっては数年ぶりの日本である。走り去る車、そびえ立つビル群、一面のアスファルト、慌ただしく過ぎゆく人々と、見慣れた風景は懐郷にも似た想いを込み上げさせる。

 ただ一言、アルキエルが発した言葉が無ければ。


「くっせぇな! 何だここは! 空気が汚れてやがる! おい、冬也! こんな所がてめぇの故郷なのか? ドラグスメリアの方が、よっぽどましだぞ!」


 大気汚染の無い世界から来たのなら、当然の感想なのかもしれない。神をして、得体の知れない世界と言える、現代社会を目の当たりにして、アルキエルの雑言は止まる事はない。


「くせぇのは、ちょろちょろ動く鉄の塊だな? にしても、なんだあの馬鹿でけぇのは。建物か? けち臭く密集しやがって、薄気味わりぃ! それよりもっと気味わりぃのは、人間の方だな! あいつらみんな、病気にでもかかってんのか? どいつもこいつも、覇気のねぇ面しやがってよぉ! ごちゃごちゃ集まってやがるから、病気が伝染するんじゃねぇのか?」

「どこ見て、覇気がないって言うのよ! 頑張ってる人は、沢山いるんだよ! 日本はこれでも世界の中じゃ、かなり良い所なんだよ! 凄いんだよ日本は!」

「ペスカぁ! これのどこが、すげぇんだよ! でっけぇ建物か? その位、ドワーフやサイクロプスが幾らでも作れんだろうが!」

「日本はね、みんな親切だって有名なんだよ! それに、街は綺麗だし!」

「はぁ? 病気の奴に肩も貸せねぇ奴らの、どこが親切だって? 空気に混じった、この気味の悪い何か! それに見ろよ! 道の端には、屑が散乱してるじゃねぇか! これのどこが綺麗だって? タールカールの荒野の方がよっぽど綺麗じゃねぇか!」

「あそこは、何も無いからでしょ! 本質をちゃんと見なさいよ!」

「本質が見えてねぇのは、てめぇだろ! てめぇは故郷だからって、贔屓目で見てんだよ」

「もう、うっさい! アルキエルの馬鹿!」

「ペスカぁ。てめぇも神の端くれだろうが! 聞こえねぇとは言わせねぇぞ、星の呻き声をよぉ。この星は、苦しんでやがんだ。呻き声が聞こえてるうちは良い。このまま放置すれば、この世界全体が無くなっちまうぞ! この世界の神々は何をしてやがんだ! 放置にも程が有んだろうが!」


 次第にヒートアップし、アルキエルは声を荒げる。はた目から見れば、小さな少女と大きな外国人が、よくわからない言語で口喧嘩をしている図にも見えるだろう。


「その位にしとけ、アルキエル」

「何だ冬也! 喧嘩売ってんのか?」

「ちげ~よ馬鹿。俺達には、この世界に干渉する資格がねぇんだ。何も出来ねぇ、する気がねぇなら、無責任な事を言うんじゃねぇ! あれこれ言って良いのは、この世界を変えようと努力してる奴だけだ!」


 流石のアルキエルも、冬也の怒気に押される。ただ、アルキエルが口を噤んだのは、冬也の迫力に押されたからだけではない。冬也の言う事が正しいと感じたからである。

 不満を言うのは、境遇を変えたいと思うからであろう。境遇を変える為に行動するならば、その不満には価値が有る。ただし、何もせずに悪態をつくのは、単なる誹謗である。それを、批判やら批評等の都合の良い言葉で、誤魔化してはならない。


「俺はなぁ。この世界をどうこうして欲しくて、お前をここに連れて来たんじゃねぇ。別の視点でこの世界を見ろ! この世界の成り立ちから、色んなもんを学べ! 頭の良い馬鹿にはなるな!」


 冬也の言葉を受けて、アルキエルは叱られた子供の様に視線を逸らす。そんなアルキエルを、冬也は少し苦笑いして眺めた後、ペスカに視線を向ける。

 アルキエルとの口喧嘩で、少し気が立ってるペスカの頭を、冬也は優しく撫でた。


「お前が言い負かされてる所を、初めて見た気がするぞ」

「お兄ちゃんの意地悪!」


 温かい手の感触を感じながらも、ペスカは膨れて見せる。

 少し感情的になり言い淀んだものの、言い負かされたとペスカ自信は思っていない。ただ、アルキエルが言った事も、ある意味では事実であるのだ。


 疲れた顔をしながらも仕事に勤しむ人は、チラホラと見える。未来に希望を見いだせず、暗い顔をしている人もいる。隣近所ですら挨拶を交わさなくなった現代で、大勢が行き交う街中では無口で通り過ぎるのみであろう。

 自分と自分に関わる、極小のコミュニティにしか興味を持たない。もしかしたら他人どころか自分にすら、興味を持てない人もいるかもしれない。

 簡便になっていく一方で、複雑化する社会。そんな中で発生した弊害でもあろう。人はAIや機械ではない。自分を誤魔化し本音を押し隠し、強引に社会に適応しようとすれば、歪みも生まれるだろう。


 日本中で開発が行われ森林が失われている。世界に目を向ければ、惨状はもっと酷いものとなっている。留まる事を知らない環境破壊、それでも多くの人が文化的な暮らしを続ける為に必要な事であるなら、それについて善し悪しの判断するのは難しいであろう。アルキエルが臭いと言った大気についても、同様の事が言えるのだろう。

 そんな歪を理解しているからこそ、ペスカは言い淀んだ。だが、ペスカはこの世界にも、希望があると思っている。未来が有ると信じている。だからこそ、少し感情的になった。


 故郷を馬鹿にされた事とは別に、ペスカは違和感を感じていた。それが、ペスカを論理的で無くさせていた。

 一言で言うならば、以前と比べて活気がない。それは、能力者の発生で派生した現象なのか。持てる情報の少ないペスカには、判断する事は難しく理解出来ない部分でもあった。


「ところでよ、親父は何処に行ったんだ? そもそも、ここは何処だ?」


 ペスカの頭に手をやりながら、冬也はキョロキョロと辺りを見回す。いま自分達が居るのは、明らかに住宅街ではない。見える風景は自宅付近ではなく、都心のビル群なのだ。

 そしてペスカとアルキエルが口喧嘩をしている間に、遼太郎の姿は見えなくなっていた。


「はぁ、お兄ちゃんはやっぱりお兄ちゃんだね。せっかくかっこ良かったのにさ」

「ペスカ、兄ちゃんは馬鹿にされてるのか? ちょっと悲しいぞ」

「お兄ちゃん。よく見てあれ、首都高だよ」


 ペスカの指さす方角を見ると、空を覆う様に架けられた巨大な高架線が有る。だが、都心に出かける事が少ない冬也には、その情報では理解が出来ない。


「で、ここはどこだよ?」

「多分新宿。あっちに行けば都庁だね」

「なんで新宿?」

「知らないけど、フィアーナ様が位置の指定を間違えたんじゃない?」

「で、親父は?」

「あそこ!」


 次にペスカが指を差したのは、派出所であった。だが遼太郎は、派出所に飛び込んだかと思えば、ものの数分で出て来る。

 

「お前ら、ついて来い」


 声を荒げてそう言うと、遼太郎は速足で歩き始める。何の説明も無くスタスタと歩く遼太郎の横顔は、少し焦っている様にも見えた。


「パパリン。何が有ったの?」

「あぁ? 説明してなかったか?」


 遼太郎は歩く速度を落とす事なく、行き交う人を避ける様に歩いて行く。


「不味い事が起きた! リンリンの奴が、こんな無茶な判断をする訳ねぇんだ!」

「リンリン! 誰それ?」

「林倫太郎、俺の部下だ! いや、そんな事はどうでもいい! とにかく今は新宿署に急ぐ! そこに俺の知り合いが居る。それから現場へ直行だ」


 説明になっていない遼太郎の言葉に、ペスカでさえも首を傾げる。何とか理解出来たのは、急がなければならない事態が起きたのだろう事だけ。

 派出所から目的の新宿警察署までは、そう遠い距離ではない。都庁を横目にビル群を通れば数分で辿り着く。小走りにも近いスピードなら、着くのはもっと早いだろう。


 新宿警察署に辿り着き、中へ足を踏み入れると、署内は騒然となった。

 一般人とは違う威圧感を放つ、青筋を立てた中年男性と、鋭い目付きの外国人が入って来た。その後ろに続く青年からも、同様の威圧感を感じる。

 それは少し鍛えた者なら感じられる、強烈な威圧感だった。署員の中には警戒し、身構える者もいる。もしその場に、機動隊の様な特殊訓練を受けている者がいれば、誰も近づかせない様、周囲に指示を出しただろう。藪をつついて蛇を出すのでは、治安を守る者としては失格なのだから。

 

 当の遼太郎は、どこ吹く風とばかりにざわめく署内を歩く。真っ直ぐに刑事課へ辿り着くと、大声を張り上げた。


「佐藤! 居るんだろ、出て来い! 俺が指示を出すまで、インビジブルサイトには手を出すなって言っただろうが!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る