第303話 ロイスマリア武闘会 ~その先に何が見える~

 試合当日、開始直前までレイピアは控室に現れなかった。なかなか現れないレイピアについて、大会関係者内では、逃げたのではないかと憶測が飛び交っていた。しかし、エレナは到着を信じて待っていた。


 前の試合が終わり十分以上が経過し、レイピアを不戦敗とする声が関係者内から上がり始めた時、控室の扉が開かれレイピアが現れた。

 泣き腫らして腫れぼったい目、そして一睡もしていないだろう事は、目の下の大きな隈からも良くわかる。しかし、瞳の奥に宿る闘志は研ぎ澄まされ、戦う意思に満ちていた。


「ようやく来たニャ」

「ええ」

「だいぶましな顔つきになったニャ」

「どうでしょうか」

「さあ、みんな待ってるニャ。行くニャ」

「えぇ」

 

 エレナの問いに、レイピアは淡々と短く答えると、試合会場に足を踏み入れた。


 ☆ ☆ ☆


 前夜の事、訪れた女神ラアルフィーネとエレナが姉妹の部屋を後にしてから、レイピアはエレナが置いて行った剣をひとしきり眺めていた。そしてソニアをベッドまで運び、寝かしつけると、宿舎の外へ出た。

 昼間とは違い、大会会場付近ではお祭り騒ぎが繰り広げられている。その光景を見て、レイピアの体は酷く強張った。


 多くの者は、レイピアを見るなり声を潜め、近寄らぬ様に避けていく。厄介者を見る様な目線の中には、明らかに敵意を見せる者もいる。周囲の者達の態度は何ら変わらない。だが罪を自覚してしまったレイピアは、他者の視線が怖かった。

 消えろ、死ね、くたばれ、そんな罵倒が聞こえてくる様な気がした。冷たい視線が突き刺さり、身を切られる様な痛みを感じた。


 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 

 レイピアは俯き背を丸めて、剣を胸の前で抱える様にし、体を縮こませながら大会の会場へと歩みを進めた。

 恐怖に震えながらも足を止めないのは、レイピアの中に響いていたエレナの言葉があったから。逃げるな、罪に向き合え、エレナの叱咤がレイピアを前に向かせていた。


 試合会場では、運営スタッフを中心に施設の点検が行われている。レイピアは、運営スタッフの中にドワーフを見つけると話しかけた。


「あ、あの。剣の研ぎ方を」

「ちょっと、邪魔だよ」


 素気無くあしらわれる。厄介者扱いされるどころか、視界にも入っていない。そんな事はわかっていた。でもレイピアは勇気を振り絞って、声を掛け続けた。


「剣の研ぎ方を教え」

「うるせぇな。誰だよあんた。関係者以外立ち入り禁止だぞ!」

「お願いします。剣の研ぎ方を」

「お前に教える奴がいるとでも思ってのか? 馬鹿も休み休み言え!」


 言葉を遮られ、怒声を浴びせられる。これが自分が起こした行動の結果なのだ。声をかける度に、罵倒され、なじられ、何度もレイピアは頭を下げた。

 何度目だろう、数えきれない罵倒を浴び、頭を下げていたレイピアの後ろから声がかかる。


「ねぇ親方。研ぎ方を教えてあげてやって。お願い」


 声がした瞬間、それまでレイピアを怒鳴り続けていたドワーフから、怒気が消える。


「はぁ。ペスカ様のお言葉なら、仕方ありませんな」

「ありがと親方。それとレイピア、妹が心配でしょ? やり方だけ教わったら、宿舎に帰りなさい。それと食事をしっかりとる事。明日も試合なんだから、がんばってよね」


 レイピアが頭を上げた時には、声の主は去っていた。そして、剣の研ぎ方を教わり研石を譲り受けると、宿舎へと戻る。ぼろぼろに刃こぼれし、いたる所が錆びついた剣は、どれだけ研いでも元の美しさを取り戻す事はない。ましてや、一度教示を得ただけで、素人が簡単に剣を研ぐ事など出来るはずがない。


 ぎこちない動作、拙い技術、それでもレイピアは丁寧に刀を研ぐ。同時に、顔も覚えていない、殺めてきた者達を思い浮かべる。その者達にもいただろう、家族の嘆きを思い浮かべる。一緒に暮そうと声を掛けてきた、一族の者達を思い浮かべる。無き同胞達の顔を一人ずつ思い浮かべる。そして鎮魂の思いを籠めて、祈りを捧げた。


 レイピアは一心に剣を研ぎながら、自分の心と向き合った。他者を恨む心、死の恐怖、戦いへの恐怖、殺す事への恐怖、他者への恐怖、悪意への恐怖。

 時の経過と共に、レイピアの心から余計なものがそぎ落とされ、研ぎ澄まされていく、清らかに洗い流されていく。


 これから自分は何を成さねばならないのか。遼太郎、女神ラアルフィーネ、エレナの言葉がレイピアの頭に蘇る。

 弱い自分に向き合い、誇り高い同胞達に報いる為に強くなりたい。言い訳は要らない、泣きごとも言わない、もう逃げない。

 贖罪の為、妹ソニアの為、自分達姉妹をこれまで生かしてくれた森の為、世界と此処に住む者達を守ろう。誰も悲しい思いをさせない世界を創ろう。

 レイピアの魂は、輝きを取り戻していた。

   

 ☆ ☆ ☆


 試合会場の中心で向かい合うエレナとレイピア。エレナの眼前には狂人はおらず、闘志を燃やす剣士が試合開始の合図を待っていた。

 

「ここからニャ」

「わかってる」

 

 短い言葉、それでも互いの意思は通じる。そして、冬也の口から試合開始の合図が告げられる。

 次の刹那に、レイピアは居合の様に素早く剣を抜き、勢いよく振り抜いた。エレナは一歩退き、レイピアの剣を避ける。素早く剣を返し、レイピアは切り払う。エレナは瞬時に体を横に移動させ、レイピアの剣を避けた。

 

 いくら躱されようとも、レイピアは全身全霊をかけて剣を振るう。研がれた剣に意思が乗る。何百年も振り続けた技が、剣に籠められた意思を伝える。昨日までのレイピアとは明らかに違う太刀筋であった。


 しかし、力の差は歴然である。既に見極められているかの様に、簡単に躱される。間隙を縫って放たれるエレナの拳は、軽くレイピアの体に触れるだけ。それでも、レイピアは軽々と吹き飛ばされ態勢を崩す。


 レイピアが攻撃をする度に、エレナから叱咤の声が掛かる。

 足さばきがなってない、もっとしっかり踏み込め! 力を籠めすぎるな、適度に力を抜かないと剣速は上がらない! 残心を忘れるな、攻撃の後こそ注意を払え! 


 剣でも素手でも、武術の基礎は大きく変わらない。エレナは伝えようとしていた。自己流で基礎がしっかりしていない腕では、自分には敵わない。ましてや、何かを守ろうとするなら、もっと強くなれと。

 戦場を生き抜いてきたエレナだからこそ伝えられる、戦いを通じての教えであった。相対するレイピアも理解していた。これは勝敗を決める戦いではなく、稽古であると。


 レイピアと真剣に向き合うエレナ、エレナの声に、真摯に耳を傾けるレイピア。互いの思いが交差し伝播していく。

 これまでエレナの応援で一色だった観客席から、少しずつレイピアの応援する声が上がっていった。

 

 ただ、どれだけ闘志を燃やそうとも、気力が満ちようとも、碌に食事や睡眠をとっていないレイピアの体力が尽きるのは、時間の問題であった。

 レイピアは膝を突く。足は震え力が入らない、剣を握る事自体が精一杯で、一ミリも振り上げる事は出来ない。それでも瞳に籠った闘志も揺るがない。だが強い意志に、体が着いてこない。


「試合終了だ。これがお前の実力だ、文句はねぇよな!」


 レイピアは首を縦に振り、冬也の言葉を認めた。そしてエレナは語気を強めて言い放つ。


「勝負以前の問題ニャ。お前は体力がないニャ。その上、寝てない、食べてないじゃ、私に勝てる訳ないニャ!」


 レイピアは項垂れる様に俯く。仕方がない、実力の差は認めざるを得ない、でも悔しい。そんな思いがレイピアの中に渦巻く。


「予想以上だったニャ、よくやったニャ」

「あ、ありがとう」


 レイピアはエレナの言葉に、頭を上げて目を見開いた。叱られるばかりで、褒められるとは思っていなかったのだから。エレナに返した言葉は、未だにどう他人と接していいかわからないレイピアの、精一杯の感謝であった。


「お前は、まだまだニャ。今のままだと、ラアルフィーネ様の迷惑になるだけニャ。だから、お前は私の弟子になるニャ。勿論、ソニアもだニャ」

「えっ!」

「独りでは限界があるニャ。私はズマやゴブリン達が居たから、奴らを守りたいと思ったから、強くなれたニャ。生き残る事が出来たニャ。誰にでも弱さが有るニャ、独りなら幾らでも自分を甘やかせるニャ。でも傍に誰かがいたら言い訳が出来ないニャ。だから、お前ら姉妹の傍には、私がいる事にしたニャ。でも、勘違いしちゃ駄目ニャ。お前らは世界の為に、しっかりと働いてもらうニャ」


 エレナは語った、自分が傍にいると。レイピアの頬には涙が流れた。エレナは軽く膝を曲げると、レイピアに手を差し出す。そしてレイピアは、深く頭を下げるとエレナの手を取った。

 その光景に観客席からは、歓声が上がり拍手が鳴り響いた。


 もし、言葉を交わす事が出来るなら、互いに理解を示す事が出来るはず。心を通わす事が出来るなら、支え合う事が出来るはず。優しい言葉を掛けられたら、他者に優しい言葉を掛けられるはず。傷ついた時に救われたなら、次は救いを求める誰かに手を差し伸べられるはず。

 簡単な事が存外難しい。しかし、そんな簡単な事が出来れば、もっと世界は優しくなる。

 

 この後、エレナと共に世界を守る、二人のエルフの伝承が始まる。かつて、恐怖の代名詞にもなっていた赤髪のエルフは、弱者を守る世界の守護者となる。

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