第296話 ロイスマリア武闘会 ~父として~

 試合開始直前に、遼太郎からかけられた言葉に、トールは少し動揺した。

 勝たなきゃいけない理由が出来た? 何を今さら。この大会出場者なら、ほとんどの者がそう思っても不思議ではない。しかし誰も知らない。ここで戦う理由が、遼太郎には無い事を。

 家族の為に力を貸したいと思うのは、目的ではなく動機だろう。それに、これまで数々の残虐的な戦いを目の当たりにし、何も感じない日本人が何処にいると言うのだ。遼太郎が平然とした風を装えるのは、相応の胆力の持ち主だからに他ならず、普通の日本人なら怯えて半狂乱になってもおかしくはない。遼太郎を支えているのは何か、それは父であるという誇りだろう。


「まぁ、そりゃそんな顔になるわな」

「いや、そういうつもりでは」

「気にすんなってトールさん。変な事を言ってるのは、俺なんだろ?」


 トールの表情で察したのか、苦笑いをする遼太郎。貼り付けた様な笑顔を浮かべても、瞳は笑っていない。トールは何を馬鹿なと、遼太郎を笑い飛ばす気にはなれなかった。


「なぁトールさん。冬也の奴はどんなだ?」

「どんなと言われましても。凄いとしか」

「何がすげぇ?」

「彼のおかげで、世界が救われたんです。それ以外に何が有ります? 真っ直ぐに突き進み、どんな苦難も乗り越えていく。誰もが出来る事ではありませんよ」

「そっか、真っ直ぐか。まぁ確かに、真っ直ぐだわな。でも凄くはねぇよ」


 そう言うと遼太郎は、冬也をすっと指さした。


「見ろよ、あいつの顔。慣れねえ頭を使うから、あんな顔になるんだ」


 トールには、遼太郎の言いたい事が理解出来ずに、首を傾げる。そして、遼太郎は言葉を続けた。


「誰もがよ、迷って悩んで答えを出すんだ。あいつは違うだろ? 力づくで答えを引き寄せるんだ。はた迷惑な奴だろ? 誰に似たんだかな。だがよ、迷って出した答えは、例え間違いであったとしても、そいつにとっては正解なんだ。悩んだり苦しんだ事のねぇ奴には、そんな答えは出せねぇ。わかるか?」

「決断って事ですか?」

「まぁ、近からず遠からずだな。いいか? 間違えた答えを出す事が、悪いんじゃねぇんだ。間違いに気が付かねぇのが悪いんだ。それは本人だけの問題じゃねぇ、間違いを教えてやらない周囲の問題でもあるって事だ」

「難しい謎かけですが、それが遼太郎殿の言う勝つ理由ですか?」

「いや、それも少しちげえな。俺は珍しく悩んでるバカ息子に、喝を入れてやりたくなっただけだ。いわゆる親バカってやつだ」


 自分達を迎える歓声が耳に入らない程、トールは会場中心へ歩みを進めながら、遼太郎の言葉を反芻していた。回りくどい言い方の為、真意は理解しかねる。ただ一つ理解出来たのは、遼太郎とトールでは見ているものが違う事である。トールにとって冬也は、英雄や神といった尊敬の対象である。しかし遼太郎は、冬也の事をただの子供と認識しているのだろう。


「息子に心配されるのは、ボケてからで充分だ」


 歓声に紛れさせ、誰にも聞こえない様に呟かれた言葉。だが隣を歩くトールには、しっかりと届いていた。その時トールは確信した。一見すると無遠慮に見えるこの男は、父親としてこの場に立っている。戦士とは別の覚悟が、遼太郎から感じた。


 中央に辿り着き、二人は向かい合う。遼太郎は全身から余計な力を抜く様に、深く息を吐きながら丹田に力を集中させる。すると、まるで血液が体内を循環する様に、マナが全身に流れていった。続いて遼太郎は、少し右足を前に出し右手を手前に突き出す。美しささえ感じさせる流れる様な動作は、達人の風格を匂わせる。そして遼太郎は、戦う男の表情に変わった。


 その瞬間、トールの中で緊張感が高まった。トールとて、数多の戦場を潜り抜けて来た猛者である。相手の力量が測れない未熟者とは違う。いくら無頼漢を装っても、道化て見せても、目の前の男は世界最強を育てた達人。

 トールは全身にマナを満たし、剣を抜いた。そして、冬也から告げられる試合開始の合図。トールは、全力で剣を振るった。


 遼太郎は、左手でトールの剣を受け流すと、右の拳で眉間を狙い振り抜く。崩れかけた体制を立て直す様に、トールは瞬間的に後方へ飛び、遼太郎の拳を避ける。すかさず遼太郎は、振り抜いた拳の勢いを殺さずに、体を回転させながら、空中のトールに回し蹴りを放つ。遼太郎の蹴りは、伸びる様にトールの顔面に向かい飛んでいく。咄嗟に剣で受け止めるトールであったが、空中の為に力が入らずに弾き飛ばされ、更に体制を崩される。そして着地したトールの足を狙い、繰り出される遼太郎の足払い。トールは咄嗟の判断で、再び大きく後方へ飛んで、遼太郎から間合いを取った。


「やるじゃねぇか」

「それはこちらの言葉です、遼太郎殿」

「あんたには本気を出させねぇよ。俺が負けちまうからな」


 そう言い放つと次は遼太郎が仕掛けた。素早く相手の視界から外れ、消えたと見せかけて死角に回り込み攻撃を行う、体術を得意とする者がよく使う技。遼太郎の技は、エレナやズマに劣らない速度であり、トールは完全に遼太郎を見失う。

 ただその攻撃を、トールは予測していた。見失っても遼太郎の気配を追って、体を回転させながら袈裟懸けの要領で、剣を振り下ろす。高速の攻防の中、完全に捉えたと確信し、振り下ろしたトールの剣先には遼太郎の姿は無い。直後にトールは、息が止まる。そして背中に強烈な痛みを感じ、膝を突いた。


「ははっ。この技はなぁ、達人だから引っ掛かるんだ」


 例え躱されたとしても、何らかのダメージを与えられる。そんな手応えを感じて、トールは剣を振り下ろした。しかも、連撃を加えられる体制を整えながら。しかし、遼太郎はそこにおらず、トールの背後に回り込んでいた。そして、呼吸が止まる程の勢いで、トールは背中を突かれた。

 膝を突くトールを見下ろし、遼太郎は言葉を続けた。


「残念だが、あんたは俺の闘気を斬ったんだ。さて、まだやるかい?」


 トトンと片足で跳ね、素早い蹴りを空中に放ってみせる遼太郎。まだ、呼吸が止まったままのトールは、苦しそうな表情を浮かべたまま、首を横に振った。

 遼太郎はしゃがみ込むと、トールの背に手をやり、自分のマナを流し込む。ややあってトールは軽く咳き込むと、呼吸を取り戻した。遼太郎はトールの手を取り立ち上がらせる。そして、冬也の口から勝敗の合図が告げられる。

 観客席からは、一斉に割れんばかりの歓声が上がった。


「わりぃな。痛かったか?」

「痛みなどはどうでも良い。それより遼太郎殿」

「何だよトールさん」

「あなたが、真にご子息の力になりたいのなら、奥底に沈めた本当の力を呼び覚ますべきだ」

「はぁ? トールさん、何言ってんだ? 手を抜いた事を怒ってるのか?」

「気が付いていないのか?」

「だから、何をだよ!」


 遼太郎のマナをその身に流し込まれた瞬間に、トールは知った。遼太郎の奥底に眠る、膨大な力の奔流を。その時トールが感じたのは、畏怖に近い感情であった。トールは静かに口を開く。


「遼太郎殿。あなたの技は、修行して得たのですか?」

「いや、俺は大した修行をしてねぇな。剣術は得意じゃねぇが、体術系は何をやっても上手く出来たしな」

「それなら、あなたの力は、魂魄に脈々と刻まれ続けた末の力だろう」

「魂魄? その言い方だと、俺がすげぇ奴みたいじゃねぇか?」

「そう言ってるんだ! 五感を研ぎ澄まし、己の魂に耳を傾けるんです。あなたには、眠っている力が有る」 

「よくわかんねぇが、参考にさせて貰うぜ」


 トールは話し終えると、遼太郎に背を向ける。そして、遼太郎は冬也に向かい右の拳を突き出した。冬也と視線が合うと、遼太郎は笑って右の拳で自分の胸をトントンと二回叩いてみせた。

 遼太郎の行動に、冬也は少し眉をひそめると視線を外す。その際に開かれた口から零れた言葉は、大歓声にかき消された。「調子に乗るんじゃねぇ」と。


 音は届かなくても、冬也の言葉は遼太郎に伝わっていた。しかし遼太郎は、不敵な笑みを浮かべたまま暫くの間、冬也を見ていた。


 俺は強いだろ、だから心配なんてすんじゃねぇ。だから大人しく俺の背中を見てろ、俺が勝つ所を見てろ。てめぇには頭を使うなんて、似合わねぇんだよ。てめぇはてめぇらしく、真っ直ぐに突き進めばいいんだ。てめぇの不始末くらい、俺がつけてやる。それが俺の役目だ冬也。


 言葉にせずとも、意思は伝わる。痛い程に。冬也は遼太郎から視線を外したまま、少し照れ臭そうに頭を掻いた。 

 そんな二人の様子を見ていたアルキエルは、小さな声で呟く。


「てめぇは、人になっても変わらねぇんだな、ミスラ」

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