第290話 ロイスマリア武闘会 ~赤い髪の機械~
その昔、エルフは単一の種族では無かった。エルフと言えば長い耳と美しい金髪、空を写し取った様な碧眼に透き通る様な白い肌が、一般的な外見上の特徴である。かつては、褐色の肌を持つエルフも存在したし、より耳の長いエルフも存在した。
それは悪しき風習だった。尊大なエルフは、他種族の血が混じる事を嫌った。それ故か、異質な外見を持つエルフすらも疎んじられていた。彼らもまた純然たるエルフにも関わらず。
ただ、疎んじるだけならば良かったのだろう。だが驕ったエルフ達は、迫害ではなく絶滅を望んだ、忌むべきものとして。罪をおかした訳ではない、ただ外見が異なるだけで滅ぼされた。
同胞の手によって滅ぼされたエルフの中に、赤い髪をした一族がいた。目立たぬ様にひっそりと暮らし、自然を愛する一族だった。その一族は一夜にして、同胞であるエルフによって惨殺された。
襲撃を受ける直前に、逃された姉妹がいた。一夜を明かし、その姉妹が一族の下に戻った時に見たのは、惨憺たる有様だった。
刎ねられて並べられた首、切り刻まれ吊るされた胴体。それはまるで、見せしめにでもしているかの様だった。見知った者達の末路を眺めて、妹は言葉と心を失った。そして姉は生き延びた事を深く後悔した。
首が無く元の形も良くわからない程に切り刻まれた死体、その近くに落ちた二本の剣を拾い、姉は妹の手を引き姿を消した。その時、姉の中に有ったのは悔恨の念か憎悪の念か、今にしては本人さえもわからない。それ以来、姉妹と関わった者は、尽く命を落としている。これが、アンドロケイン大陸に伝わる血塗られた伝承の始まりである。
☆ ☆ ☆
試合を終え、控え室替わりの広い部屋に引き上げてくるズマとガロスを、出場者達が口々に称えた。一部を除いて。
片隅で無表情で佇む二人のエルフ。まるで感情も無く他者を殺せるかの様に、漆黒の瞳には何も映さない。今まで殺した膨大な数の返り血がこびり付いた様に、その髪はどす黒い赤に染まる。近づこうものなら、即座に切り捨てられる。そんな予感すら覚えさせる雰囲気を、二人のエルフは湛えていた。
ここは己の力を示す武闘大会である。他者の戦いを称えつつも、隠す事の出来ない緊張感は有る。しかし、二人のエルフが放つ殺気めいた雰囲気のせいで、誰もがピリピリとしていた。
特にエレナはズマの勝利を喜びながらも、部屋の片隅で佇むエルフの姉妹に意識を向け続けていた。女神ラアルフィーネが、何を持って彼女らを代表に選んだのか。その意図はエレナには推し量れない。ただこの場において、間違いだけは起こさせない。エレナは、そんな決意に満ちていた。
「顔が強張っているぞエレナ。奴らがそうなのか?」
「モーリス、相手がお前で良かったニャ。お前なら、怪我だけで済みそうニャ」
「奴らからは血の匂いしかしない。そんな者から俺が傷を負う筈がなかろう」
モーリスがエレナに声をかけた時の事だった。会場に次の選手を誘うアナウンスが流れる。熱い初戦の後である、会場中は観客の熱気で溢れている。
自分の出番に、エレナに背を向けモーリスが会場へ歩みを進め、ソニアが姉であるレイピアから離れた瞬間だった。控室内に膨大なレイピアから殺気が放たれた。数多の戦場を潜り抜けて来た猛者の肌をも粟立させる殺気に、控室内は静まり返る。その殺気は会場へも漏れ、観客達を震えさせる。それは本能的な恐怖である。それでも出場者達の多くは、心の底で思っていた。この場には最強の神が居る、万が一が起こり得るはずが無いと。
今までの熱気が嘘の様に静まり返る試合会場。歩みを進め、向かい合うソニアとモーリス。目が合った瞬間にソニアの剣が鞘から抜かれた。
試合開始の合図は、まだ冬也の口から発せられてはいない。だがソニアはそのまま一気に、モーリスとの間合いを詰めた。ソニアを止めようとする冬也、だがモーリスは冬也に視線を送りそれを制した。
モーリスの首を刎ねようと、横薙ぎに振られるソニアの剣。その剣速を観客達は捉える事が出来ない。しかし、モーリスは親指と人差し指だけで、ソニアの剣を軽々と止めた。
未だ自分の剣を抜いていないモーリス。止められた剣は、ソニアがどれだけ力を籠めて動かそうとしても、びくともしない。ソニアが剣に気を取られている間の事である、モーリスは剣を止めていた手とは逆の手で、拳を強く握りソニアの脳天に降り下ろした。
勢いよく殴られて地面に激突し、バウンドするソニア。ピクリともせずにソニアは地面に横たわり、勝負はついたかの様に思われた。
この瞬間、控室ではレイピアが剣の束に手をかけ、会場に飛び出そうとしていた。誰も油断はしていなかった、しかしレイピアの行動に反応出来たのは、万が一に備えていたエレナだけだった。
あと少しでレイピアの足が会場に踏み入れられようとする。半分ほど抜かた剣、瞬間的にエレナは会場への入り口をふさぐように回り込み、剣を抜かせまいと束頭を押さえつける様にして言い放った。
「止めるニャ! お前はラアルフィーネ様に選ばれたニャ。ラアルフィーネ様の顔に泥を塗る事は、私が許さないニャ!」
エレナの手を力強く払い除けて、レイピアはぼそぼそと呟いた。近くにいたエレナにさえ届かないほどの小声で呟かれた言葉は、怨嗟の念にも似ていた。
「触るな、下賤な畜生が」
レイピアの顔には怒りも憎しみも浮かんでおらず、ただ無表情のままであった。しかし、剣から手を放す事は無く、殺気は更に増していた。尋常じゃないレイピアの様子に、出場者達が詰め寄る。魔獣の王を始め、四大魔獣に人間の英雄、それにエルフでさえも警戒するドワーフの英雄が肩を並べる中で、戦意を見せるのは愚の骨頂であろう。それでも尚、レイピアの態度は変わる事はなかった。
暫くの間、膠着状態は続いた。しかし状況は一変する。レイピアは会場を見やると、一瞬だけ僅かに口角を吊り上げる。そして、何事も無かったかの様に控室の隅へと戻っていった。
最早、違和感しかないレイピアの様に、一同が会場へ視線を向けると、観客がざわめき始めていた。なにせ気を失ったかに思えたソニアが、ユラユラと揺れながら立ち上がったのだから。次の瞬間、ソニアは剣を握る力を僅かに強める。
僅かな機微さえ見逃さなかったモーリスは、素早く後方に飛び深く間合いを取った。経験故に察知出来たのだろう、モーリスが元居た場所はソニアの剣によって深々と抉られていた。それは誰が見てもわかる光景だった。空中に浮かぶ深い傷、その中に見えるのは漆黒の闇。余りの出来事に観客席は静まり返る、しかしモーリスは裂かれた空間など物ともせずに言い放った。
「それが、お主の本気か? 何とも軽い剣だ!」
恐らくモーリスは、最初にソニアの剣を受け止めた時に悟っていたのかもしれない。ソニアの剣は所々刃こぼれをし、血糊がこびり付き錆びついてもいる。剣の手入れをしていない、それは剣を扱う者として最低限の心得を学ばなかった証拠である。
「馬鹿にしているのだぞ、何も感じないか? 心を凍らせて、俺に勝てると思うなよ!」
モーリスは、女神フィアーナから姉妹の事情を聞いていた、何をして来たのかも含めて。全てを聞いて尚、モーリスは姉妹には微塵も興味を持てなかった。確かに相当な達人なのだろう、だがモーリスの目指す強さとは違う。モーリスの憧れた強さとはかけ離れている。
強さとは腕力ではなく、貫き通す信念であり、守り抜く覚悟である。
それがペスカから学んだ、冬也が体現してみせた教えである。
この時、初めてモーリスは剣を抜いた。モーリスの鍛えられた肉体と精神、それと磨き上げられた技と剣。対して、無表情でただ剣を構える感情の無い殺戮者。どちらの剣に魂が宿るかは、一目瞭然だろう。瞳に映る赤髪のエルフ、モーリスは既に憐憫しか感じていなかった。
「教えてやる、本当の戦い方をな」
モーリスが一歩を踏み出すと共に、ソニアが間合いを詰める。横薙ぎに振るわれるソニアの剣。しかし、再び空間が切り裂かれる事は無かった。
クルクルと剣先が空を飛ぶ。モーリスはソニアの剣を断つと、そのままソニアの首に自分の剣を当てた。そして、冬也の口からモーリスの勝利が告げられる。
しかしソニアは、今の状況や冬也の言葉を理解していないのか、突きつけられたモーリスの剣を意にも解さずに、折れた剣を振りかぶった。
「待ちやがれ馬鹿野郎が!」
そんなソニアの様子に、流石の冬也も怒声を上げた。感情を無くしても、本能的な恐れは消えていないのだろう。冬也の神意を受けて、ソニアは動きを止めた。
「今の戦いから学べよ、馬鹿野郎共! そうじゃねぇなら、とっとと帰れ! ここは、お前らみたいなロボットが居て良い場所じゃねぇ!」
冬也は睨め付ける、ソニアとその先に居るレイピアを。やがて、静寂を破れるかの様に、モーリスを称える喝采が巻き起こる。こうして、一回戦の第二試合が終了した。無論、怪我人が出なかった事に胸を撫で下ろしたのは、エレナだけではない。
「そうよ、ちゃんと学びなさい。ここに居るのは、多くの悲しみを乗り越えて来た子達よ。あなた達に出来ない筈はないわ」
そこには、両手を握りしめてエルフの姉妹を見守る、女神ラアルフィーネの姿が有った。
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