第180話 女神の中に潜む闇

 悪意に呑み込まれ様としていたミューモを、スールが救った。そして、暴れ続ける四体の魔獣を一蹴し、浄化を終えた。

 ペスカは倒れ伏す巨人達に治療を行い。冬也は大地に神気を流し、神を封じていた結界を解く。

 

 そして姿を現したのは、美しい容姿の女神。ゆっくりと姿を現す所を眺めていた冬也は、低い声色で言い放つ。

 女神じゃない、お前には邪悪な感じがすると。


 未だ巨人達の治療は、終わらない。スールは、ペスカを守る様に結界を張る。緊張が辺りに漂い始める中、当の女神は目を閉じ、黙して何も語らず、微動だにしなかった。

 そして冬也は、大地に突き刺したままの神剣を手に取る。


 冬也が目の前の存在を、女神ではないと語ったのには、理由が有る。存在自体は、女神で間違いは無い。だがその奥底から、ほんの僅かであるが、邪神と同じ闇を感じたのだ。

 

 冬也の言葉で、じりじりとした緊張が、周囲を包んでいく。数秒が永遠の様に感じる程に、時の流れが遅い。

 ペスカは、巨人達の治療を急ぐ。スールは訪れようとする事態に備え、神気を強める。そして冬也は、ゆっくりと女神との距離を詰めていく。

 

 やがて瞬く様な光が、女神から漏れる。そしてゆっくりと、女神の口が開かれる。

   

「限界。逃げて」


 掠れた声で、静かに呟かれた言葉は、アトラスが最後の巨人を運ぶのとほぼ同時であった。

 次の瞬間、女神から高らかな笑い声が上がる。様変わりした様に、口は横に裂けて、いびつでいやらしい笑みが女神の顔に浮かぶ。

 体に纏う光は、どす黒く塗りつぶされていく。

 

 闇が溢れた。


 邪気が暴風の様に女神から放たれる。そしてスールの結界は、ビリビリと震える。

 スールは更に神気を高めて、ペスカや巨人達の間に張った結界を強化する。邪気がペスカや巨人達に届かない様に、スールは懸命に堪えた。


「ハハハ。良く気がついたね。この女神は優秀でね。取り込む為に僕がどれだけ苦労したと思うんだい? 君のおかげだよ。女神が自分を封じる為に作った結界を壊した挙句に、僕を開放するきっかけをくれたんだからね。感謝するよ、能無しの混血。まぁ時間の問題だったけどね。僕は優秀なんだよ、わかるかい? 優秀な僕は他の奴らと違って、原初の神を手に入れたんだ。君には感謝しなくてはならないよ。その恩に応えて君も取り込んであげるよ」


 その笑い声と共に放たれる言葉は、生き物を震え上がらせる、おどろおどろしい恐怖に満ちていた。

 禍々しい殺意が溢れる。全てを飲み込もうとする闇が、女神から流れ出す。

 並みの魔獣では意識を保つ事さえ難しいだろう。ミューモは震えあがり、スールとて心の底から湧き上がる恐怖を、懸命に堪えていた。

 

 声も出せない程に震えるミューモは、意識を保つ事すら難しくなっていた。

 これが邪神の姿。

 邪神の恐怖。

 抗える相手では無い。

 抗ってはいけない。

 相手は神なのだ。

 駄目だここで全て滅びてしまう。

 終わりだ。

 すべて終わりだ。


 ミューモが恐怖に屈しようとしたその時、雄渾で美しい声が響いた。


「あんた、本当にエンシェントドラゴンなの? しっかりしなさいよね」


 ミューモに話しかけたのは、治療でマナを使い果たし座り込んだ、ペスカであった。


「見えるよね。あんたごと私達を守ろうとしてるスールの姿。わかるよね。邪神と相対しても、びくともしないお兄ちゃんの姿。あんたとスール、あんたとお兄ちゃん、どこが違うかわかる?」


 スールは震えて言葉が出ない、恐怖に怯えて頭が働かない。

 それでもペスカは言葉を続けた。


「あんたとふたりが違うのは、戦う力じゃ無い。戦う意志だよ。誇りだよミューモ! 巨人達を守れって言われたんでしょ! 意地をみせなよ!」


 恐怖に震えるミューモの頭に、ペスカの声が届く。それはミューモの心に宿る、黒雲を振り払った。


「俺は、俺は!」


 ミューモの目に意志が戻る。

 巨人達を守れとスールは言った。しかし巨人達ごと自分が守られているではないか。

 不甲斐ない。情けない。これでも原初のドラゴンなのか。世界を守る守護者なのか。


「ぐあぁぁぁぁ~!」


 弱った己の心を打ち壊す様に、ミューモは咆哮する。そして意志は伝わる。

 スールは、ミューモの激しい咆哮を聞いて、少し安堵した。

 

 スールは慣れない神気を扱った上に、大量の悪意を浴びて意識が朦朧としている。それでも湧き上がる恐怖に耐え、懸命に結界を強化していた。


 人間の体でペスカ様は、マナを使い過ぎた。直ぐには立つ事は難しいだろう。

 自分の結界は、長くは持たない。だが少しの時間が稼げればいい。後は、主とペスカ様が何とかしてくれる。


 迫る恐怖を乗り越え、二体のドラゴンが敢然と立ち向かった。

 

 一方、ペスカの心は凪いでいた。ただ静かに、兄を信じて時を待っていた。

 苛立ちも焦りもない。ペスカは、ゆっくりと自分の体に流れる神気を練り上げる。そしてマナの回復を待った。


「大丈夫、お兄ちゃんなら大丈夫」

 

 ペスカの意志は、冬也に伝わる。何よりも心強い妹の想いが、冬也を奮い立たせる。

 

 女神の体を乗っ取った邪神は、にやける様に笑う。高笑いをしながら、悪意を振り撒いていく。

 しかし、冬也は憐れむ様な目で、女神を見つめた。


「今すぐに開放してやるからな。待ってろよ」

「混血風情が生意気な目を向けるな!」

「てめぇは黙ってろよ。いくら出てきても、てめぇじゃ俺には勝てねぇよ」


 冬也の手にある神剣は輝きを増す。

 

「何だい? やる気かい? ここに居る魔獣を誰が操ってたと思うんだい?」


 邪神の言葉に、スールが浄化したはずの魔獣達が起き上る。凄まじい速さで四体の魔獣は、冬也を取り囲む。

 冬也が甚振られる様を想像したのだろう。邪神の笑みは深まり、恍惚としていた。

 

「それがどうした糞野郎」


 その言葉と共に、神剣が横薙ぎに振られる。冬也の神剣は、悪意を切り裂いた。

 一刀の下に、起き上った四体の魔獣は、再び意識を失った。


「次はてめぇだ、糞野郎。ここで消滅するか、逃げた先で消滅するか、どっちかを選びな」

 

 邪神の顔は一転し歯噛みをする様に、歪んだ表情を浮かべる。

 

「きさま~! 僕の邪魔を何度すれば気が済むんだ! 消えろ半端者!」

「消えるのはてめぇだよ、糞野郎!」


 大陸西部の戦いが佳境に近づく。正体を現した元凶は、女神の体を乗っ取り、邪気を吹き上がらせる。

 大陸西部の平和を取り戻す為、本当の戦いが始まろうとしていた。

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