第161話 悪意から生まれ出ずるもの

 意識を失った多数のトロールが横たわる下に、ペスカとエレナ走り寄る。

 そしてペスカは、エレナを一瞥すると話しかけた。


「エレナ、帰るなら今の内だよ。早く帰らないと危ないかもしれないよ」

「帰らないニャ。私はあいつ等に、偉そうなこと言ったニャ。その割に戦いでは、何もしなかったニャ。役立たずニャ」

「そんな事ないって。エレナの特訓があったから、みんな勝てたんだよ」

「駄目ニャ。ペスカは危ない事に、顔を突っ込もうとしてるニャ。お見通しニャ」

「あのね。私はエレナを、指先でちょいって倒せるほど強いんだよ。懲りてないの?」

「それでも、駄目ニャ。ペスカは友達ニャ。友達を助けるのは当然ニャ」

「はぁ。何が起きても後悔しないでね」


 ペスカは深い溜息をついた。

 予感が正しければ、ここから先は、エレナが居て良い場所では無くなる。

 エレナは優秀な軍人で有り、高い戦闘能力を有している。ただそれは、あくまでも一般的にというだけ。シグルド、モーリス、ケーリア、サムウェルの様に、種族の領域を遥かに超えた力を持っている訳では無い。


 急激なトロール達の変化の裏には、必ず何かが有る。ただでさえ、何も知らされずに巻き込まれた、少し戦えるだけのエレナは、ここから先の悪夢には耐えられない。


 ペスカは浄化の完了を確認する様に、横たわるトロール達の中を歩く。一体ずつ念入りに確認を行い、ゆっくりと歩く。


 エレナには、ペスカが何を行っているかわからない。無造作に倒れたトロール達の間を縫って、歩いているようにしか感じない。

 だが、ペスカの真剣な眼差しを見て、これが重要な事なのだと理解した。


 冬也の神気が含まれたマナキャンセラーを浴びたのだ、浄化が出来ていないはずが無い。それでも、ペスカは見落とさない様に、神経を集中させる。ペスカの額にはじっとりと汗が滲む。


 確認を始めてから、数十分が過ぎる。何も無い。全て浄化されている。外れだったか。それとも・・・。


 邪神ロメリアについては、おそらく他の神々よりも、ペスカが一番よく知っているだろう。何故なら、一番関わってきたのだから。


 邪神ロメリアは、希望を踏みにじる。

 ゴブリン達が成長し始めた頃に襲撃が起きた。邪神ロメリアが仕掛けのは、こういうタイミングなのだ。

 だからトロールを操る本体は、必ず近くにいるとペスカは踏んでいた。

 

 しかし、勘違いだったか。

 そう思い始めた瞬間、最奥で倒れるトロールの一体に、ペスカは違和感を感じた。慌てて走り出すペスカ。そして、ペスカに追随しようとするエレナ。


「エレナ、来ちゃ駄目!」


 ペスカは怒鳴り声を上げる。エレナは、ペスカの強張った形相に危機感を感じ、無言で立ち止まった。


「エレナ、障壁は張れる?」

「出来ないニャ」

「なら、肉体強化を使って離れてて。守り切れないかも知れない」


 ペスカはエレナに告げると、違和感を感じたトロールの一体に近寄った。

 神気を目に集中させ、体の隅々を見る。すると、よく目を凝らさなければわからない程に、小さい澱みを見つけた。


「お兄ちゃんの神気に耐えるなんて、よっぽどだね」


 ペスカは溜息をつきながら、澱みを浄化しようと手を翳す。だがその瞬間、堰を切った様に澱みが膨れ上がる。

 瞬時にペスカは、浄化では無く障壁に切り替る。トロールの身体に神気の膜を張り、澱みが広がるのを防いだのだ。しかし、澱みはペスカの神気を押し返す様に、膨れ上がっていく。

 

「逃げて、エレナ!」


 ペスカが大声で叫んだ瞬間。トロールの身体は爆発した。

 その爆発は連鎖を呼び、次々に周りのトロールを巻き込んで、爆発していく。爆発の余波を周囲に広げない様に、ペスカは神気を高める。だが、爆発の威力は止まらない。トロール軍団の内、約三分の一を破壊しつくした。


 澱みはそのまま、辺りを飲み込んでいく。飛び散ったトロールの肉片を取り込んで、大きく膨れ上がっていく。そして澱みは黒いヘドロの様に蠢く。

 やがて一つの身体を形成した。ペスカには馴染み深い、邪神ロメリアそのものの身体が出来上がった。禍々しい光を放つ姿、少年の様な体躯、顔には頬まで裂けた様な口が、嫌らしい笑みを湛えていた。


 ペスカはエレナを見やる。

 身体能力は飛び抜けたエレナは、爆発を回避したのだろう。特に怪我をした様子は無い。だが足は震え、顔は蒼白となっている。

 エレナを、これ以上この場所に居させる訳にはいかない。


「エレナ。里まで避難して! 早く!」

「い、嫌ニャ!」

「邪魔だって言ってんの!」

「嫌ニャ!」

「足手まといだよ! 早く消えなよ!」

「駄目ニャ! ペスカを守るニャ!」


 エレナは執拗に、避難を拒む。震える足で、青白い顔で、それでも黒く禍々しいものを睨め付ける。

 ペスカを守る。そんな事が出来るはずが無い。でも、エレナの瞳は嘘を語っていない。馬鹿だとしか言えない、だけどこの馬鹿な猫娘を必ず守り切らねばと、ペスカは強く誓った。


「あ、あああ。お前、知ってる。知ってるぞ。ロメリアの記憶に居た奴だ。ペスカ。ああ、ペスカだ。ハ、ハハ、ハハハ、ハハハハハハハ」


 澱みの塊は、甲高い笑い声を放った。

 エレナの肌が粟立ち、竦んだ足は体を支え切れずにへたり込む。魂の底に刻まれる様な恐怖を、エレナは感じていた。


「あぁ、良いよ。これは良い。そこの亜人からは、最高の甘美を味わえそうだね」


 澱みの塊は、体を影の様に伸ばし、周囲に倒れるトロール達を飲み込んでいく。瘴気が溢れ、密林の木々が枯れ始める。大地は穢れ、ヘドロの沼の様に変わっていく。

 

「あぁ、楽しいよ。遊ぼうペスカ。ロメリアに見せた怒りを、僕にも見せてくれよ」

「期待には、応えられないよ。あんたはここで消滅するんだから」

 

 ペスカの言葉に、澱みの塊から更に瘴気が発生する。


「大地母神ミュールに代わり命じる。大地よその身体を癒し邪悪を討て! その魂を永劫に消し去れ! 破邪顕正」

 

 ペスカの神気が数キロに渡り広がる。

 光を放ち、穢れ始めた大地を元に戻していく。トロール達の身体は黒から、元の薄緑色に変わっていった。立ちこめる瘴気が消えていく。

 澱みの塊から伸びた影が、悲鳴を共に薄くなっていった。


 そしてペスカは、冬也の様に神剣を取り出す。澱みの塊との間合いを、瞬時に詰める。


「さあ、終わりだよ。偽ロメ!」

「それは、どうかな」


 澱みの塊が言葉を吐いた瞬間、ヒッと言う声にならない叫びが、ペスカの背後から聞こえる。ペスカが振り向くと、エレナを飲み込もうと影が迫っていた。

 

「エレナ、逃げて!」


 エレナの足は、恐怖で動かない。


「止めろ~!」


 ペスカが影を切り裂こうと走るが、間に合わない。

 竦むエレナを影が完全に覆い隠す。澱みの塊の口角はつり上がる。更に、澱みの塊から伸びた影は、エレナを助けようとするペスカの足止めをする。


「邪魔するな!」


 影を切り裂きながら、ペスカは懸命にエレナの下へ、走り寄ろうとする。しかし、幾つもの影が澱みの本体から伸びて、ペスカに攻撃を加えた。 

 ペスカは、尽く影を切り裂くが、影は際限なく伸びてくる。 


「これは、僕が貰っておくよ。イタダキマス!」

「止めろ~!」


 ペスカの叫びも空しく、エレナを包む影は収縮していく。だがその時、天から一本の剣が飛び、エレナを包む影を切り裂いた。


「させねぇよ。糞野郎!」


 エレナの隣に降り立つのは、兄の姿。これ以上も無い、頼りになる援軍が到着した。

 

「お兄ちゃん!」

「間に合ったみてぇだな、ペスカ」

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