第7章 官邸に隠された秘密 3


「赴任なさって、しばらくした、五月頃だったでしょうか。ここ、タラコネンシスの銀鉱だけではなく、バエティカやルシタニアの銀鉱の産出量を、ひどく気にしてらっしゃいました。わざわざ、双方の官邸に問い合わせて、産出量に変化がないかどうか、調べられて……。タラコネンシスには金鉱もありますが、金鉱のほうは特に気にされた様子もなかったので、なぜ銀鉱の産出量だけを気になさるのかと、不思議に思いました」


「お兄様が、銀鉱の産出量を……」

 アマリアが、考え深げに呟く。


 ヒスパニアは鉱山資源が豊富で、金鉱と銀鉱の他にも、銅や鉛等の鉱山がある。

 金鉱がある場所は、現在、ニメリウスが視察に行っているレギオーの近くだ。

 銀鉱はヒスパニアの南部に渡っているため、タラコネンシス、バエティカ、ルシタニアの三州とも、それぞれ採掘を行っている。


 ヒスパニアに限らず、金、銀、銅、鉄、鉛、錫など鉱山は、大半がローマ帝国の公有であり、実際の採掘の監督は地元の民間人に委託する場合があるものの、最終的な監督は、ローマ軍団や属州総督が行っている。第七ゲミナ軍団の駐屯地がレギオーである理由も、金山の監督が職務に含まれているためだ。


「なぜ、お兄様が銀鉱の産出量を気にしていたのか、理由を知っている?」

 アマリアが尋ねたが、奴隷は力なく、かぶりを振った。

「いいえ、理由までは……」

 奴隷に口を開かせようと奮闘していたせいで、大切な点を確認し損ねていた。


「そういや、ウィリウス様の葬儀は、官邸で出したんだったな? 元老院議員の子息で財務官の副官だったんだ。さぞかし、盛大だっただろう」

 俺が口を挟むと、奴隷は不機嫌そうに顔をしかめた。


「わたしは、ウィリウス様の葬儀には、参列しておりません」

 奴隷の返事に、俺とアマリアは思わず視線を交わし合った。俺は、驚いた振りをして、素っ頓狂な声を上げる。


「おいおい。冗談は、よしてくれ。あんたは、ウィリウス様の下で働いていたんだろう。なのに、葬儀に参列していないっていうのか」

 俺の声に、奴隷は悔しそうに眉を寄せた。

「そうです。おそらく、総督が指示して、葬儀屋リビティナリティに遺体を引き渡して火葬させたのでしょうが」

 奴隷の表情には、葬儀に参列できなかった不満が、ありありと浮かんでいる。


 ローマでは、きちんと埋葬された死者は、冥府の一員となって、「死者の霊ディイ・マネス」と呼ばれる。だが、他方、遺体を捨て置かれたりして、きちんと埋葬されなかった死者は、「悪霊レムレス」になると信じられている。

 とはいえ、一方で、遺族は遺体にできるだけ触れないほうが良い、とされているため、どこの町でも、葬儀屋が活躍していた。


 ウィリウスのように身分の高い者や、金持ちの葬儀の場合には、笛吹や踊り子、道化や物真似役者が随行する賑やかな葬送行列ポンパが行われ、遺体は、参列者に見えるように棺架カプルスに乗せられて運ばれる。


「誰か、ウィリウス様の葬儀に参列した奴を知らないか?」

 俺の問に、奴隷は不服そうな顔のまま、かぶりを振った。

「いいえ。私は知りませんね。亡くなられた原因が事故ですし、あまり話題にするものでもありませんから……」

 どうやら、奴隷はウィリウスが自然死ではなかったために、総督が大々的な葬儀を避けたと考えているらしい。確かに、普段は参列者に公開される遺体も、死因が自然死でない場合には、ヴェールを被せて隠される。


 奴隷がウィリウスの葬儀に参列していないという話は、俺とアマリアにとっては、朗報だった。誰もウィリウスの死体を見ていないのなら、ウィリウスが生きている可能性は、更に高くなる。


 その後も、俺とアマリアは、奴隷から、何か手がかりが引き出せないものかと、様々な質問を投げかけた。しかし、それ以上に有益な話は出てこなかった。


 俺とアマリアは、奴隷に礼をいい、財務官の執務室を出る。

「よかったな。ウィリウス様とクレメテスが生きている可能性が、更に高くなったじゃないか」

 小声でアマリアに囁くと、アマリアは小さく頷いた後、つんと形よい鼻を上げた。


「ええ。でも、何故、お兄様が事故死を装う必要があったのか、理由は、まだ何一つとして、わからないわ。ニメリウス総督が、関わっているのは間違いないようだけれど」

 強い光を宿すアマリアの明るい茶色の瞳を見る限り、アマリアは兄を見つけ出すまで、追及の手緩める気は、芥子粒ほどもなさそうだ。


「一度、官邸を出ましょう。もしかしたら、今頃、ラウロが待ちくたびれているかもしれないわ」

「そうだな」

 アマリアの言葉に、俺は大きく頷いて同意した。

  

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