第4章 兄の足跡を追って 4


 官邸を出たアマリアは、行き先も告げずに、無言で歩き出した。行き先の見当はつく。ウィリウスが暮らしていた屋敷だろう。俺とアマリアが船から降りた際、先に荷物だけを送った先でもある。


 午後のタラコの町中は、ゆったりとした雰囲気が漂っていた。公衆浴場へ行くと思しき二人の男が、自前の垢擦り器や香油壺を持って、談笑しながら通り過ぎていく。かと思えば、フォルムの片隅で開かれる初等学校からの帰りらしい、手に書字板や鉄筆を持った子供達の一団が、賑やかな声を上げながら走っていく。


 タラコは、ヒスパニア第一の都市だが、ローマに比べれば、他のどの都市だって見劣りする。道行く人々で溢れ返るローマの街路を見た後では、街路の混雑も、さほど気にならない。


 俺は足早に歩くアマリアの隣に並ぶと、声を低めて話しかけた。

「アマリア。あんたは、ウィリウス様が事故死ではなく、殺されたと疑っているのか?」

 俺がニメリウスの話を聞いた印象では、ウィリウスの死が他殺だと疑うほどの証拠は、なかった。華やかで快適なローマから離れた若者が、一人で羽を伸ばしたい気持ちは理解できるし、狩りの最中の事故も、あり得る話だ。


 俺の問いに、アマリアは前を向いたまま、短く答えた。

「クレメテスが自殺するなんて、変だもの」

「どういう意味だ?」

 俺はアマリアに説明を促す。アマリアは、怒りを吐き出すように、一度、息をつくと、説明を始めた。


「クレメテスは、お兄様より二つ年上で、お兄様が小さい頃から仕えているの。もし、お兄様が事故死したのなら、クレメテスは遺体を守って、一刻も早くローマへ帰ってくるし、他殺なら、何としても犯人を捕えようとするはずよ。責任を感じて首を吊るなんて、一見、忠義者のように思えるけれど、自殺なんて責任逃れよ。我が家は、そんな無責任な奴隷の教育はしていないわ。本当の忠義者なら、主人が死んだ後も、主人の名誉を守ろうとするもの」


 元老院議員階級では、息子が幼年期になると、年の変わらない利発な少年奴隷を買い入れ、息子と同じ教育を受けさせる。勿論、一般の子供達のように、学校には通わない。アテネやアレクサンドリア、ペルガモンで学問を修めた家庭教師が雇われる。少年奴隷が成長すれば、若主人に忠実で有能な奴隷の出来上がりというわけだ。


「あんたは、ウィリウス様とクレメテスが二人とも殺されたと考えているんだな」

「そうよ。理由は、まだわからないけれど」

 アマリアが小さく、しかし、はっきりと頷く。


「ウィリウス様の上司のスウェニウスとは、どんな奴なんだ?」

 俺が尋ねると、アマリアは不機嫌そうに眉を顰めた。

「一言でいうなら、有力議員の馬鹿息子ね」

 アマリアの声音は、アルプスの万年雪のように冷ややかだ。

「女にだらしないとか、酒癖が悪いとか、悪い噂は、ローマで聞いた覚えがあるけれど、スウェニウスは所詮、小物よ。人を二人も殺せるような人物じゃないわ」

 アマリアは腹立たしげに鼻を鳴らした。


「お兄様とクレメテスが殺された理由も、誰が殺したのかも、今は、さっぱりわからないわ。これから、調べるしかないわね」

 意気込むアマリアの明るい茶色の瞳は、 よく磨かれた剣のように輝いている。犯人にとっては不幸だが、アマリアは兄を殺した奴を捕まえるまで、決して追及の手を緩めないだろう。


「そういえば、もう一つ、気になることがあるんだが」

 俺は、官邸へ入って以来、胸の奥に燻っていた疑問をアマリアにぶつけた。

「官邸の奴隷も、ニメリウスも、俺の顔を見て驚いていたな。何か理由があるのか?」

 アマリアは上目遣いに、ちらりと俺の顔を見た。何やら思わせ振りな一瞥いちべつだ。顔を正面に戻すと、アマリアは突き放すような口調で告げる。


「あなたの顔立ちは、お兄様によく似ているのよ」

「へえ」

 予想外の答に、俺は素っ頓狂な声を上げた。右手で自分の顔をつるりと撫でる。


「ウィリウス様が俺に似てるとはねえ」

 アマリアが俺に親身にしてくれた理由が、わかる気がする。


「間違っているわ!」

 不意にアマリアが立ち止まる。勢いよく振り向いたアマリアに、俺は危うくぶつかりそうになった。茶色の瞳を怒りに煌めかせ、アマリアは人差し指を俺の胸に突きつける。


「お兄様があなたに似ているんじゃないの! あなたが、お兄様に似ているのよ! それに、勘違いしないでちょうだい。確かに顔立ちは少し似ているけれど、お兄様はあなたよりずっと素敵で、あなたが足元にも及ばないほど、品があるんですからね!」


 気の弱い者なら思わず謝罪しそうになるほどの剣幕で一方的に捲し立てたアマリアは、風斬り音が聞こえそうな勢いで前に向き直ると、憤然と歩き出した。


 俺とウィリウスは、同じ年だ。どちらがどちらに似ているなど、俺にとってはどうでもいい話だ。しかし、アマリアには、厳しいこだわりがあるらしい。


 子供っぽく感情を剥き出しにして怒るアマリアは、微笑ましい。俺を放っていく勢いで、足早に歩くアマリアを、俺は苦笑して追いかけた。

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